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「ミッドナイト詩人、クレージーなエッセイをさわやかに綴る」

詩人、俳人、時遊人が、居眠りしながら真剣に書き綴る。
世の中の奇人・変人に警告する「直ちに悔いを改めよ!」

人生の好敵手 特別編」その2

2011-02-16 00:28:01 | 知人、友人、仲間達

前回からのつづきです。

彼のよさは何でも自分でやってしまうことである。

県職員ながら休日を利用してシクラメンの栽培をしている。

元○○の水耕栽培のハウスを2棟借りて、シクラメンの鉢植えをしている。

 

彼と奥さんは、タネから鉢への移植そして出荷とほとんど二人だけで行っている。

2月下旬 苗(葉2~3枚)2週間位で、2,5号(7,5cm)ポットに移植。

5月下旬 3,5号(10,5cm)ポットに移植。

7月上旬~中旬  仕上げポットに移植。

10月中旬 出荷となります。

 

秋田の山奥の豪雪地帯で、春を楽しむ明るいビジネスをしている。

この画像は昨年11月24日、おじゃましたとき撮影したものである。

ハウスの中です、千葉県房州の「太海フラワーセンター」みたいです。

 

出荷前のシクラメンの花です。

 

この花を2鉢いただきました。後日手入れ方法がわからなかったので聞きに行った。

そのとき更に2鉢いただいた。(「カミさんにゴマすって貰ってきたの?」って言われた)

一つは姉にあげたが我が家では、いまでもきれいに咲いている。

 

彼の意外な一面とはそれだけではない。

大型特殊・大型免許を所有している、融雪材の散布や除雪作業はもちろん、

温泉地帯のボーリング調査などに協力している。(経験が必要らしい)

 

また前回の記事で車庫には

BMWが入っていた。(画像と本人の愛車とは一致しません)

外車も好きらしい、また外国旅行も楽しんでいるみたいだ。

中国の「万里の長城」にも奥さんと一緒に言ってきたといっていた。

 

彼の行動力はどこからくるのか、いや黙っていられない性格か、

年齢からみれば若すぎる、いずれにしても見習いたいものである。

 

私も、いろんなことに挑戦したが成功したのは少ない。

ただたんに物好きなだけで、器用貧乏と笑われて終わりである。

 

ここ一年間で彼と親しくなった、政治が悪いとか世の中おかしいとか言っていられない。

 

彼から学んだことは大きい、私の人生に大きくかかわってくるだろう。

 

追記 昨年の同級会で東京まで行ったマイクロバスは彼のルートで借りた。

    私が申し込んだ料金より2割も安かった。もちろんドライバーもやってもらった。

 


人生の好敵手 特別編」その1

2011-02-14 23:13:23 | 知人、友人、仲間達

「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い」 

 

上記の言葉はドイツの詩人ゲーテの言葉である。

本当にそうか? 私はそうは思わない。

同時代・同業から学ぶものは多いはずだ。

ゲーテがそう思うのであれば、彼の回りの友人はたいしたことがないと言うことだ。

 

さて前回「人生の好敵手、飲兵衛編」「人生の好敵手、仕事編」「人生の好敵手、悪友編」

と昨年記事にしたが、今回は「人生の好敵手、特別編」を送りいたします。

  

この男とはあまり深く付き合ったことはありませんでした。

「49の同級会」が終わって、翌日それもショーからその話を聞かされた。

自宅を新築したと言うのだ、それも普通ではない。

ダム湖に集まった流木材で新築したと言うのだ。

 

早速自宅を見せてもらった。なるほどと思う。

1階は車庫兼物置で2階は住まいです。ほとんどを自分で行ったとのことです。

基礎コンクリートや、ボイラー使用の床暖方式など工夫していた。

外部も流木材を上手く使って、屋根は自然落下方式となっていた。

残念ながら写真を撮ったが、パソコンの中で行方不明になってしまった。

 

内部も床も壁も天井もすべて流木材で、一般市販された建材やクロス仕上げとは

違う暖かさが感じられた。木目や節が出るのは当たり前である。

それが自然で木材の良さが表れて山小屋風に感じられるのである。

最近このような建物はお目にかかれない、一見の価値はあると思う。

完成までは、ものすごい時間と精神力の強い人でないとここまでやれないと思う。

 

