8/23 読みづらかったところがあったので追加記載しました。
今日は「心の時代を生きる4 ユートピア社会と精神世界」
について書きたいと思ったが、その前に書いたほうがよいと
思うので「霊能者とそのワールド(霊界)」について書きたい。
かなり前に書いたが私はあまり霊や霊界のことをこのブログに
書きたくない、心の世界、精神世界のことを書いていきたいと
していたがいつの間にか、神示が入ってきてかなり霊界のことを
書いてきているのかもしれない。
あまり書きたくないが霊能者について書いていく。
時々、友人と「精神疾患と霊能者は紙一重かもしれない」と
真剣に話をすることがある。
霊視ができる→幻視、幻覚がある
霊聴ができる→幻聴がある
体外離脱がある→テレポーテーションができる?
テレパシーが通じる→妄想のときがある
神々の世界からインスピレーションがある
→私には神?がついて指導している
誰かが頭の中で命令している
憑依霊→他の人格がある
精神疾患の場合は相手に非常に攻撃的、
または自分を責めているなど不安が強い、
自己の認識ができないなどいろいろあると思う。
宗教的な霊能者は主になる神または仏がいる。
そして「救済」の面をもっているというところだろうか。
いろいろな宗教にはそれぞれその宗教が作り出している
ワールド(霊界)、精神世界がある。
そのワールド(霊界)で支配している神仏か、
神と称しているものがこの世の人の集団の環境を支配し、
作り出していることがある。
霊界や宗教を知らない人にとっては洗脳だろうか。
良い宗教だと感化力かもしれない。
日本にも数多くある霊能者を主とする宗教では
その団体の霊能者たちは同じ環境で同じワールド(霊界)を
認識している。
しかし違う団体の霊能者たちはまたその環境でその団体の
ワールド(霊界)をみている。
だから霊能者は善に生き、無我な心でいないと
真実の世界ではなく、
その霊能者が求めているワールド(霊界)を
ひきつけてくる可能性は高い。
結果、宗教的な指導者である霊能者が見ている
ワールド(霊界)がその人の心が引きつけた世界になり、
現実社会もそれに応じた世界にみえてくるため、
霊界も現実社会もゆがんで見える。
心が善であり、正しく見る(仏教八正道の正見)と愛が
必要である。
神示や神おろしの人には魔が入らないようにそのための空間を
作ったり、古来より真偽をみるためにその人とは別に
識別する人がいることがある。
真実の仏さま(神仏)の世界に目覚めた人々は世界が広くても
同じ認識のワールドの中で同じものをみて、
つながっていくことができる。真実の世界だからである。
宗教団体が違っても個人の憑依霊の見立てが
同じことはあるかもしれない。ただ認識の違いがある。
霊能者同士でも例えば・・・
一人の人が「この人に悪霊が憑いている」と片方で
思っているがもう一人の人は
「今相手は霊視をして自分に悪霊が憑いていると
皆に吹聴しようとしている」とわかる。
どちらもその人の捕らえ方と思うだろうか。
精神世界に敏感な人は世の中に一定の人がいる。
また修行により自らの心をつかみ、敏感になる人もいる。
人に揉まれ、経験智の元でシックスセンスが磨かれる人もいる。
本当に神仏の世界につながるためには必要な要素がある。
まず、無我(自らを空しくする)の境地、
そして無我の境地から多くの人の幸福のため
愛を常に考えてそれを中心にしていくこと、
善悪の規準(法)、認識があることだと思う。
私は今までにある一定期間、神々の霊指導で精神修行を
何度か繰り返している。
以前にも書いたがその中に「一念三千」がある。
精神修行の中で繰り返し「慢心してはいけない」
という指導があり、これは長い間徹底的に続いた。
最初の修行の頃、「人の救済」について指導を
いただいた内容を書いていく。
誰かが必要としているのだと思う。
「霊力で何とかしようとしてはいけない」
「霊力ではなく、法力を身につけること」
という内容になると思う。
「人間が人間を救うことは不可能である。
(人間が霊能力があったとしてもその力で
人を救うことはできない)
物質的な世界の中での救いはこの世のもので
救うことは(その場限りでの救い)可能である。
人の心を救うには神仏の縁により自分の中の善に照らし、
その人の救いの一部を担うのである。(神仏や神仏の
世界の神々たちがその大部分を担う)
神仏に救いを求め、そして神仏に対する感謝と
神々に感謝することだ。
ならば善をより多くの人に与えられるように学べ。
善の縁を頂けるように学べ。
人の心をより多く照らせるように学べ。
そして人を善くする善の縁のひとつになれる自分で
いられるような姿勢を忘れるな」
このブログに初めてだろうと思うがこれは
このブログに出てくる仏さまのことばではなく、
神々の中の一人の方のことばである。
※追記 1
日本にも世界にも数多くの霊能者がおられ、
実際活躍されている方も多いのだと思う。
それから研究所みたいなところもあると思う。
このブログを読んでいただくとわかると思うが
私にとって霊能力を磨くということには
あまり興味がない。
つまり霊能力で競うつもりも念力で競うつもりも
全くない。
私にとって大切なのは仏さまです。
※追記 2
霊や霊界についてあまり書きたくないと書いたことに
ついて再度考えてみたがやはり地獄の様相については
今までの宗教にまかせたい。仏教や世界各国の宗教で
古来から現されている。
次元上昇1で信仰と心の価値に目覚めと書いたときに
地獄という善悪二元論についてもっと書く必要があった
のかもしれないが、このブログの特徴として時間の
流れの中で進んでいるので限界があり、今までも
もっとも大切だ思うことしか、書いてきていない。
内容の多くは読んでくださっている人の仏性に
呼びかけているものである。この世は一念三千、
現在ただ今の心が天国にも地獄にもつながっている
ということが大切。地獄について書き始めたら
きりがないが善悪を知るために地獄の様相が
必要だということがあるが、この世で善悪をみて
善を選んで生きていくことが大切。
天国に次元的な層が存在するのも仏教や世界各国の
宗教が現しているとおり、しかし地獄様相はいろんな
地獄があるというだけでなく地獄にも天国の次元に
相応する層が存在する。
この世の価値の罪の深さだけでなく、その人の生前の
影響力の大きさに関係がある。例えば企業のトップとなり、
一生を終えた人が二人いて、この世の価値観で
みれば業績として差がないとすると一人の人が
心の価値に目覚め、信仰が篤く、多くの人の幸せを
考える人で、もう一人は信仰があるといっても
神仏を軽んじ、人づきあいが良いが心では悪いことを
考え、結局営利と自分の欲得しかなかった、
その企業にいた人も影響を受けて同じような考え方しか
できなかった。
先の一人の人は善人と言われる人より次元の
高い天国に還るが、後の一人は先の人と全く反対の
次元相応の地獄にいく。
だからと言って次元的な地獄だけが存在する訳ではなく、
多様な地獄が存在する。
次元上昇2で宗教的な菩薩の境地を書いたが
もっと深く書く機会があったら書きたい。
それは善悪二元の世界観を転換(反転ではなく)
していくような一面があり、価値観を大きく変えて
いかざるを得ない世界である。
追加含め、今回は長くなってしまいました。