♪ 『 三線欲張り修行日記 』 ♪  

沖縄バンド「みいはいゆ」ちゃくらのブログです。

2020年の目標 どうしようかと考え中です。☺️♫

『古典とワクワクと私。』

2015年11月30日 | フリ~日記



私 三線を始めてしばらく経った頃 思うところあって 野村流の古典を勉強するために 大阪に通ってた時期があったんですね。
約10年近く 月1のペースで。

そのときに 大阪の人と三線音楽とのつながりの深さに気づいて驚いたんです。



大阪人の生活に根付く沖縄音楽


大阪に通い始めた私が まず驚いたことは 大阪人の三線人口の多さ!
特に 私がお稽古に通っていた大阪の大正区は 元々沖縄から移住されてきた方が多く住まわれていて 沖縄文化が色濃く残る地。

だから よけいにでしょうね。
大正区周辺では 古典教室以外にも 民謡教室だったり舞踊にお琴の教室に 各地区のエイサーグループの活動に…と沖縄色がとっても濃い街でした。
そうそう! 駅周辺には民謡酒場も何軒もありましたねえ。

とにかく ひと口に三線と言っても 種類も間口も様々 お稽古の流派も様々な形で 沖縄文化がどっしりと根付いていました。

そして それだけ間口が広いということは…

そうです!
三線が上手い人も沢山いるということです。
三線歴何十年というベテランの方 師範の資格を持ってる方 普通にゴロゴロおられましたね~。

高知では絶対にあり得ないこの状況に 当時カルチャーショックを受けたことをよく覚えています。




私と古典三線の関わり方


大阪に通い始めた頃の私は BEGINの楽曲や簡単な民謡をちょこちょこ弾いて楽しむくらいだったから とにかく全てが衝撃でした。

そのうえ 大阪の古典のお稽古は マンツーマンでとても厳しくて お稽古の日が近づいてくると 仕事も手につかなくなるほど…。
とにかく 完全暗譜が合格の絶対条件だったから 一曲が10分以上ある曲を 多いときは5,6曲暗譜して行かないといけなかったり…。

ほんと 今思い出しても 胃が痛くなる日々だったなあ。

でも その厳しかった先生が体調を崩して入院されてからは 教室を変えて他の先生に習う気がせず…。
私自身も 大阪での古典の勉強にひと区切りつけるいい時期なのかな…と思い 一旦お稽古をお休みすることにしたんですね。



大阪で古典を習って気づいたこと


私は 古典を習っていながら 古典を人前で披露したことはほとんどありません。
もちろん 大阪では発表会やイベントなどで何度かあったけれど ここ高知では その機会がありませんでした。
というか…敢えて自分から作らなかったと言ったほうが正しいのかも。

それは…古典と向きあった時期があったからこそ 気づいたんですけどね。

私は 1人で古典を歌っている時より 色んな沖縄の楽曲をアレンジして みいはいゆで演奏してる時の方が 断然楽しいんです!
ワクワクするんです!

古典はワクワクというよりは 自分の内面と向き合うための音楽っていう感じ…。
ワクワクは…ないんですよね~。

だから 古典は敢えて人前でやる必要はないのかな…と 今は思ってます。

でも これから古典に対する気持ちが変わったら 歌いたい…と思う時が来るのかも。

歌いたい時が来たら歌う。

今の私の古典との向き合い方は これくらいでもいいのかもね。





表現方法は 人それぞれ


私の場合 自分の三線がこれで正解なのか悩んで 大阪に通い始めたんですけどね。
通ってみて 気づいたことは 結局正解は自分の中にしかなかった…っていうこと。

自分が「これ楽しい! これやりたい! 」と思えるものが その人にとっての正解なんですよね。

古典だとか民謡だとかポップスだとか 歌が上手いとか 下手だとか…。

そういうことにとらわれないで 自分自身を表現することに もっとこだわっていきたいなあ と思った今日この頃でした。





曲がり道の向こうにあるものは…?








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