ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

日教組は嫌いだが

2008年02月04日 | 偏向マスコミ
日教組の教研集会始まる=全体集会なし、異例の幕開け (時事通信) - goo ニュース

 日教組の第57次教育研究全国集会(教研集会)が2日午後、東京都内で始まった。3日間の日程で延べ約1万2000人の教師らが参加。学力問題やいじめ、学校の安全確保などについて研究報告、討議が行われる。
 同日午前に全体集会が予定されていたが、会場のグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が、右翼団体の妨害による混乱の恐れを理由に、直前になって契約を解除。1951年の教研集会開始以来、初めて全体集会が開かれない異例の幕開けとなった。




 日教組は嫌いだが、今回ばかりは日教組のほうに分がありそうだ。しかし、新高輪プリンスホテルは、今後は右翼の妨害活動よりも、左翼による妨害活動に気をつけたほうがいいだろう(苦笑)。

 ともあれ、いかなる団体(たとえそれが反日的、共産主義的であっても)であろうとも、それぞれが自由に発言し、意見を表明し、表現活動ができる土壌こそ、民主主義社会において不可欠なものはない(もし特定の言論が淘汰されるのならば、国家権力や法の強制、特定団体による暴力などによってではなく、自由な言論市場によるのが大前提だ)。しかしながら、ホテル側は客をダシにして自由な表現活動をさせないのだから、唖然である。よって、日教組の集会開催を拒否したホテル(しかも司法の判断までも無視して!)は、批判を免れないのは言うまでもない。



 だが、だ。今回のマスコミの報道の仕方にも腹に据えかねるものがあるし、日教組の今までの活動からして、「お前が言うな」的なものもある。

 まず、マスコミは「右翼」という言葉を聞くと、まるでパブロフの犬の如く条件反射的に拒絶反応を示し、彼らには何でも言ってもいいし、いかなるレッテル貼りも許される、みたいな姿勢が見え隠れする。

 もし、という仮定の話が許されるとして話すならば、これが保守系団体の集会で、その集会に左翼過激派が押し寄せる可能性があるから会場提供契約は解除します、という類のものであったら、マスコミはこれほどまでに大々的に報道したか?
 それから、一部マスコミなどは、つい最近まで、閣僚が憲法改正すべきと発言しただけで辞任すべしと煽ったりした。それから一昨年前、核保有議論をすべしと中川昭一氏が発言したときの彼らの対応と、今回の主張は明らかに矛盾している。

 まだある。昨年、島根県教育委員会が、八木秀次高崎経済大学教授が理事長の日本教育再生機構が主催した、島根県での3月のタウンミーティングの後援依頼を拒否したが、このことを今回ホテル側の対応を批判しているマスコミは大きく報じなかった。
 比較するのは適切ではないだろうが、今回の件はあくまで私企業のホテルのした判断であるが、八木氏の一件は、それこそ公的機関がやったことであり、こちらのほうが表現の自由を脅かすものとして鋭く批判されるべき対象ではないのか? 

 このようなマスコミの対応を見ていると、今回、マスコミは憲法の「表現の自由」を引き合いにホテル側の対応を痛烈に批判していたが、かく言う貴方がたマスコミは、表現の自由に対しダブルスタンダードではなかったか?特に、「つくる会」の教科書を、教室で使うには「ふさわしくない」とまで社説で言い放った、自称「社会の木鐸」朝日新聞サンはね!



 そして、日教組も「お前が言うな」と思ったのである。というのは、2月3日の読売新聞社説にあるように、彼らが(今でも大方そうだが)以前支持母体としていた社民党(旧社会党)は、1992年に、上坂冬子氏が月刊誌で憲法改正に言及したしてそれに抗議し、新潟市主催の憲法記念集会での講演が中止に追い込んだ。
 更に、97年には、櫻井よしこ氏がした、「従軍慰安婦」に関する発言を許せないとし、神奈川人権センターの抗議で主催団体が講演を取りやめたのだが、そのとき社民党は、「櫻井差別発言は言論の自由以前の問題」などと主張した神奈川人権センターを擁護していた。
 こういった「前科」があるにもかかわらず、社民の福島党首は、「表現の自由を侵害する行為だ」とホテル側を批判したらしいが、一体どのツラ下げてそのようなことを言ってるのか。「二枚舌」とは、まさにこの政党のためにある言葉のようなものだ。相変わらず救いようのないふざけた政党である。
 このような政党を支持母体とする日教組は、今回の一件で自身の古傷は疼かなかったのだろうか。

 それから日教組は以前、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択阻止のために、あらゆる圧力をかけて潰しにかかったことを、忘れてはないだろうか?

 自由な言論を阻害することを決して許してはならないとする日教組やマスコミの意見はもっともだ。しかし、そう主張するのならば、自身と相容れない言論や主張にも寛大になっていただきたいものだし、寛大になってから言うべきだ。

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