ひとり井戸端会議

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外国人参政権は国民主権原理と相いれない

2010年11月22日 | 外国人の人権
外国人参政権、「国民主権と矛盾せず」の政府答弁書(産経新聞)

 政府は19日の閣議で、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与について「憲法上の国民主権の原理と必ずしも矛盾するものではない」とする答弁書を決定した。自民党の浜田和幸参院議員の質問主意書に答えた。



 菅内閣というのは、こういうところで「柳腰」を発揮するらしい。マスコミや世論が尖閣事件のことで気を取られているうちに(もちろん、この問題も非常に重要である)、しれっとこのような閣議決定をしてしまっているからだ。


 この閣議決定は、「必ずしも」という文言が挿入されている時点ですでに苦しいのだが、国民主権原理に照らせば、外国人参政権は到底容認できぬことなど、これまでの裁判例からして明白なことである。

 件の平成7年判決も含めて、これまでの裁判例は一貫して、「わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動」には外国人の人権は保障されないとした「マクリーン事件判決」を引き、従来の禁止説と変わらない結論を判示してきた。

 現に平成7年判決について、「憲法15条、93条による選挙権の保障が外国人に及ぶものではないとの解釈を前提とするものであるから」、したがって「従来の通説ないし禁止説と変わるものではない。」とする見解もある(判例地方自治208号)。

 そもそもとして、「マクリーン事件判決」では、日米安保反対のデモや集会に参加した外国人に対してこのように判示しているのだから、政治的活動そのものである参政権の行使を外国人に認めることは当然に違憲になると考えなければならない。最高裁がこの判断を維持している以上、そのことをもって、外国人参政権はすでに違憲と解釈するのが自然であろう。

 また、外国人参政権に対し、国民の自己決定の原則に反するという原理的な問題を孕んでいるという重大な指摘もある(大石眞『憲法講義Ⅰ』)。地方自治を過度に重視し、一定の外国人に参政権を付与するとなれば、国民主権原理が浸食されるとする指摘もまた同様であろう(小林昭三監修=憲法政治学研究会編『日本国憲法講義 憲法政治学からの接近』)。

 ところで、しばしば外国人参政権賛成派の者たちから、憲法93条2項では「住民」とあって、「国民」となってないから、外国人に参政権を認めても問題ないなどとする詭弁が聞こえてくる。

 しかしながら、憲法が「国民」と「住民」の文言を使い分けている理由は、大阪地裁平成6年1月28日判決が述べるように、「憲法93条2項が憲法15条1項と異なり、『住民』という文言を使用しているのは、地方公共団体の長及びその議会の議員等については、その地方公共団体の区域内に住所を有する者によって選出されるものであることを特に明らかにするものであり、それ以上、憲法15条1項の『国民』と異なる範囲の者を想定しているものではないと解するのが相当である。」つまり、憲法93条2項の「住民」とは、同15条1項の「国民」に包摂される概念なのである。

 したがって、判例の立場がこれまでの禁止説と変わらない以上、「国民主権」と言うところの「国民」とは、日本国籍を有する日本国民を指すとするのは、判例の一貫した立場なのである。よって、外国人参政権などという概念それ自体形容矛盾も甚だしいのだが、私はさらに進めて、憲法改正をもってしても外国人に参政権を付与することは不可能と考えている。



 わが国においては、憲法の改正には限界があるとする見解が通説である。通説によれば、現憲法との同一性が失われるという本質的・基本的な原理は絶対に改正が許されない。その原理とは、国民主権、平和主義、基本的人権の保障である 。とりわけ国民主権の原理を変更することは、「改正ではなく、憲法自体の廃止であり、自殺を意味し、法理論的には不可能」なのである(衣川光正編著『憲法の要点』 )。

 憲法改正に限界があるとする議論は国民の自由な決定権を認めないものであると批判する大石眞教授でさえも、国民主権原理は憲法の改正によっても変更することはできないとする 。したがって、通説によれば、憲法の同一性の喪失につながる本質的・基本的な原理である国民主権原理の変更は、絶対に許されないのである。

 国民主権原理は憲法の改正をもってしても変えることのできない「人類普遍の原理」であり、「これに反する一切の憲法、法令及び詔勅」は排除されなければならない(憲法前文)。ここで言う「国民主権」とは当然のことながら、憲法10条による国民の定義を満たした者、つまり日本国籍を有する日本国民が主権者であるという意味である。

 したがって、参政権とはまさに主権の行使である以上、外国人に参政権を付与することは「国民主権」の原理に反することになる 。よって通説の理解にしたがえば、外国人に参政権を付与することは国民主権原理の変更と実質的に等しいのであり、またこれは憲法の同一性の喪失にあたり、憲法を改正しても不可能なことであると言えるのではないか。



 以上のように、私は一部の外国人参政権反対派の主張するような、憲法を改正しなければ外国人に参政権を付与することはできないとする説に対しても、これに反対するものである。当然のことながら、国民主権原理と外国人参政権は、「必ずしも」どころか、当然矛盾するものであり、外国人に参政権を認めることは憲法原理の破壊を意味するものと考える。

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