ここまで誰とも言わないで始めたが、彼はそう佐○木君である。

ダム湖の流木を集めて、製材所で製品したそうです。

私には真似できない、いや建築界にいる人には無理かも知れません。

 

この建物のほかに湯○市にもう一軒住まいがあるというのだ。

彼は勤めんです、湯○勤務のとき冬期間の通勤は大変だったので、

湯○市に土地を買って新築した。この住まいには息子夫婦が生活している。

 

次回は彼の意外な一面を紹介します。つづく。

 


「人生の好敵手、悪友編」その2

2010-09-02 00:24:57 | 知人、友人、仲間達

昨日からのつづきです。

 

>○治とQとまさか田舎の同級生が三人そろうとは思ってもいなかった。

あっ今思い出した、Qを佐倉に呼んだのは私だった。その前は埼玉県にいたのだった。

なにはともあれ佐倉市に同級生がそろって、私の人生を大きく変えたのだ。

 

彼の仕事は奇麗だった、私みたいに省略しない基本に忠実に仕事をこなしていた。

そしてお客さんにも恵まれていたと思う。お客さんはそのところを理解していたと思う。

建物が完成しても、Qは家族ぐるみの付き合いをしていた。彼の性格なのかカミさんが

いいのかいやどちらも人に好かれるタイプだと思う。(ゴマをすりすり)

 

ある日、その彼が建前まで間に合わない、キザミを手伝ってくれとのことだった。

「ああっ、いいよ」で手伝いにいった。一服の時間に彼が一言つぶやいた。

「オレ、一級建築士考えている」というのだ。一瞬遅れをとったと思った。

私は二級建築士があれば大工として十分だと思っていた。ただ出稼ぎだけは続くのだ。

「そうか一級建築士を取得し、勤めれば出稼ぎから解消される」そう思った瞬間だった。

その年の出稼ぎ後に、学科試験を受験し翌年製図を受験した。結局2年かかった。

 

結婚前の彼は大変な人だった、なんと言っていいのか上手く表現できないが分かる人は

分かるだろう。結婚後はいい人になった、これはカミさんが上手に操縦していたのだと思う。

 

今年の2月に佐倉で同級会をやった、12時過ぎまで飲んだのに、私をはじめみんなを

送り届けて、自分が家に戻ったのは深夜2時半だったと聞く。酒を一滴も飲まないで最後

まで付き合ってそして、酔っ払い共を送ってくれるなかなか出来ないことである。

 

このときの同級会の画像がすべてパーになってしまった。

大切なデータがあった、東京ビッグサイト・海ほたる・木更津の建築に関する資料が

ウイルスによってすべて吹っ飛んでしまった。エロ画像を禁止したのは言うまでもない。

今回の「悪友編」から前回の「飲兵衛編」「仕事編」へとつながるのである。

私の人生において、節目節目で彼ら三人が登場し“ヒント”を与えてくれるのである。

だからこの三人には足を向けて寝られないのである。(足が水虫で困った)

その後現場監督を9年続け独立した。実際は合格した後が大変だった。

 

独立後は、スーパーゼネコンはもちろん、中央の建設会社や地元建設会社の図面を

請け負って作図した。これが今でも大きな財産となり自分で設計依頼された物件に

大いに役立っている。また現場で工期が間見合わない応援してくれといわれることもある。

昨年は山形県寒河江市で、泊り込みで工期内に完成させて帰ってきた。

「人生の好敵手、師匠編」を書いてみたいと思う今日この頃です。

 


「人生の好敵手、悪友編」

2010-09-01 00:18:49 | 知人、友人、仲間達

 

「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い」

 

上記の言葉はドイツの詩人ゲーテの言葉である。

本当にそうか? 私はそうは思わない。

同時代・同業から学ぶものは多いはずだ。

ゲーテがそう思うのであれば、彼の回りの友人はたいしたことがないと言うことだ。

 

