幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

今日本が取り組む問題4 追記

2010-08-28 23:03:33 | 政治
 今日本が取り組む問題4で
 日本での雇用政策、来年度の失業問題など
 国家、国民にとって大切なことだと書いてきた。
 そのとき「適材適所」と「職業選択の自由」について書いた。

   特に福祉の仕事は人と人の間で成り立つ仕事である。
   もし、全く違う仕事をしていた人が失業したからといって
   福祉の仕事をしなくてはならないとき
   それを継続していくことは可能だろうか。
   よい仕事ができないばかりか、
   なかなか難しいのではないかと思う。

 このとき、来年度の公共事業の縮小、福祉に人材を
 という話があがっていたと思う。
 気がついて下さった方がおられたと思うが
 もう少し書き足しておく。
 来年度に限って言うと公共事業が縮小し、
 福祉が増大するならば
 その公共事業の人材がそのまま福祉の仕事をすることになる。

 雇用政策で福祉の仕事について教育の場を拡大しても
 やはり、公共事業の現場におられた方が
 全て福祉の仕事に向いているかというと難しいと思う。
 
 現政権が理想を描くスェーデンでも過去人材育成として
 こういう場合は困難であったと思う。
 やはり「適材適所」が良い仕事をしていくということを
 書き足しておく。

 全く違うことだが福祉のことで
 先日、TVでマズローの欲求段階説について
 現代はどうとらえらるかというものをやっていた。

 私は現代の高齢社会となった日本ではうつなどもあり、
 高齢者についてはまず欲求を起こすために
 心の価値観が大切、心が健康であることが大切、
 家族皆んなの心の健康が大切であると思う。
 
 福祉教育を受ける人たちだけではなく
 心の教育が大切であると思う。





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「霊能者と心の世界(精神世界)」

2010-08-22 02:30:00 | 心の時代
8/23 読みづらかったところがあったので追加記載しました。


今日は「心の時代を生きる4 ユートピア社会と精神世界」
について書きたいと思ったが、その前に書いたほうがよいと
思うので「霊能者とそのワールド(霊界)」について書きたい。

かなり前に書いたが私はあまり霊や霊界のことをこのブログに
書きたくない、心の世界、精神世界のことを書いていきたいと
していたがいつの間にか、神示が入ってきてかなり霊界のことを
書いてきているのかもしれない。

あまり書きたくないが霊能者について書いていく。
 
時々、友人と「精神疾患と霊能者は紙一重かもしれない」と
真剣に話をすることがある。
   霊視ができる→幻視、幻覚がある
   霊聴ができる→幻聴がある
   体外離脱がある→テレポーテーションができる?
   テレパシーが通じる→妄想のときがある
   神々の世界からインスピレーションがある
        →私には神?がついて指導している
         誰かが頭の中で命令している
   憑依霊→他の人格がある

精神疾患の場合は相手に非常に攻撃的、
または自分を責めているなど不安が強い、
自己の認識ができないなどいろいろあると思う。

宗教的な霊能者は主になる神または仏がいる。
そして「救済」の面をもっているというところだろうか。

いろいろな宗教にはそれぞれその宗教が作り出している
ワールド(霊界)、精神世界がある。
そのワールド(霊界)で支配している神仏か、
神と称しているものがこの世の人の集団の環境を支配し、
作り出していることがある。
霊界や宗教を知らない人にとっては洗脳だろうか。
良い宗教だと感化力かもしれない。
日本にも数多くある霊能者を主とする宗教では
その団体の霊能者たちは同じ環境で同じワールド(霊界)を
認識している。
しかし違う団体の霊能者たちはまたその環境でその団体の
ワールド(霊界)をみている。
だから霊能者は善に生き、無我な心でいないと
真実の世界ではなく、
その霊能者が求めているワールド(霊界)を
ひきつけてくる可能性は高い。
結果、宗教的な指導者である霊能者が見ている
ワールド(霊界)がその人の心が引きつけた世界になり、
現実社会もそれに応じた世界にみえてくるため、
霊界も現実社会もゆがんで見える。
心が善であり、正しく見る(仏教八正道の正見)と愛が
必要である。
 


神示や神おろしの人には魔が入らないようにそのための空間を
作ったり、古来より真偽をみるためにその人とは別に
識別する人がいることがある。
真実の仏さま(神仏)の世界に目覚めた人々は世界が広くても
同じ認識のワールドの中で同じものをみて、
つながっていくことができる。真実の世界だからである。

