幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

「 ものごとを成功させるには 」

2010-07-23 00:01:11 | みろく 仏教

本日、以前私に「仏さまのことはわかった、では仏さまと
つながるにはどうしたらいいのだろうか」と問うた人がいたが
その人からまたインスピレーションがあった。
この人は信仰者の一人だと思うが
「なぜ、私たちに法が説かれるのか」という問いがあった。
この人は私とつながるという縁があるのだと解釈している。
この問いについて何かしら書かなくてはならないと思う。

私自身は現在、ここから大打撃を受けているので
今と言われると何か書くことはなかなか困難である。
書きたくないと思うが問われればそのままにすることもできない。

以前、このブログの「底から光を放つ」ということは
どういうことかということを書いたとき、
「諦観の境地」から「真空妙有」へ次元上昇のことを書いたが
これがこの時にできなかったことは非常に大きいことだと思う。
「心」のほうから捕らえたら、からまわりを何度もしている。
どうどうめぐりから抜け出せない。
それが全体からみて大きいと思う。

「法の実践」「心の向上」「悟りを求めること」が
大切なことだと思う。すでに求めていると言うのなら、
大切な何かが欠けている可能性が高い。

仏さまは愛である。
しかし仏道を求めた者に仏さまの愛は
ただ優しい保護的なものだろうか。
奇跡ばかり起きるものだろうか。
そうではなく、厳しいものではないか。
なぜ厳しいか。
それは仏さまへの道は多くのものを幸せにする道であり
仏道を求めたことで仏さまからそれだけの期待をされていると
いうことでもあると思う。
仏さまのその期待は大きい。
もし、仏道を求めて世界のリーダーになりたいと祈念した人が
いたら、その道はたやすいだろうか。
様々な試練を与えられて、それがその人を鍛え上げて
世界のリーダーにする近道だとしても本人が最初の自分の
祈念したことを忘れ、こうじゃなかったと言って人を恨んだり、
世間を攻めてもなんら得るものはないし、
仏さまへの道は開かれていかない。
ちょうど階段をひとつひとつ上っていくように
試練を、そのひとつひとつを丁寧に知恵に変えていくことで
道は開かれていくのではないだろうか。


それから「知識」や「知恵」に善悪はあるだろうか。
当然あると答えるだろう。
例えで表現すると善なる人と悪なる人とそのどちらでもない人と
同じ「知識」同じ「知恵」を使ってものごとを成していく場合、
それを成功に結び付けていくために必要なことは何か。
そのものごとの確実な構成とビジョン、
もっと要素が必要だと思う。
そして同じことをしてもたったひとつのある要素をもって
善悪をも分けてしまいかねないということが
あるのではないだろうかと思う。


仏さまは言われる。

   「 その道、急ぎたくば急いで上ることだ 」





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