先日、母の葬儀で緊急帰国した。
先月の帰国で両親に会ったばかりだったが、今月に入り母の容態が急変した。
妹からの連絡では、『危ない状況になったので、連絡したら直ぐに帰れるように
航空便 の確認をしておいて・・』と連絡を貰った。
特養(施設)からの説明によると、加齢に伴う身体機能の低下で、咀嚼力、嚥下力の
低下が著しくなり、食事を摂れない状況らしい。その為に栄養不足(失調)になっている
との事。 解決するには「胃ろう」措置が一番良い?方法だと説明されたらしい。
普段から、妹達とは延命措置は不要と話し合っていたのだが、いざ『どうしますか?』
と決断を迫れると気持ちは揺れる。母にこれ以上辛い思いはさせたく無い思いと、
「胃ろう」措置をする事で少しでも延命できるならばと・・・こちらに気持ちが傾きかけた
時に、 施設から、「胃ろう」措置をしなくても「良い方法があるので来て欲しい」と連絡が
あったようだ。
但し、連絡をくれた担当者が言うには「明日は休みの為に明後日に来てくれ」との事。
このような状況下で随分のんきな話だと思ったが、逆に考えれば母の状態が緊急に措置を
する程 悪化していない・・と勝手に判断して少しだけホッと?する。 そして約束の日、
担当者からの提案された内容は「高カロリーの食事を2~3ヶ月続けて様子をみよう」との
話だったようだ。
それから2日後に母は旅立った。
脳梗塞で倒れて以来、約9年間は病院や施設での退屈な生活を余儀なくされ、寝ているか、
食べるだけの毎日。 最後まで苦労の連続だった母の92年間の人生が終わった。
妹から電話が入ったのが 昼頃。急遽いつもお世話になっているご夫婦に依頼してチケット
確保の為に旅行社へ。 運良く当日桂林発、翌日鹿児島着のチケットが取れた。そしてご夫婦の
ご配慮でそのまま空港まで送って頂いた。本当に感謝の限りです。
お蔭様で昼頃、鹿児島に到着。迎えにきてくれた友人の車を借りて斎場へ急いだ。
通夜に間に合い棺に収まった母に再会。
以前から父母の葬儀は家族葬にすると決めていた。
そんな訳で、今回の母の葬儀は親戚にも連絡せずに家族のみで静かに見送った。
施設に入所している為に毎日会えなかった分、最後位は家族揃った中で母としばらくの時を
過ごしたかった。
告別式当日は、父も施設から連れてきて参列させた。施設の中でもそうだったが、最後まで
自分の奥さん(母)を認識できなかった。
そんな訳で今回は先月会った友人達にも帰国の件は連絡せず帰国、そして桂林に戻る。
(1人のみ車を借りる必要から連絡) 出席者は家族のみのわずかな人数とは言え、葬儀会社の
担当者による進行に沿って住職による型通りの、告別式と繰り上げ初七日法要を合わせて行って
もらった。
昨年2月に桂林へ移住後、1年の間に友人達の親御さんが3人旅立たれている。
そして今月 母が旅立った。
私達団塊の世代から10歳前後下の世代でもご両親のどなたかが旅立つ年齢になった。
どんな人間にも生と死は平等にあると、頭では解ってはいるが家族の死となれば、やはり辛い。
そして今回の母の死で、色々な意味で勉強をさせて貰った。
最後に母に「ありがとうね。ゆっくり休んでね」 合掌