宗教団体が違っても個人の憑依霊の見立てが
同じことはあるかもしれない。ただ認識の違いがある。
霊能者同士でも例えば・・・
一人の人が「この人に悪霊が憑いている」と片方で
思っているがもう一人の人は
「今相手は霊視をして自分に悪霊が憑いていると
皆に吹聴しようとしている」とわかる。
どちらもその人の捕らえ方と思うだろうか。

精神世界に敏感な人は世の中に一定の人がいる。
また修行により自らの心をつかみ、敏感になる人もいる。
人に揉まれ、経験智の元でシックスセンスが磨かれる人もいる。
本当に神仏の世界につながるためには必要な要素がある。
   まず、無我(自らを空しくする)の境地、
   そして無我の境地から多くの人の幸福のため
   愛を常に考えてそれを中心にしていくこと、
   善悪の規準(法)、認識があることだと思う。

私は今までにある一定期間、神々の霊指導で精神修行を
何度か繰り返している。
以前にも書いたがその中に「一念三千」がある。
精神修行の中で繰り返し「慢心してはいけない」
という指導があり、これは長い間徹底的に続いた。

最初の修行の頃、「人の救済」について指導を
いただいた内容を書いていく。
誰かが必要としているのだと思う。
「霊力で何とかしようとしてはいけない」
「霊力ではなく、法力を身につけること」
という内容になると思う。

  「人間が人間を救うことは不可能である。
   (人間が霊能力があったとしてもその力で
   人を救うことはできない)
   物質的な世界の中での救いはこの世のもので
   救うことは(その場限りでの救い)可能である。
   人の心を救うには神仏の縁により自分の中の善に照らし、
   その人の救いの一部を担うのである。(神仏や神仏の
   世界の神々たちがその大部分を担う)
   神仏に救いを求め、そして神仏に対する感謝と
   神々に感謝することだ。
   ならば善をより多くの人に与えられるように学べ。
   善の縁を頂けるように学べ。
   人の心をより多く照らせるように学べ。
   そして人を善くする善の縁のひとつになれる自分で
   いられるような姿勢を忘れるな」

このブログに初めてだろうと思うがこれは
このブログに出てくる仏さまのことばではなく、
神々の中の一人の方のことばである。



   ※追記 1
   日本にも世界にも数多くの霊能者がおられ、
   実際活躍されている方も多いのだと思う。
   それから研究所みたいなところもあると思う。
   このブログを読んでいただくとわかると思うが
   私にとって霊能力を磨くということには
   あまり興味がない。
   つまり霊能力で競うつもりも念力で競うつもりも
   全くない。
   私にとって大切なのは仏さまです。

   ※追記 2
   霊や霊界についてあまり書きたくないと書いたことに
   ついて再度考えてみたがやはり地獄の様相については
   今までの宗教にまかせたい。仏教や世界各国の宗教で
   古来から現されている。
   次元上昇1で信仰と心の価値に目覚めと書いたときに
   地獄という善悪二元論についてもっと書く必要があった
   のかもしれないが、このブログの特徴として時間の
   流れの中で進んでいるので限界があり、今までも
   もっとも大切だ思うことしか、書いてきていない。
   内容の多くは読んでくださっている人の仏性に
   呼びかけているものである。この世は一念三千、
   現在ただ今の心が天国にも地獄にもつながっている
   ということが大切。地獄について書き始めたら
   きりがないが善悪を知るために地獄の様相が
   必要だということがあるが、この世で善悪をみて
   善を選んで生きていくことが大切。
   天国に次元的な層が存在するのも仏教や世界各国の
   宗教が現しているとおり、しかし地獄様相はいろんな
   地獄があるというだけでなく地獄にも天国の次元に
   相応する層が存在する。
   この世の価値の罪の深さだけでなく、その人の生前の
   影響力の大きさに関係がある。例えば企業のトップとなり、
   一生を終えた人が二人いて、この世の価値観で
   みれば業績として差がないとすると一人の人が
   心の価値に目覚め、信仰が篤く、多くの人の幸せを
   考える人で、もう一人は信仰があるといっても
   神仏を軽んじ、人づきあいが良いが心では悪いことを
   考え、結局営利と自分の欲得しかなかった、
   その企業にいた人も影響を受けて同じような考え方しか
   できなかった。
   先の一人の人は善人と言われる人より次元の
   高い天国に還るが、後の一人は先の人と全く反対の
   次元相応の地獄にいく。
   だからと言って次元的な地獄だけが存在する訳ではなく、
   多様な地獄が存在する。
   次元上昇2で宗教的な菩薩の境地を書いたが
   もっと深く書く機会があったら書きたい。
   それは善悪二元の世界観を転換(反転ではなく)
   していくような一面があり、価値観を大きく変えて
   いかざるを得ない世界である。
   


