ひとり井戸端会議

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「傍論」とは何か?

2010年01月22日 | 憲法関係
外国人参政権への反対明言=亀井氏(時事通信) - goo ニュース

 亀井静香金融・郵政改革担当相(国民新党代表)は22日午前の衆院予算委員会で、永住外国人に地方参政権を付与する法案について、「国民新党も、わたしとしても反対だ」と改めて反対を明言した。小池百合子氏(自民)に対する答弁。 



 外国人参政権の是非に関する議論でしばしば反対派が言う、「付与しても違憲ではない」とした園部裁判官の傍論は法的な意味を持たない、という主張。それでは、そもそも「傍論」とは一体何なのだろうか。そこで今回はこの「傍論」の意味について考えてみる。


 まず、傍論についての前提問題として、判例(なお、「判例」と「裁判例」も、実は意味が異なる。前者は後に続く訴訟において何らかの規範的な拘束力を有する裁判例、つまり「先例」としての価値を有するものであり、特に最高裁判所の判決を指すのに対し、後者は単にある訴訟について判示した内容やその集積という程度のものである。)にはいかなる拘束力が存在するのだろうか。もし判例に一切の拘束力が存在しなければ、傍論について論じる意味もないことから問題になる。


 判例の先例拘束性に関しては以下のような見解がある。


①判例には法律上の拘束力ではなく事実上の拘束力があるとする見解(現在の通説的見解と思われる)

→最高裁の判決と異なる判決を下級審がしたところで、それは上級審で破棄されるおそれが強いため、最高裁の判決にしたがって判決をする、という程度で、事実上の拘束力しか判例は有さない。

②判例には法律上の拘束力が存在するとする見解(現在の有力説と思われる)

→この見解は憲法32条(罪刑法定主義)等を根拠にする。ただし、下級審が最高裁の判決と異なる判決をしたとしても、それは破棄されるという程度にとどまるとする。


 なお、判例に法源(裁判官が裁判を行う際に判断の基準とするもの。)としての性質があるという点では、現在において異論はないと思われる。すなわち、法律や条例といった制定された法だけが法ではなく、慣習や判例も広く法とみなしているということである。


 それでは、本論である「傍論」とは一体何かについて考えていく。

 まず、「傍論」(obiter dictum(オビタ・ディクタム))と対をなす概念は一体何か?それは、「判決理由(あるいは判旨)ratio decidendi(レイシオ・デジデンダイ)」と呼ばれるものである。

 「判決理由」とは、判決主文(請求の当否を判断する結論部分。判決文で言うところの「〇〇に金××円を支払え」などといった部分。)の判断を導き出すのに不可欠な理由部分であり、判決文に書かれていることの中で真に判例となるもの、すなわち、先の判例の拘束力のところで述べた後に続く裁判例を拘束する力を有する部分のことである。

 これに対して「傍論」とは、判決文中の裁判官の意見のうち、判決理由に該当しない部分を指す。後の裁判例に影響を及ぼすこともあり得るが、上記の判決理由とは異なり、先例としての拘束力を有する部分ではない。



 ここまで行った判決理由と傍論の区別に関する議論は、先例の法源性または規範的拘束力を肯定することにより、はじめて意味を有するものである。

 ここで、判例の先例拘束性について通説的見解である、判例は事実上の拘束力を有するとする見解に立つ。そうすると、上記の傍論と判決理由の区別はより一層峻別されたものになってくる。

 というのは、この見解を採った場合、判例が先例としての拘束力を有する部分は、先例の事実と直接に関わる部分、すなわち、判決理由のみであるという結論に至るからである。



 それでは具体的な検討に入って、外国人参政権について「付与しても違憲ではない」と判示したとされる、くだんの平成7年判決について、上記の議論を踏まえて簡潔に検討してみる。

 これまで行ってきた傍論に関する解釈を前提に平成7年判決の渦中の部分を考えてみると、平成7年判決は、国政レベルで定住外国人に被選挙権を認めないことは憲法15条の規定に反すると主張した原告の請求に対し、「本件上告を棄却する。」と主文で述べている。

 そして、その判決理由として、「地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう「住民」とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。」と判示している。

 つまり、上記の部分が主文を導くために提示された判決理由である。ということは、平成7年判決は上記の部分につき、先例としての拘束力が存在するということになる。よって、園部裁判官が提示した「付与しても違憲ではない」との部分は、傍論であり先例としての拘束力は有しないということになる。


 結論は以上である。しかしながら、私は判決理由と傍論とで事実上の影響力に差はないと思うので、あまりこの解釈はお勧めしない。

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