さて前回は「人生の好敵手、飲兵衛編」「人生の好敵手、仕事編」と続いたが、

今回は「人生の好敵手、悪友編」を送りいたします。

 

タイトルと記事の内容はあまり関係ありません。

文の後先を考え自分で判断しながら読んでくださるようお願い申し上げます。

 

この男を初めて知ったのは、小学校6年の修学旅行です。

行き先は山形県忘れました、私は本校の小安小学校で彼は湯元分校です。宿での話しです、

例によって枕投げなどがあってその後布団をかけられ押しつぶされました。

私は小さかったが彼は大きかった、そのでかい奴に布団蒸しにされたのだ。

布団の中でじたばたしても、緩める気配など全然なく殺されるかと思った。

小6で140センチあったろうか? 彼はそのとき160センチはあったと思う。

 

それが中学校になったら一緒になった。でかくて乱暴な奴にはかかわりたくなかったが、

どう言う訳か彼には好かれたのだ。中三の冬休みには彼の家にA字君と泊まりに行った。

彼はそのとき自分の部屋があった、電気で感電して大笑いしたのを覚えている。

私は中三の春で153センチしかなく、18歳のとき身長が伸び始め現在170になった。

 

前回の仕事編の奴と同じで、なんで大工になろうとしたのか不思議だった。

これには彼もそう思ったらしい。いや同級生みんなが思っていたらしい。

進路指導で担任のサトー先生の影響です、男性25人のうち9人が大工になった。

 

私は21歳のとき実家に帰ってきた、彼は地元の棟梁に師事し職人になっていた。

例によって彼の家に遊びに行った。「湯に入るぞ!」といって連れていかれた。

最初は二人で湯につかっていたが、そのうち近くの母さんといったらいいのか

おばさんといっていいのか女性が入ってきた。そのとき初めて知った、ここのうちの

風呂場は共同で混浴だった。彼は「出るぞ!」と言って自分ひとり出てしまった。

困った状態になった、立ち上がれない、浴室につかったまま・・・・・・ふう~。

 

彼と遊びではいつも近くにいたが、仕事で一緒になったのは千葉県佐倉市です。

出稼ぎ先に、○治とQとまさか田舎の同級生が三人そろうとは思ってもいなかった。

 

    治のデストロイヤーに驚かされたがQも笑っていた、Qだって人のことを笑えない。

自分の“ギャラン”のフロントカバーを真っ黒に塗って真ん中より左側に「日の丸」

正確には日本の国旗をつけていた。自分では日本を代表する名ドライバーのつもりだろう。

私は彼の車に乗って懲りたことがある、運転が乱暴でハンドル操作を誤まり、

土手にぶつかって停止したことがある、殺されるかと思った瞬間があった。

よくカミさんが、彼の助手席に乗っていられるのかいまだに不思議だ。つづく。

 


「人生の好敵手、仕事編」その2

2010-08-28 00:00:01 | 知人、友人、仲間達

 

昨日「負けず嫌いの大工」からのつづきです。

 

こればかりではない、ある日私は彼んちに遊びに行った。

私「今日はがんばった、和室と台所と洋室の三部屋の天井を貼った」といった。

「俺なんか今日天井4部屋仕上げた」言うのだ。(負けた)

そのとき、青森のスドーという仲間も証言した。

私はホラを吹いて誤魔化すが、彼は本当の話だろう。

 

ただ言い訳を言わせてもらえれば私は出稼ぎ中です、11月始めと4月の後半は大変だった。

出稼ぎに出るときは、雪が降り出すし両親にも都合が悪いし、また秋田に5ヶ月で帰るの

も仕事の途中では帰れないし精神的にも苦しかった。結局出稼ぎは13年で終わりにした。

彼には彼女がいるし、炊事洗濯はしてくれるし、シャンプーなんか自分ではしたことない

といっていた。私はそのとき職人を連れていた、日常生活は自分達でやらなければならなかった。

 

平成○年私が、一級建築士の学科試験が合格したことを聞かせると、

「俺も取る」というのだ。彼の負けず嫌いに火が付いた。

翌年秋田で実家の新築中だった。彼の兄弟達は実家にお金で応援したみたいだ。

彼は「お金でなく技術で応援する」ということだった。つまり完成まで働くことだった。

私は製図試験だけでしたが、彼は学科と製図両方受験です。

つまり出稼ぎでは私が不利だといったが、今回の試験では彼の方が遅れをとっていた。

 

