『罪悪』フェルディナント・フォン・シーラッハ 著 (東京創元社)
…だ か ら !いくら長いからって、著者名省略して翻訳者の名前だけ表示するんじゃねえよッ!アマゾン!(怒)
翻訳ものなんですよ国内作家さんの小説じゃないんですよー。ったく。ぶつぶつ。
前作『犯罪』があまりにも独特で印象的だったので、二作目が出ると知ってもう迷わず購入して。
それなのに何故感想が今ごろかというと。読み終えるのがもったいなかったからですよ。
ツイッターで翻訳者の酒寄さんからの情報を見ると、どうやら着々と次回作(それも長編!)の構想が練られているそうですしwww楽しみ楽しみ♪♪
今回もまあ、一編一編は、掌編と言っていいくらい数ページのものから長くても30ページほどのもの、全15編が収められていますが。
なんで、どれもこれも甲乙つけがたいほどクオリティ高いものばっかりなの!(喜んでます)
で、前作『犯罪』も相当に淡々と、坂道を転がり落ちていく人々を淡々と描写していて読者の心の澱を静かにかき回すような一冊だったんですが。
この二作目『罪悪』は、もうなんというか、よりダークに、よりじわじわと迫る罪への扉に、びくびくしながら。
筆致もますます研ぎ澄まされたような。
だから『犯罪』の方はわりと、「やむにやまれず」とか「こうするしかなかった」、そんな気持ちになったりもしたんですが。
今回はなんというか…『犯罪』よりも「罪」が罪深いしみんなどこか壊れてる。そして、悲しくて淋しい。
前作と同様、弁護士である「私」が書き記したという形なんですが、今回は「私」の存在感は薄いです。
で も !
この「私」の薄さが、ラスト一編の伏線だったとはーーーー!!
やられた!やられました!
そしてめっちゃ怖いです!ひっくりかえりました。
いやー、この収録順にも意味があったのねえ…すごいわ。
てことは、もしかしてこういうことですか。
「この本の著者であるシーラッハという人物は、作中の「私」のどちらか、かも…?」
実在のシーラッハさんも、作中のシーラッハ氏も、同じ弁護士だから見分けがつかない。書き分けができてないんじゃなくて、わざとこんがらがるように導き、そしてラストの衝撃。
日本の新本格ミステリにもあるし、まだほとんど読めてないといってもいい戦前・戦中・戦後のミステリにもたぶん、同じ趣向の作品はあるんだろうけれども。
エラリー・クイーンから有栖川先生や法月先生のように、実作者と同姓同名で同業のキャラクタが語り手や視点人物であることは珍しくもないんですが、このシーラッハさんのは一段と境界が曖昧で。作者が作中人物より一段上にいる、という確信がもてない…。
ああ、その本格ミステリ好きの視点だと。
【鍵】や【精算】がそれっぽい。意外な方向に飛んだのが【イルミナティ】。
特にわたしが好きだなーと思ったのは【雪】と【家族】かな。
それと、今作は性犯罪やDV・イジメを含む暴力の描写が結構陰湿で濃密なので、人によってはムカムカするかも。
人によって、最後の一線を越える起爆装置というかスイッチの、大きさや硬軟や色はそれぞれ違う。我慢に我慢を重ねた結果パリンとガラスケースが割れて現れた起爆スイッチに飛びつく人もいれば、刷り込まれた無意識のうちに押した自覚もなしにスイッチが入る犯罪者もいる。淋しいから犯罪者になった人、若すぎて犯罪のなんたるかを知らずに罪を重ねやがて改心しても逃げ切れなかった人…。
今も、地球のどこかで、こうした「犯罪」に手を染め、「罪」に苦しめられる人がいる。
なくなることはない、「罪」。
犯罪に手を染めたその人の生来の素顔がどんなものであったのか、それを出来る限り遡り明らかにして魂まで剝き出しにしてしまうのが裁判(司法関係者)で、出来る限り隠し続けクライマックスでその幾重にも重ねられたヴェールを剥がしはしてもその一瞬の素顔ですら仮面かもしれないと思わせるのがミステリ小説…そんな気が、ふとしました。
その境界線上にあるようなこのシーラッハさんの二作『犯罪』と『罪悪』は、本当に独特な読み心地になります。
まっとうな人生とは何だろう。
そんなことをしみじみ考えてしまう、純文学に少し近い、犯罪小説とも言い切れない、唯一無二のジャンルなのかもしれません。