  
追加含め、今回は長くなってしまいました。



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「日本のアニメと霊界」

2010-08-17 22:23:00 | 日記


*日記です*
いじめと因果応報を書いていたら
日本のアニメーションの話を書きたいと思った。
今や日本はアニメで世界に出ている国でもある。

私も今は見ることもないが、ずっと以前に見た
「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」は
心に残っている。
たぶんどちからも「心」がテーマだからだと思うと
同時にこれからの時代の警告としては十分だと思う。

「天空の城ラピュタ」は神になりたい、
人を支配したいという心と
それは間違いであるという心が示されている。
こんな構図はこれからの時代
有り得るのだとと思う。

話を戻すが
日本のアニメーションには実によく霊界が出てくる。
なぜ、こんなに出てくるのか不思議だと思う。
もちろん見ている訳ではないがCMなどを見ても
「霊界」「念力」「法力」「封印」「魔術」など
本当にたくさんの霊界を含んだ話が多い。
これを見た世代の子どもはどう感じるのだろうか。
あるところで有り得ないと思いながら
アニメーションの世界に入り込む楽しさがあるのだろうか。
どうなのだろうか。

霊界は現にある。

日本のアニメーションが世界に出ていく。
世界の子どもたちやアニメーションのファンは
いったい霊界をどうつかんでいるのだろうか。





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「仏性と因果応報」

2010-08-17 22:13:00 | みろく 仏教
このブログにもいくつか因果の理法について
書いてきた。
「因果の理法は人を幸せにするためにある」と
書いた。

仏教の言葉で因果の理法というと
同じ因果のことで「不昧因果」「因果応報」と
いうものがある。
もう少し言えば、「縁起」などもある。
思い立つまま書いていく。

「不昧因果」は因果を昧ますことはできない。
特に悪いことをするとその因果が回ってやがて
自分の身に起きる。良いことをするとまた
自分の身に返ってくるということだと思う。

「因果応報」特に悪いことが起きたときに言われ
その元となる現象があり、そして今の悪い現象が
おきているのだ、因果がまわり、報いがあったのだと
ということだと思う。

「いじめ」はあってはいけないのだが
どんなところにもある。
歴史上、「そもそも人間とは・・・」という
人間の醜悪な部分として捕らえた差別問題について
現代は数多く取り組んでいる方々がおられることだと思う。

いじめる人に仏性はないか。
悪いことをする人に仏性がないか。
そういう人を見ていると仏性はあるのだと思う。
ただ、その仏性が現れにくい。
現れにくい人やそういう時に
「それでも仏性を信じよ」というより
距離をとり、時間を待つほうがようのだと思う。

特にいじめの問題についていうと
いじめる人は必ず、正論を見出そうとする。
いじめは悪いことだと自らの心が
知っているからなのだと思う。

いじめているのにいじめじゃないという場合は
「大儀名文」をかざす。
またいじめているのに言い訳するときは
「その子が悪いんだ」という相手の悪いことを
取り上げ、いじめる理由にする。
また「みんながその子がいやだと思っている」と言って
いやな子であるように噂を流し、仲間を増やす。
また日本のアニメーションンの影響か、
「因果応報」と言ってその子が悪いから
いじめられて当然と言っていじめを正当化する。
どれも人間として、してはいけないことだと思う。

このブログに書いてきたように「因果の理法」は
人を幸福にするために仏さま、神仏が法を
この世界にめぐらしたものである。

「因果応報」は仏さまの扱う神仕組みであり、
人が人の手でおこなうものではない。
まして人間が小さな神になって人を裁き、
いじめ、不幸にするものではない。

人が人に「因果応報」として悪しきことをしていたら
それは権力の問題であり仏さまの意思ではない、
仏さまから見ると神の如く振舞う人間が同じ人間を
裁き、傷つけている姿にしか見えないのだと思う。




