思い立って栗林中将が眠る明徳寺の墓所
信州百景 栗林忠道中将 栗林将軍が眠る長野市松代町の墓所。
境内には武田信玄の4名臣と謳われた高坂弾正の墓もある。
松代城(海津城)は真田幸村・信之や恩田木工を排出し、
幕末には佐久間象山が開国論を唱えるなど開国の先進地である。
その中将はクリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」で
渡辺謙が主演して、4年前に封切されたので記憶に新しい。 島の将兵は皆覚悟を決め、浮ついた笑い一つありません。悲愴決死其のものです。私も勿論そうですが、矢張り人間の弱点か、
あきらめきれない点もあります。
・・・殊に又、妻のお前にはまだ余りよい目をさせず、
苦労ばかりさせ、これから先と云ふ所で此の運命になったので、
返すがえす残念に思ひます。
私は今はもう生きて居る一日一日が楽しみで、
今日会って明日ない命である事を覚悟してゐますが、
せめてお前達だけでも末長く幸福に暮らさせたい念願で一杯です・・。
私も米国のためにこんなところで一生涯の幕を閉じるのは残念ですが、
一刻も長くここを守り、東京が少しでも長く空襲を受けないやうに
祈っています。
■地下からのゲリラ戦■
ワシントンの日本大使館に武官として駐在し、
ハーバード大学に留学した中将は、
米国の巨大な工業力を知り尽くしていた。
攻めてくる米軍を水際で迎え撃とうにも、
空爆や艦砲射撃ですぐに殲滅されるだけである。
そこで全島に強固な地下壕陣地を設け、空爆・砲撃をしのぎつつ、
上陸してきた米軍を地下壕から自在に出没してゲリラ戦で
消耗を強いるという作戦をたてた。
しかし地下10mでは温度は49度にも達す。
兵たちはふんどし一つの姿で、ツルハシ、スコップで掘っていくのだが、
1回の作業は3分から5分、5人一組で一昼夜掘っても1m進むのが
やっとだった。さらに将兵を苦しめたのは水不足である。
時折の雨水だけでは、一日4人に水筒1個分の水の配給しかできなかった。
飯米は硫黄臭い地下水か海水で炊くが、ひどい下痢で悩まされた。
中将は自らの食事も水も特別扱いを厳禁とし、
全島を廻っては地下壕作りを陣頭指揮した。兵たちは中将の作った
「敢闘の誓い」を口ずさみながら、苦しい作業を進めた。
一、我等は各自敵十人を殪(たふ)さざれば死すとも死せず
一、我等は最後の一人となるとも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん
こうして米軍が攻撃開始した20年2月では、総延長約18キロに
及ぶ地下洞が掘られ、島南部の擂鉢山には6キロの蜘蛛の
巣状の地下陣地が張りめぐらされた。
2月16日 ■Black death island! ■
かぎられた、おいしい物こそは他所に出さずに地域でこそ消費する。
例えばその特産を地域でレストラン等で提供して
、広く内外からお客様を呼ぶ。
それが本来の『地産地消』のあるべき姿と…。
レストランキハチの熊谷喜八さんでした。
農産漁村に出向き、製品の提供者ではなく、商品提供者たれと…。
しかし現場は高齢化。
数々の矛盾が生み出して魅力ある産業になっていないから、
若者が農産漁村から離れる。その現状を憂う。
新たな活動に納得しきりでした。
単一なモノが売れていた時代が元々あって、
それだけでは通用しなくなった。
モノが圧倒的に不足していた時代は、
どんなものでも作れば売れた。
「プロダクトアウト」を続けて、世の中にモノが溢れる時代になった。
となると、消費行動としては、新規需要ではなく、
付加価値が決め手になります。
市場の声を聞く、顧客の望む商品を作ろうという考えが登場しました。
農家にこそ「マーケットイン」と…。