幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

現代のコミュニティの形成 7

2011-09-20 01:33:00 | 現代のコミュニティ
※6→7へ訂正しました。


昨日はあるところである経済学者の方のお話を
聞いていました。

お話の最後に「震災後、経済の新しい形」という言葉があり、
それから経済とコミュニティについて思慧をしていました。

昨夜はnetを見ていて日中の思慧からつながり、
今日は現代のコミュニティについて書いていきます。


この前に書いた「現代のコミュニティ5」が災害前だったので、
最初にこれを書こうと思ったときに思わず、涙が出てきました。

「経済の新しい形」と「コミュニティの新しい形」、
このブログは最初にコミュニティと災害のことを書いていますが、
災害が起きなくても、今書いていく現代のコミュニティの形に
変えていくことは可能だと思っていました。

しかし、今後は現実を捉えて書いていくことになります。

新しいことを書く訳ではないのですが、
日本のコミュニティの形と北欧のコミュニティの形は
違っていることが必要だと思っています。

モデルと日本の形ということになるのでしょうか。

その要素は「家族」です。
「大きな社会」の小さな単位は家族と思います。

日本で近年聞こえている「地域包括ケア」ということに
ついてもそうですが、北欧も日本も「個人」ということで
コミュニティケアを捉えているのではないでしょうか。
もう少し細かいところで日本は「個人」としてと
「家族」としてというところが混在していると
いうところではないでしょうか。

今、日本はコミュニティケアをどうしていくのでしょうか。

北欧と同じく「個人」を捉えるのでしょうか。
それとも家族制度から形が変化してきていますが
現在ある日本の家族単位を大切にするのでしょうか。
対価的なことではなく、単に心のことでもないのですが、
日本経済、世界経済、そして動向をみても
現実的におこなっていくとすると
日本はコミュニティの新しい形として、
家族を含めていくことが大切ではないでしょうか。



これは現在の日本で不可能なのではないかと
思っていることがありますが、重要なことなので
今、ここでひとつの提案として書いておきます。
少子高齢社会、世界の為にも書いておきます。

定年制(定年制があることが前提です)は現在より
1年でも2年、5年でも早くし、
その後に新たな雇用体制を整える。
そうすることで若い世代の雇用を進めることができ、
若い世代の経済の安定する。
定年退職後の第2の雇用を10~15年に長くする、
または雇用という形でなくてもよいと思います。

まだ提案という形です。
簡単なことではありません。






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現代のコミュニティについて 続き 7 幸福の芽を摘む

2011-06-09 00:03:00 | 現代のコミュニティ

「 現代のコミュニティについて 」そして
「 続き 」は私が現代のコミュニティについて書くことに
なった理由について書いてきたと思います。
この内容には私の「悲しみの手」そして「パンドラの箱」と
いう言葉を使っています。
今日はdiaryから後日「続き 6」を追加するつもりで
「続き 7」を書いていきたいと思います。



幸福の芽の題で「不幸の芽を摘む」を書いたとき、
反対の視点から
「幸福の芽を摘む人」を次に書きたいと思っていましたが
書かないで終わっていました。
内容として近いとするなら「いじめ」について
書いたものと思います。
仏教でお話しするなら幸福の芽は自分作りであり、
小乗に近いものでしょう。
不幸の芽を摘むは知恵を身につけてリスクを
減らしていくこととなると思います。
そして幸福の芽を摘む他の人の存在があります。
それは大乗、良い法が広まっていくことが
大切と思います。

個人個人が小乗を行って自らの身を修めていましたら、
それでよいのでしょうか。
それだけでは世の中は良くなっていくでしょうか。
他の人の幸福の芽を積極的に摘もうとする方々がいます。

自分のことだけを大事にし、
他の人をいじめたり、蔑んだり、
せっかく努力してもその努力をなきものにしたり、
またその成果を自分のものとしたいと思い、
そういう行動をしたり、
例え自分が間違っているのがわかっていても
力のあるものに寄っていくことで
自分が有利になろうという卑しいことをしたり、
そうして他の人を陥れたり、
自らのために嘘や偽りを使って自らを正しいという。
他の人の過去にまで遡っていって悪く言う。
そうやって人の幸福の芽を摘む人々がいます。
他の人の幸福の芽が伸びてきたときに
それ自体が面白くなくその芽を摘もうともします。

言葉が悪いかもしれませんが、
偽善者であったり、
本来の仏性があまり現れていない状態と
いうことになると思います。
そしてひとつの原理もあります。  封印Ⅳ

ではどうしたらよいか。
やはり、質のよい教育を基盤に持つことが
大切と思います。
そういう行為が悪いということを
知ることが大切と思います。
そういう心(精神)を培うことが大切と思います。
そういう精神を持った国家が形成されることが
大切と思います。
そういうことがあったらそれは間違った行為であると
そう思える社会を作ることが大切と思います。
もうひとつ大切な原理がありますが 
「いじめ」や嫌がらせが少ない国家、社会を作るという
ことが必要です。
まだまだ、言葉が足りていません。






