インドで作家業

ベンガル湾と犀川をこよなく愛するプリー⇔金沢往還作家、李耶シャンカール(モハンティ三智江)の公式ブログ

巣鴨のとげぬき地蔵

2012-05-12 21:31:01 | 
都電荒川線に乗って、庚申塚で降りて、庚申堂・猿田彦大神神社(末尾の注釈参照)と刺抜き地蔵尊の祀られている高岩寺に参拝してきた。
初めてちんちん電車に乗ったが、色違いのカラフルな電車はかわいらしく、私の乗ったのは前面がピンクに塗られたものだった。
発車するとき、ベルをちんちんと鳴らすのがなんとも風情がある。

最初はレールの上を走るだけだったが、窓外を八幡神社が擦過したりで、楽しめる。飛鳥山駅界隈に来たとき、街中に出て、レールの前後に車が走りだした。郷里福井の市電さながらで、興趣が募った。

荒川線は平日の午後三時過ぎなのに、満員。ほとんどが通勤、通学者、狭い車内はすし詰め。
お年寄りも多いので、私は座らずに、運転手さんの背後に立って、前面のガラス張り窓から見る眺めを楽しんだ。
レールの囲い鉄柵に赤やピンク、黄色のバラのつるが絡み付いているのも美しい。

三十数分で庚申堂へ。
降りてまっすぐ行くと、左手に、猿田彦大神を祀った小さな神社が現れ、見ざる言わざる聞かざるの像が両側に飾られていた。
庚申塚とは、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚といわれ、庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸(し)虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。
庚申塔の石形や彫られる仏像、神像、文字などはさまざまであるが、申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を彫り、村の名前や庚申講員の氏名を記したものが多い。仏教では、庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛が彫られることもあり、神道では猿田彦神とされ、猿田彦神が彫られるのである。

地蔵通り商店街に入り、両側に並ぶ、せんべい屋、つくだに屋、和菓子店、鯛焼き屋、和装グッズ店と、いかにも下町らしい店々を冷やかして歩く。
商店街が尽きかける手前に高岩寺があった。広い敷地にとげぬき地蔵が祀られていた。江戸時代、毛利家の女中の一人が、あやまって口にくわえた針を飲み込んでしまい、医者も手の施しようがない苦しみようだったが、僧西順が「ここに地蔵尊の尊影がある。頂戴しなさい」といって、一枚を水で飲ませたところ、まもなく女中は腹の中のものを吐きだし、その中に飲み込んだ針が、地蔵尊の御影を貫いてでてきたという逸話がある通り、心身の苦悩を取り除いてくれるごりやくがあることから、お年寄りに人気のお寺だ。
左手の奥の脇地には洗い観音があり、私もみなにならって、白いお絞りのようなタオルで、青銅のお像の体中を吹かせていただいた。自分の体の痛む箇所をこすると、除かれるとの言い伝えがあるため、耳や胃、腰などをとくに念入りにこすって、ひしゃくでお水をおかけした。

とげぬき地蔵の影を切り抜いた海苔を貼り付けたせんべいなども売られており、痛いところから食べていくと、苦痛が取り除かれるとのことだったが、結局買わずに、お土産は福飴100円と海苔降りせんべい四枚入り袋90円のみ、またちんちん電車で、のどかな行程を楽しんで、始発駅三ノ輪に戻った。

夜は友人の銀座オフィスで飲み会。
話が弾み、気がつくと十一時半、日比谷線の終電時刻前で、間に合った。
宿に帰ったのは真夜中過ぎだった。

*   *

☆注釈

庚申堂・巣鴨猿田彦大神(こうしんどう すがもさるたひこおおかみ)
東京都豊島区巣鴨4-35-1

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江戸時代の文化年間(1804年~1817年)に出された地誌「遊歴雑記」によると巣鴨の祠内に納められている庚申塔は、明暦三年(1657年)一月の江戸の大火(いわゆる<振袖火事>)の後に造られ、その際文亀二年(1502年)造立の高さ八尺の碑が、その下に埋められたとされている。
この庚申塔は、旧中山道(現地蔵通り)沿いに展開した巣鴨町の北東端、すなわち旧中仙道と折戸通りの交差地に位置し、天保年間(1830年~1843年)に刊行された、江戸とその近郊の絵入り地誌「江戸名所図会」では、中山道板橋宿に入る前の立場(たてば~休憩所)として描かれている。そこの茶店で、藤の花をきれいに咲かせていたのが評判で花の頃に小林一茶も訪れて
「ふじだなに 寝て見ても またお江戸かな」 の句をつくった。
この庚申塚には、お猿さんが祀られているといわれているが、これは巣鴨近辺の有志が、明治初期に、千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したという事実による。
現在も都電の庚申塚停留所を下車して参拝する人やとげぬき地蔵の参拝帰りに立ち寄る人が跡を絶たない。


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