だが、彼はそんな愚痴など一つも言わなかった。一年間で学科と製図を見事合格したのだ。

こんな負けず嫌いな男はいまだかつて行き会ったことがない。とんでもない奴だ。

私は製図には自身があったが、製図試験で落ちれば大変なことになるところだった。

翌年私は、湯沢市の建設会社に就職した。土地を買って新築し9年間勤めて独立した。

 

彼は友達が多い、それもとんでもない友人達だ。大工職人が多いのは分かるが、

英語がペラペラの鳶工もいた。外見では判断してはいけないと思った。

仲間を大事にする彼の人柄が友達を呼び込むのだろう。いいライバルだと思っている。

 

私の親友・悪友いやライバルだ、それはこの写真の真ん中の男だ。

 

次回はなぜ、一級建築士を受験したか、それはQの一言から始まった。つづく。

 


「人生の好敵手、仕事編」

2010-08-27 23:59:59 | 知人、友人、仲間達

 

「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い」

 

上記の言葉はドイツの詩人ゲーテの言葉である。

本当にそうか? 私はそうは思わない。

同時代・同業から学ぶものは多いはずだ。

ゲーテがそう思うのであれば、彼の回りの友人はたいしたことがないと言うことだ。

 

さて前回は「人生の好敵手、飲兵衛編」でしたが、タイトルと記事の内容はあまり関係

ありません。文の後先を考え自分で判断しながら読んでくださるようお願い申し上げます。

 

今回の登場人物は同じ出身の○橋○治です。

彼は小さい頃から気が利いていた。勉強の成績は忘れましたが遊ぶことに関しては、

頭の回転が速かった。羽場山神社の伝説を参照しても普通ではない行動を取る人だった。

 

羽場分校、小安小学校、小安中学校と進み卒業後は大工職人です。

まさか同じ大工になるとは思ってもいませんでした。これには彼もそう思ったそうです。

いや同級生も高校進学するものと思っていたらしい。

私自身が一番びっくりです、たぶん担任のサトー先生の影響です。

 

彼と仕事で一緒になったのは、23歳の頃千葉県佐倉市です。

田舎では冬になると仕事が出来ません。当然若い人は出稼ぎにでます。

びっくりしました、まさか田舎の同級生が働いているとは思ってもいなかった。

 

さらに驚いたのは彼の愛車です、マツダのロータリーエンジンの“サバンナ”です。

普通なら驚かないのですが、彼のサバンナのフロントに真っ赤なペンキで落書きしている。

その形が覆面レスラーの“デストロイヤー”みたいでした。(今でも思い出すと笑える)

 

なぜって聞いたら、車がぶつかってきたので「魔除」の意味で色をつけたと言っていた。

こんな落書きをしたら、返ってぶつかってくるような気がしたのは私だけではないだろう。

当時東関東自動車道で、200kmは軽いと自慢していた。あのデストロイヤー(サバンナ)

は今どこを走っているのだろう。

 

さて話を本題に戻します。

ある日「上棟したばかりだ、野地手伝ってくれ」といわれた。

私「いいよ」と軽い返事で引き受けた。建物は平屋だったけど屋根は大きかった。

最初に破風鼻隠し、広小舞とりつけその後「屋根の半分お前がやれ」というのだ。

「え~~?」と思ったが、応援にいったのだから向こうが親方だ。

最初1時間位野地板を並べて彼を見た、私より進んでいるのだ。

 

これは大変だ、スピードアップしてまた1時間位して彼を見た。やはり私の先をいっている。

これからは、屋根の上で走りながら野地板を打った。とても一服状態ではない。

同じ屋根で同じ仕事して、大差をつけられたら大恥だ。

結局は負けちゃったけど、いい勉強になった。明日に続く。

 


「人生の好敵手、飲兵衛編」その2

2010-08-26 00:00:01 | 知人、友人、仲間達

昨日からのつづきです。

 

秋田市で4年の丁稚奉公が終えて実家に帰ってきた。

その後、彼も実家に帰ってきた。そのときの写真がこれです。

 

彼が突然結婚の話を持ってきた。どうも職場ではモテモテだったらしい。(本人談?)

