インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

現地紙コラム/水か紙か

2008-04-15 00:52:39 | 生活・慣習
NRI(Non-Resident Indian)、在外インド人をやじったり、興奮させ
たりするに最も容易な方法のひとつは、にこやかな会話のさなか、だし
ぬけに「あなたはトイレのとき、水で洗いますか、それとも紙で拭きま
すか」と尋ねることだと、最近私は発見した。この質問は無論、母国に
も向けられる。われわれ国民はみな、水か紙かが、愛国度を測る規準で
ないことは百も承知しているが、それはわがNRI友人のうろたえに
よって、まさしくそうなりうる。

                

インド式発音の特徴ある巻き舌の強いrがかたまったzhになる西洋生
活への実験的転換にも似て、舌と尻の間には長年のカルチャーの順応・
適用、世界観の大陸に対する変遷が横たわっている。

よりよく順応している一例を挙げよう。カナダに住むヴィヌ・ワリア氏
は、水か紙かのジレンマは、ダイアスポラ(離散インド人)のもっとも
隠された問題であると主張している。彼は、二重国籍者は常に最初に紙
で拭いて、あとでバスタブで水で洗うことによって二つの国籍を持つこ
とをおのずと主張しているようなものだとのたまう(打ち明けてくれて
ありがとう、今度訪問するときは、バスタブで体を伸ばさないようにし
ます)。わたしの叔父は、インドでは水で洗い、アメリカでは紙で拭く
ことを認め、オーストラリアに暮らすサトゥヤ氏は、水で紙を湿らせ、
ウエットティッシュとして使用することを告白した(二重国籍者の資格
充分)。

                     

少し複雑な人たちの例に移ろう。ボストンに長いこと居座っている
(s(h)itting,排便し続けている)ラガヴァン氏は紙か水かの質問に答
える前に、インドのトイレの惨状にぴりっとシニカルな独白を吐く。彼
は盛んに力説する。
「西洋のトイレは、旅行の後、お尻はやや清潔さに欠けるものの、イン
ド式では、トイレに入るとき、しきりと汚物を踏むや否やに気をつけな
ければなりません。だから、お尻にちょこっと自分の便をつけたままに
しとくか、他人の便を足につけるか(無論手にすらありうる)のどっち
かを選ぶとしたなら、私は前者を選びますよ。理性的な人間なら誰でも
そうするであろうようにね。だから、この問題は簡単に解決がつくじゃ
ないですか」

            

ロンドンのパビトゥラさんはインドのトイレの状態について論議しなが
ら、のたまう。
「新たに獲得したインドの経済繁栄にもかかわらず、われわれは、祖母
から受け継いだトイレで、錆びた鉄のバケツをほうり捨てることを非常
に厭うように思われます。しかも、あなたは、前の人が排便したあと、
洗ってない手でバケツを持って、水滴の垂れている蛇口に戻すのを確信
しているはずです。だから、紙の方が断然きれいで、ドライだし、否定
しようもなくよいですよ」
と、結論づけた。

ルミは初のインド訪問に関して、代表的なパンジャブ料理をたった一回
食べた後で、宣言した。
「なぜ水なの。インドでは氷が必要よ」
舌の炎のような辛味が減じた後、彼女はインドのバスルームにおける新
くふうについて笑いをこらえることができなかった。
「ミニシャワーホースはほんとひと騒動だったわ。この発明は明らか
に、バスルームの床をドライにしておくためのものらしいけど、わたし
の叔母は完全に用途を誤ってね。西洋からやってきただけに、叔母は床
にうずくまって、腹部と顔に撒き散らす羽目に終わったのよ。最終的に
それがなんであるか見出す前に。おお、何たること、紙の方が断然神様
の贈り物だわ」
水か紙かの問題は、NRI諸氏の祖国に対する愛と軽蔑、その生活様式
に関する汲み取り棒研究のようにすら思える。

トイレットペーパーは、単に普通のティッシュではないのではないかと
思う。それは、わがはらからを異国の風土へとつなぐ最後のへその緒で
もある。彼らの郷里とのへその緒を断ち切るフィラメント、その先は、
わが兄弟をインドの羊水膜から隔絶させる線が引かれている。

水か紙かのジレンマを越えて、偉大なるNRIの抱負、わが良友ラガ
ヴァン氏が洋の東西問わず夢見ていることは。
「ときどき私は脇に巻紙を置いて、我が家の粗末なトイレの便座に座り
ながら、すべてのトイレが、めいめいのお尻が来るたび、自動的に水を
撒き散らし、乾かし、パウダーをはたき、好ましくパタパタやってくれ
る日が来るのを夢見ているのですよ」
いまこそ、わたしたちは在外インド人の胸の奥底に横たわる本音を知っ
た思い、あるいは、NRIの尻の底にとでもいうべきか。

ジャヤ・マダヴァン(詩人・児童文学作家)
(現地英字紙、「The New Indian Express」、
2008.4.12付けの読み物記事から引用)

*    *    *

※コメント/わたしの場合

水か紙か、在印生活二十年余になる私のケースは?
ご想像のとおり、紙、です。
幼時期から母国で培った習慣は容易に変えがたいもの。昔はトイレット
ペーパーも観光地でないと、入手不可能で、当地には幸いにもストック
はあったが、粗悪製で太いダンボール状の芯に申し訳程度に紙が絡みつ
いた上げ底だった。さすがに、近年は質が向上し、ミシン目の入った柔
らかい紙質のものも出回るようになった。値段はいまだに高くて、当地
で1ケ30ルピー(75円)。

水の方が清潔なことはいうまでもないが、女性の場合は外出したときな
ど、事後下を濡らしたままにしとくわけにもいかず、不便。びろうな話
で恐縮だが、インド女性は外では自然乾燥させている様子。サリーだ
と、いまだに下穿きを着けないので、暑い国だけあってとくに支障はな
いようだ。
夫も息子も無論、水派だが、トイレで大のときは必ずタオル持参。

将来外国に出ないとも限らない息子に、紙の使い方も教えとかなくちゃ
と思っていた矢先、ちょうどいい案配にダージリンの寄宿舎生活で覚え
てくれた。向こうは水不足で、洗う水そのものが足りないせいで、学校
側は生徒にトイレットペーパーを使用させて、乗り切っていたのであ
る。

        

列車のトイレは私の大の苦手とするところ。不潔なことは無論、換気扇
がないので、悪臭がこもり、耐え難い。豪傑インド人は真っ赤な汁の噛
みタバコを吐き出したり、酒を飲んだり(一応禁止されている)、果て
は水浴びまでしちゃったりと、すごい。早朝はみながいっせいに大へと
繰り出すので、床をよく注意してみてないと、その残骸があったりし
て、ぎょっ!
私は列車では自然、便秘になってしまうのである。苦肉の自衛策。

                       

やっぱり、上記NRIの夢でもあるトトのウオッシュレットが全世界くま
なく普及すれば、一番ということかな。

                             







コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リキシャ礼賛 | トップ | カシミール民話/残酷な継母 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

生活・慣習」カテゴリの最新記事