仏教の「四苦八苦」について
以前このブログに書いたことがあると思う。
「四苦」-「苦」「集」「滅」「道」の四諦
そして苦しみを除くために「八正道」、八つの正しい道がある。
個人でも組織でも国家でも現在起きていることは
過去、現在、未来を認識し、未来を創ることが大切と先日書いた。
四諦で現在から未来をみた場合、明らかに悪い未来が見えるとき、
必要なのはその苦しみは何かをつかむこと、
そしてその苦しみはどういうものなのか情報を集めていく、
分析していくこと、
その次にその苦しみのない(滅した)状態を明確にすること、
そしてそれに至るための道筋を考えること、
「苦集滅道」の四諦を確実におこなうと冷静に判断できることが多い。
現在の問題のひとつを四諦で言えば、
国家の財政困難、困難な原因は何かというものについて言うなら、
例えば「税収が足りない」ということ、その解決した姿は
「税収が必要な量が確保できた」、その結果「消費税を上げて必要な
税収の量に達する」という道筋があるなら、
「集」であるどうしてそうなったかという苦しみの原因を集める、
また必要な内容を分析するということが前提となり、そのために
国会で行われる国民の代表者を通し、民意の確認となってくる。
個人や社会での「苦」、苦しみの原因は何か、
仏さまの心にかなわないことであり、
自己を過信した結果だったり、
選択を間違ってしまった結果であったりすると思う。
苦しみから脱する方法をとして正しく生きる「八正道」と
いうものがある。
ひとつひとつ書いていきたいと思うこともあるが、
実際最も大切だと思うものをひとつあげるなら
私は「正見」であると思い、そのことを書きたい。
このブログに仏さまの言われる「仏性(神性)」と
「仏性と依他起生」についてかなり書いてきている。
では私自身、私の周りや関係する人の仏性しか見ていないかと
いうとそんなことはない。
普段は私はできるだけ目立たなく過ごしている。
しかし、私に近しい人は
時々私に「見据えられている」「見透かされている」と思い、
「こわい」と言う。
気がついた人は見られているようでいやだなと思う人は
私にあまり近づかないか、逆に私を排除したいと思う人が多い。
自分の心の中で正邪を分けるということを
常に行っている者にとって自分自身の仏性を見つけると共に、
他の人の仏性を見つけることもできる。
また自分にとっての過去の失敗や間違いにも気づき、他の人の
間違いにも気付く。
それ以上に社会の中の様々な事件や現象をみながら、心の中で
正邪を分けていくことをおこなう。
自他共に「正見」で見極め、そしてそこから他の人を愛するという
行為が生まれてくるのだと思う。
「仏性」はその人の仏さまの性質の現れてきているところであり、
他の人の「仏性」を信じることによって大きな働きがあるが、
もう一段深く、仏性から遠いところをもしっかり見つめる必要が
あると思う。
そのために心を磨いていくこと、整えていくことが必要だと思う。
心の法則の中に入ると思うが
自分自身の心を整える、正邪を分かつという人には
その人の周囲にその影響力がでてくる。
私自身の周りには私という人間の心を通じて
「環境の支配」ともいう影響力がでてしまう。
時にそれは都合が悪いほどに明確なものである。
以前書いたが「性善説」と「性悪説」
それ以前に自分が自分ではなく他の人をみるときに
その人の「善」からみるか、「悪」からみるか、
それによって世の中の見え方が同じものをみていても
違うように思う。