結婚しても住むところがない、家を建ててくれと来た。当時30歳頃だと思う。

 

何も持っていないのだが、土地は義兄からただで貰ったらしい。

両親からは結婚のお祝いに多額の援助をいただいたらしい。

 

すぐ家の設計にかかった。新世帯の平面計画はすんなりと決定し、工事金額決定した。

当時私は二級建築士で大工職人だった。初めて設計して建築確認の申請をした。

基礎工事から、上棟式内外工事の完成と一人で行った初めての物件でした。

この仕事のおかげで大工職人としての自信ができたのと、建築の設計に向かって行く

きっかけになった。この時すでに一級建築士の勉強中だった。(翌年学科試験合格)

 

仕事は順調に進んだが難問を彼に頼まれた。

結婚式の披露宴の司会をしてくれというのだ。私に頼むということはあまりにも無謀だ。

私は今でこそ人前で大きなことを言っているが、人前にたつのが大の苦手だった。

言葉は訛っているし、滑舌は悪いし、緊張すると吃るのだ。速い話がいいことが一つもない。

それを承知で頼むのだから、どうなっても知らないという条件で司会を引き受けた。

 

そのときの友人としてのメッセージを紹介します。

今から○0年前の祝辞です、子供の作文みたいなメッセージです。

「安○君・カ○子さん結婚おめでとうございます。

私は安○君の親友というより、悪友・飲み友達と言うのが正しいと思います。

仕事は宿場結婚ですので省略します、仕事以外のことを話してみたいと思います。

 

彼は見たとおりです誰からも誘われます、遊びもスポーツも一生懸命です。

スキーだろうが、マージャンだろうが飲み会だろうが決してお断りいたしません。

秋田時代から、酒をのんではよく将来を語り合ったものです。

 

今もそうですが、決して飲みすぎてだらしなくはなりません。

金の貸し借りも几帳面ですべてワリカンです。けじめのしっかりしたところはいつも

感心させられました。節度をわきまえた友達だからこそたいした喧嘩もなく、

〇0年以上も付き合っていられるものだと思います。

 

彼は何事も筋道を通す性格だから、結婚生活でも困難なことがあっても、二人の幸せの

ために間違ったことはしないと思います。カ○子さん安心してついて行ってください」

 

 

と結んでいた。先日3階を整理していたら当時の原稿が見つかった。

 

二年前の「岩手・宮城内陸地震」で家が傾いた話はきかない。

また夫婦仲が悪い話も聞かない、むしろいいと思っている。

 

昨年まで務めた、「秋田七小町」の一人が彼の娘です。

画像で紹介できないのが残念です。

 


「人生の好敵手、飲兵衛編」

2010-08-25 23:59:59 | 知人、友人、仲間達

 

「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い」

 

上記の言葉はドイツの詩人ゲーテの言葉である。

本当にそうか? 私はそうは思わない。

同時代・同業から学ぶものは多いはずだ。

ゲーテがそう思うのであれば、彼の回りの友人はたいしたことがないと言うことだ。

 

私は同級生の仲間で、私の人生を大きく変えた男が3人いる。

同業が二人・飲兵衛が一人いる。この三人は私が困ったとき、また転職しようと考えたとき、

目の前に現れるのである。今日から親友悪友シリーズで紹介したい。

 

 

私は16歳から20歳まで秋田市で大工の修行をしていた。

休日は月に二回しかなく、小遣いも一万円位だった。

修行時代は、はっきり言って大変だった。

朝仕事が夏は5時・冬でも6時が当たり前だった。

ある日屋根から落ちた、医者にかかって休むと月2回の休日を減らすそんな師匠だった。

だから修行時代は楽しいことは一つもなかった。残念ながらオニみたいな師匠だった。

 

最初に紹介するのは飲兵衛である。

小学校の統合からずっと気があい、中学校もいつも遊んでいた。

そんな弟子の修行時代に、遊び相手の彼が近くにいた。

彼は、秋田市の板金加工会社に就職していた。

 

