本日は一週間ぶりに繁華街に出た。
快晴だが、やや風が強く、二ケタ台の11度の気温感はない。
広阪にあるしいのき迎賓館へ。私のお気に入りのスポットである。大正十三年(1924)創立の旧県庁舎で、大正期モダニズムあふれる建築デザインで、前庭には樹齢三百年の天然記念物物・堂型のしいの木が二本あり、格調高い外観、一階の一段降りたスペースでは月二回無料コンサートが催され、同階の両翼にある小部屋二つ(ギャラリー室)で、無料の展示も開催されている。
私は観光客に有名な21世紀美術館より、こちらのこじんまりとしたスペースの瀟洒な催しが好きで、しょっちゅう出入りしている。座席スペースもゆったりして、トイレ休憩にもいい。
21世紀美術館は観光客があふれかえり、だだっ広く展示も見にくいし、無料の催しに関しては内容もいまいち。
しいのき迎賓館のギャリースペースのほうがずっとしゃれているのだ。本日ものぞいたら、油絵展と水墨画・書画展をやっていて、小スペースながら見ごたえがあった。
大理石張りの階段を上って(踊り場の高方の壁にははステンドグラスがはめ込まれている)、二階に行くと、高級フランス料理店があり、その裏の広いスペースが全面ガラス張りになっており、金沢城の石垣を一面に見渡せて眺望抜群。いまだ残雪の残る広大な広場、その向こうに金沢城公園の石垣と、一見の価値はある絶景が開ける。春は桜、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪の、ピンク・緑・赤・白の移り変わりが古都ならではの美しさだ。
今日の催しについて一言。油絵のほうは日本の村の鎮守のお祭りがテーマになった鮮やかな原色を駆使したもの。普通村の風景画というと水彩の和画を思い浮かべるが、こってり原色の質感のあるエキゾチックな絵で、土の色は鮮やかなオレンジ、赤い鬼面をかぶった村人の行列や、赤い鳥居、巫女や神主、五色ののぼり、カラフルなバルーン、ヤギやキツネなど、原始的な画法のアニメチックと言えなくもない面白い絵だった。
水墨画のほうは、薄墨色のしだれ桜や、桜梅の競美など、こちらもなかなか見もの、書画も勇壮な字体あり、雅で繊細な流れるような書体ありで、筆が立つ人がうらやましくなるのはこんなときだ。風流な毛筆、ああ、自分にも書けたらなとうらやみつつ、あまりに達筆すぎて読むのに苦労した。
双の扇に水墨画をあしらい、金粉を散らした、三日月と滝、満月と波をあしらった作品も目を惹きつけた。
知人友人に毛筆の達人がいて(一人は師範免状を持ち書道教室を開催)、ああ、筆が立ったら色紙や自著にサインしたりできるほか、手紙なども風流になるのになあとわが身の才のなさが悔やまれることである。
快晴だが、やや風が強く、二ケタ台の11度の気温感はない。
広阪にあるしいのき迎賓館へ。私のお気に入りのスポットである。大正十三年(1924)創立の旧県庁舎で、大正期モダニズムあふれる建築デザインで、前庭には樹齢三百年の天然記念物物・堂型のしいの木が二本あり、格調高い外観、一階の一段降りたスペースでは月二回無料コンサートが催され、同階の両翼にある小部屋二つ(ギャラリー室)で、無料の展示も開催されている。
私は観光客に有名な21世紀美術館より、こちらのこじんまりとしたスペースの瀟洒な催しが好きで、しょっちゅう出入りしている。座席スペースもゆったりして、トイレ休憩にもいい。
21世紀美術館は観光客があふれかえり、だだっ広く展示も見にくいし、無料の催しに関しては内容もいまいち。
しいのき迎賓館のギャリースペースのほうがずっとしゃれているのだ。本日ものぞいたら、油絵展と水墨画・書画展をやっていて、小スペースながら見ごたえがあった。
大理石張りの階段を上って(踊り場の高方の壁にははステンドグラスがはめ込まれている)、二階に行くと、高級フランス料理店があり、その裏の広いスペースが全面ガラス張りになっており、金沢城の石垣を一面に見渡せて眺望抜群。いまだ残雪の残る広大な広場、その向こうに金沢城公園の石垣と、一見の価値はある絶景が開ける。春は桜、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪の、ピンク・緑・赤・白の移り変わりが古都ならではの美しさだ。
今日の催しについて一言。油絵のほうは日本の村の鎮守のお祭りがテーマになった鮮やかな原色を駆使したもの。普通村の風景画というと水彩の和画を思い浮かべるが、こってり原色の質感のあるエキゾチックな絵で、土の色は鮮やかなオレンジ、赤い鬼面をかぶった村人の行列や、赤い鳥居、巫女や神主、五色ののぼり、カラフルなバルーン、ヤギやキツネなど、原始的な画法のアニメチックと言えなくもない面白い絵だった。
水墨画のほうは、薄墨色のしだれ桜や、桜梅の競美など、こちらもなかなか見もの、書画も勇壮な字体あり、雅で繊細な流れるような書体ありで、筆が立つ人がうらやましくなるのはこんなときだ。風流な毛筆、ああ、自分にも書けたらなとうらやみつつ、あまりに達筆すぎて読むのに苦労した。
双の扇に水墨画をあしらい、金粉を散らした、三日月と滝、満月と波をあしらった作品も目を惹きつけた。
知人友人に毛筆の達人がいて(一人は師範免状を持ち書道教室を開催)、ああ、筆が立ったら色紙や自著にサインしたりできるほか、手紙なども風流になるのになあとわが身の才のなさが悔やまれることである。