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混沌とした時代 1

2010-08-15 15:15:15 | 日記

混沌とした時代に
様々なことがおきてくる。


     


これは今年の5月に撮った写メの一枚だが
これを見ると憂鬱な気分になる。

世界では
天変地異のような大きな災害が相次いでいる。
今年は世界で豪雨、熱風が襲う。

天の声(神仏の思い)に耳を澄ませて
みる必要があるのではないか。

一番大きなものは神仏の存在を
認めないこと、人間が全てであるという心
また神仏さえ自分の思いどおりにしようとする心

仏さまは愛である。
だが神仏の存在を否定した愛は
本当の姿ではない。

先日「祈りの力」を書いたが
全てを失ったとき、また全ての力を失ったとき
いや、それ以前に全てをなくさないために
仏さまへの信仰による祈りがもっとも
大切なのだと思う。

先日このブログに書いたが
東南アジア、オセアニアの地震は
地殻の変動、しばらく繰り返し
地形の変化がえくるのだと思う。





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心の時代を生きる3 「幸福の芽」

2010-08-15 02:30:00 | 心の時代

まず、「Miroku shows the God」について書きたい。
今、日記を振り返ると最初に書き始めたころはまだ、
このブログのみろく神示の始まり、日月神示について
書く未来が決まっていなかったことがわかった。

このブログに書いている「Miroku shows the God」の
部分については仏さまからのインスピレーションに
できるだけ忠実に、また読んでくださる方にわかって
いただきやすいように書いている。
そのまま書くというものはそのまま書いているが
インスピレーションだけでは、まずイメージが
先におりてくるので私自身への言葉として
おりているものを変換していることがあったり、
誤解を招きやすいものを変換したり、
また仏さまの怒りや悲しみについては
そのままブログに書くに忍びないものがある。
私自身が書くのが辛いこともある。
私が書くのをためらうとかなり厳しく
「書きなさい」とインスピレーションが
あることも多くある。

このブログに様々な真理(法)が含まれているが
その元となるインスピレーションがある。

昨年4月5日は私が真理のため、たとえ一人になっても
仏さまと共に生きる決意を固めた日だった。
 
昨年の5月4日  Maser of Master
「 よくここまで成長した
  思う存分、その身にまとった法を説くがよい 」
このインスピレーションをいただくまでに
私自身どれほどの困難、苦しみがあり努力したか、
添えて記載しておく。
 
他にも数々あるがそれが私を不惜身命にし
勇気となり、今こうやってブログを
続けている力となっていると思う。



   蓮の小さなつぼみ

   





先日、心の時代を生きる2で菩薩の姿について書いた。

  「 泥中に咲く蓮華の花が
    自らが花を咲かさんとして
    努力してきた道を伝え

    また目の前にいるその人が
    自らの過去世の修行の姿であると思い
    導き、そしてその人の花を咲かす
    手助けをする姿である 」

今回、蓮華の花から仏道の言葉がでてきているが
全体のイメージとしておりているのは
神仏への畏敬の思いがある信仰者であり、
Master of Masterへの信仰がある人々へと
いうものである。
  
仏教の言葉で「抜苦与楽」というものがある。
苦しみを抜いて幸せになること、
またその道筋のこと
無明の闇から抜け出て幸せをつかむことだと思う。

信仰者から見ると自分の身の回りにいる人の
苦しみについてその苦しみの原因をなんとかしたいと
その人を裁く気持ちが多く生じることがある。

しかし、闇を払おうとしても闇は消えない
闇は朝陽が昇ると消えていく。
仏さまへの信仰と真理が広がっていくほうが
世の中は光となっていく。

一人の人の苦しみもその苦しみを取り出して
改めなさいと言っても困難なことは多い。
それより負の要因をつかみながら、その人の
仏性、光の部分を探しそれを大きくしていくほうが
はるかに人は幸せになれる。
「幸福の芽」を探し、育てていくことが大切だと思う。

国家、組織のリーダーでも同じことがある。
原因をつかみ、リスクマネジメントを十分にしていきながら、
その国家、企業、団体の光の部分を伸ばしていくことが
発展していく力となる。
苦しみ、闇をなんとかしようとばかり努力をしても
維持していくより低迷していき、
発展への道は見えてこない。

「幸福の芽」は自他共に仏性を探す道であり
光を見出し、そしてそれを伸ばしていくことでもある。







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蓮の花 4

2010-08-14 23:30:00 | みろく 仏教
お盆なのでもう少し蓮の花を、
先回一緒に撮った蓮の花です。

 
   