金がない、暇がない、あるのはため息だけだ。その中で彼の存在は大きかった。

携帯電話の無い時代に、どうやって連絡とったかは忘れたが彼といるのは楽しいものだった。

 

私は職業が大工見習いです、上棟式のときは酒を飲めるが、普段は一滴も飲めないのだ。

ある日彼の部屋に遊びに行って、日中に初めてビールをご馳走になった。

最初は美味かったが、限度を知らないので調子にのって飲みすぎた。

 

大変なことになった。

 

上からはゲロ・下からは下痢、便所に入ったきり出てこられない。

便器にしがみついて半日暮らした。現代風のウオッシュレットじゃない、中が丸見えです。

酒酔いの恐ろしさを思い知らされた。いままで生きてこれを上回る酒酔いはしたことがない。

 

彼はケロっとしていた、未成年者でいくら飲んだら酔うのか底が知れない男だった。

いまでも彼は酒が強い、彼と同じペースでのんだらこっちが参ってしまう。

 

酒ばかりではない、○郎と彼と私と三人で秋田駅前のパチンコ店にいったことがある。

パチンコ屋の店員にいきなり「歳なんぼだ」といわれた。

○郎が「二十歳だ」と答えたがどう見ても16,7歳にしか見えないいきなり追い出された。

この前彼に話したら、そんなの覚えてねえという。困った奴だ。

 

ちょっと長くなったので、明日に続く。

 


おもしろいこと

2009-07-30 00:00:01 | 知人、友人、仲間達

 

「今の時代おもしろいことはない、

   おもしろいのは一緒にいる仲間なのだ!」タカハシです。

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先週の土曜日の夕方会合があった。私は野暮用があって遅れていった。

懇親会で、みんなはすっかり出来上がっていた。残り30分くらい参加した。

 

その時、ある人に言われた。

「タカハシさん、何かおもしろいことないか?」 と質問された。

私は、おもしろいと思う心がないとなにやってもおもしろくない。

どんなイベントだって、自分から参加しなければおもしろくないと思う。

他人から誘われていやいや参加は、主催者側からみれば迷惑な話だろう。

 

私は、お金をかけないで楽しむ方法はいっぱいあると説明した。

俳句や短歌や詩作も、時間があったときチラシの裏にでもメモしても楽しい

のではないか。また他人の企画したイベントは参加費だけ払えば安いものだ。

 

「酒のんだときだけ、政治が悪いとか時代が悪い」といってるようでは、

愚痴に聞こえるし、あまりみっともいい話ではない。と言ったら

「分ったそれ以上は言うな と言われた。その人は私より5才は先輩だ。

先輩は簡単に理解できるから、意地悪したように言った。

 

一人でおもしろいのであれば、白い犬か猫を飼ったほうがいいだろう。

「尾も白い」って、落語の世界になっちゃった。(笑い)

 

ここで一句 「おもしろい二大政党のマニフェスト」 ブログ新党党首

 


ミニオフ会

2009-04-30 23:59:59 | 知人、友人、仲間達

 

今日、ネット仲間3人でミニオフ会を行いました。

11時から午後1時までの短時間です。

スコップ野郎事務所で集合、「稲庭うどん工場」見学そこで「2味せいろ二段」昼食。

「湯沢市川連漆器伝統工芸館」へ移動。

 

川連漆器の沈金彫・蒔絵の技術説明を受け、2階の原木から漆器の完成品の工程見学。

この前の「可愛い職人さん」が丁寧に教えてくれました。

         ↑ 

 

ミニオフ会の話はほとんど雑談です。こんなもんでしょう。

 

ステップ野郎に教えていただいた画像がブログに投稿できません。

画像サイズが大きすぎて拒否されました。

ブログに動画投稿するには、ユーチューブに投稿してから、

ブログにリンクさせるのがいいみたいです。

 

さて今日までの勝敗結果です。(通算120日目)

昨日の結果は、×負けとする。

今日の結果は、△引き分けとする。 

通算成績は、41勝40敗39引分です。