 
植物には成長のエネルギーがある。
そして人間にも成長のエネルギーがある。
種から芽を出し、成長していき、
そしてやがてつぼみになり、花が咲く。
様々な花がある、どれひとつと同じ花はない。
その成長のエネルギーを
いかに良きエネルギーに育てていくか。
今の時代、一番先に言わなくてはならないのは
自己責任であり、誰のせいにしても人は幸せに
なることはできない、自分自身の力でつかんで
いかなくてはならないと思う。
そして社会や国家がいかに人が幸せになるものを
創っていくか、
様々な問題に気がついたとき、その現在ただ今から
どうしていくかが大切なのだと思う。


   






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 心の時代を生きる2    Miroku shows the God 32

2010-08-13 03:33:03 | みろく神示

  何度も泥中の花について書いているが
  蓮華の花は仏教の言葉で「上求菩提下化衆生」に
  つながっていくと思うと書いた。

  インドの頃の僧団では心の修行を行い、
  自らの悟りの向上を目指し、仏さまに近づいていき
  悟りを得ることを修行としていた。
  インドの時代は階級があったので上下という表現だが
  仏道修行者は自らは仏さまを求め修行をしていくが
  一方では衆生に仏法を伝え、悟りの道に
  導いていくことが大切だった。

  泥中の花はインドのお釈迦様の時代に
  仏道を求め、心を磨き清らかな花を咲かせることが
  大切というものだと思う。

  心の時代を生きる1では「三諦円融」
  あの世とこの世があり、心の向上を目指し、その中で
  仏さまの意図を感じ取りながら生き、そしてそれを
  社会にも反映していくこと、仏さまの意図に添って
  今の時代を生きていくことが大切であると思うと書いた。

  インドのお釈迦さまの時代から年月がたち、
  学問、教育がある時代、そして情報社会に生きる
  私たちにとって「心の時代を生きる」とはどんなことか、
  それには仏さまはいったいこの社会をどうみているのかと
  考えてみることが大切だと思う。

  本来、仏さま、神仏の目は
  この世とあの世の全てを見つめている存在である。
  現代社会であの世の存在を知りながら、神仏と一体になって
  神仏の目で見たらこの世はどう見えるか、、
  「どうしたら多くの人が幸福に生きることができるか」を思い
  それを社会に反映しながら生きていくことが大切であると思う。

   「 泥中の花は自分を磨き、きれいに咲くが、
     泥も根も暗闇の中、もがきながら一生懸命に生きている。
     泥も根も心のどこかで花にあこがれ、花になってみたいと
     思っている。 」

  仏さまは蓮華の花のみではなく、その泥も根も暗闇の中で
  迷っている。また葉があり、花が終わって実になろうと
  するものもある。その全てに仏性が宿っている。
  そして空気があり、太陽の光がある。
  その環境の中で仏性をもつ泥も根も
  花に向かっていくにはどうしたらよいか、
  幸福になるにはどうしたらよいか、そう考えていると思う。

    





     Miroku shows the God 32

   「 仏道を求める者よ
     蓮華の花を咲かさんとするものよ

     神仏の存在があり
     そして永遠の生命があることを
     多くの人に伝えてほしい

     そしてあなたがたのその悟りの力で
     この世の多くの人々を幸福に導いて
     いってほしい

     それは泥中に咲く蓮華の花が
     自らが花を咲かさんとして
     努力してきた道を伝え

     また目の前にいるその人が
     自らの過去世の修行の姿であると思い
     導き、そしてその人の花を咲かす
     手助けをする姿である

     それが菩薩の境地である

         Master of Master        」


  これは現世に自らが花咲かせようとする
  地湧の菩薩の境地、世のリーダーの境地である。

  大いなるものへの信仰のもと
  自らの心をつかみとり、
  自他共に心を大切にし幸福な世界を築かんとする
  そういう心の時代を生きることだと思う。



  次元上昇の2段目である。  
  


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「今日本が取り組む問題 7 」

2010-08-11 00:45:45 | 政治

先日、今日本が取り組む問題6で内需のことを書いたが
日本の貯蓄は消費しにくいものになっていると思う。
団塊の世代以前方々の貯蓄が多く
これからの高齢社会、社会保障の不安があり
それを消費しにくいからだ。

今、日本が国債を発行してすると誰が購入するのだろうか。
一般では貯蓄を持つ世代の人々だろうか。
しかし、現代はグローバルな情報社会でもあり、
インターネット時代でもある。

米国の経済政策の2で「自由」の限界について書いた。
人には仏性があるとこのブログに長い間書いてきた。
しかし、その仏性の現れ方は人それぞれである。
それは子どもの頃からの環境、教育に大きく影響される。
そして共産主義で教育された国の人々には
自由主義で教育された人々と違う正しさの価値観がある。
また宗教性の高い国ではその環境を支配している
正しい価値観がある。
そのどれもが仏性かと言われれば、
それは歴史の中でその時代の宗教的な正しい価値観は
あると思うが、歴史が流れ、
現代ではこのグローバルな世界での正しい価値観、
そして元となる仏性というものがある。

ただ、過去、現在、未来の歴史の中での正義を
捕らえて考えられる国家と自国の価値観のみが
正しいと思う国家では自由主義、民主主義を主として
判断する考え方のみでは交渉しにくい、考え方や常識の違いを
十分に踏まえていかないと困難、知恵が必要となると思う。

世界戦争は起こるか。
世界戦争は何も軍事力だけの問題ではなく、
静かな静かな戦略的な侵入ということが
国家を揺るがし、国力を弱めることもあると
考えなくてはならないのではないか。

今、日本は国債は日本人が購入しているとしているが
すぐにそれがくずれていくのではないかと考えられる。
世界からみてもっとも安心できる国債だからである。
国債を購入するのは誰か。

先般からのEUでの問題やそれから米国の国債の購入先を
考えてみてもこれからの日本の国債を購入しようとするのは
主に海外になる可能性があるのではないか。
その結果どうなるか、十分に考えてほしいと思う。

それから今、日本と他国の平和と安定のために
何が必要かという問題があると思う。

以前このブログの「軍事力と共同体」に書いたが
大きな共同体を護るにはまず、自国を護り続けることが
もっとも大切なことであると思う。
他国と平和と繁栄の為のパートナーとなるために
日本に今もっとも必要なのは他国と同じ土俵にのり
話ができるための国を護る軍事力であることを
考えてほしいと思う。






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「今日本が取り組む問題 6」

2010-08-06 00:07:00 | 政治
なぜ、だろうか。
日本経済が海外に向けてばかり経済成長を探している。
現在の日本では内需を拡大する要素を探すことのほうが
大きな成長がみられるだろうと思う人はいないのだろうか。
私は何度も書いているが経済に特に詳しいわけではない。
だが、来年の日本経済は今年の日本経済と
大きく変化してしまうだろうと予測がたっている。
日本経済、そして世界経済の中の日本で
大きな問題がいくつも見られる。今後、また書いていきたい。

今ままでは外需の拡大で経済成長した。
しかし、今外需を拡大すると低迷が長引くという構図を
みている人はいないのだろうか。
少なくとも今のままでは来年は外需さえ
現在より低迷しているだろうと予測されるのではないか。
今では言われているが、消費世代の収入減少、消費縮小の問題に
ついてはもっと政策で解決できるものはある。
それから日本はまだ新しいものについて消費の力が十分にある。

そして現政権が言われている「地域主権」について
以前からある若い政治家から強い強い心が届いている。
「この理想に問題はないか」
後日この問いにも丁寧に考え、答えてみたいと思う。

今私の心に止まっているのは
現政権の言われる「超党派」に正義はあるのだろうか。
政権政党が提案、それを議論していくというごく普通の
ことがなされることが大切なのではないかと思う。





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みろく神示について 2

2010-08-03 21:09:09 | みろく神示


この日曜日にインスピレーションがあった。
「まず信仰者」という言葉から始まったみろく神示の
インスピレーションについて
ひとつの使命(役割と言ったほうが良いか)が
終わったと。
もっとも簡単に言えば仏さま(Master)の怒り、悲しみを
私がこの身に感じたことによるものだ。
霊的な神仏の存在。


使命と言えば到達するところ、または終着点があると
思うがそのことについては今後に期待したいと
言えばよいだろうか。

私自身はかなり辛いことだった。

ただ、このことについて書いてきた中で
様々な時期に様々な人の仏性のきらめきを感じた。
この感触がなかったらきっとここまで
書いてこなかったと思う。


日月神示の内容はわからない。
今後もこだわって書いていくことはないと思う。





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