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現代のコミュニティの形成 6

2011-03-06 23:33:00 | 現代のコミュニティ

本日、現代のコミュニティについても考えていた。
今、日本では高齢者福祉では施設志向が
強いと思うと以前このブログに書いた。

これからの少子高齢社会、国民の希望どおり施設を
建てた場合、国家や財源が無い。
無いというよりそのために何かしら税率が
上がることになる。
むしろ、財源が無いときのほうが地域コミュニティを
考えることになる。
現代のコミュニティ、地域コミュニティは
これからの社会必要であると思う。

しかし、現在の国民はその逆で施設志向が非常に
強くなってきている。
この先、施設志向という希望がかなわないと
いうことを国民に理解し、現代のコミュニティを
形成していくことができるか。
せっぱ詰まって財源が無いから施設の希望はあるが
これ以上建てられない、人件費も無いと言うことが
良いのだろうか。

その前に最も考えなくてはならないのは
老人福祉施設のあり方なのではないか。
保険施設だからと言われているが待機者が多い。
今介護をしている世代の方々、50~60歳台の方は
自らが入所希望している方は多いのではないだろうか。

この世代の方々もまたその子の世代も傷つかず、
心の準備ができるという方法はないかと考えていた。

そのひとつとして
今から施設のあり方を再度考えることで
最も必要な人が利用できるということが
形として見えていたほうが良いのではないか、
保険料を使用して施設であるから
そういうことは困難なことなのだろうか。




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現代のコミュニティの形成 5

2011-02-19 20:33:00 | 現代のコミュニティ

このブログに現代のコミュニティについて
書いてきている。
現代のコミュニティと「依存心」について書きたい。

現代のコミュニティは誰かが誰かに
依存するものではない。
年代を超えて支え合うものだと思う。

年代を超えて支え合うというものは
同じ高齢者でも元気な人が支援が必要な人を支え、
働き盛りの方でも就労していない人が
地域活動に参加していく、
若い人ができるところで高齢者の生活を支え、
そういう支え合いのものであると思う。

地域では現在でも活動されている方はおられると思うが、
これから少子高齢社会では現代のコミュニティは必要、
そのために支援が必要な人と支援ができる人とどちらも
「依存心」を最小限に抑えていくことが
大切であると思う。
そして「人権」をどちらかが強く求めすぎないことも
大切である。
日本人らしくというところで良いのではないか。
先日の「人権」と「自立」にも当てはまるものである。

今、日本の高齢者福祉では施設志向が大きい。
国民が現代のコミュニティを本当に必要と
考えられるのはもう少し先になるのだと思う。

この「依存心」必要以上の「人権」を
国家で育ててはならないと思う。
その方向にいってしまう政策や啓蒙、教育は
現代のコミュニティの形成は困難になってくる。
「依存心」を先にもってしまった場合、
それまでのその人の良さが見えなくなってくる。
国民全体に及ぶことを恐れる。

もし、現代のコミュニティ、民主主義を超えるものが
この日本で形成されず、他国だけで形成されることが
あったら残念であると思う。


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現代のコミュニティの要素2福祉ーまとめる人3

2011-01-14 00:30:00 | 現代のコミュニティ
現代のコミュニティの組織づくりは
組織を形成しようとする方々の人間性が大きく反映していく。
様々な発心で活動されていると思う。
その思いにその人の哲学があり、崇高ささえ感じることがある。

現代のコミュニティの「目的」の性質とは何か、
「目的」に「良識」としてのもの以外に
「名誉」企業という組織でいう出世というものが
入ってくる場合はどうなのか・・・。
地域の組織、コミュニティに参加しやすいと思われる
専業主婦をある程度すごしてきた人の場合はどうか、

辛口のところから書いていく。
辛口なのであまり詳しくは書かずに簡単に書いていくと
地域での組織作りに名誉心を強くもつ人が組織作りをすると
「目立つ」ということがあると思う。
名誉を得てきた方がなお活動を開始したいと希望をして
組織を立ち上げたり、資金提供をされることもある。
そういう人はまた多くの人の賛同を得ることもある。

しかし、本当に「名誉」を目的に地域に出てくると
以外に周りで地域で活動している方々の崇高な思いの
中で「目立つ」ということがある。
何かなじまないということがある。
その人の人間性が表現されてくる。

そして地域の組織作りに参加しやすいと考えられる
専業主婦の方々が組織に入ってきた場合もやはり、
ひとつスキルアップが必要、組織を知らず、
組織を壊す力さえ持ってしまうことがあると思う。
今は小さくなってしまった家族という単位の組織の中での
力の大きい人は地域の活動にでたとき、
社会という組織との認識がなかなか困難なことがあり、
地域づくりに参加するとき組織力をあげられるようなスキルを
身につけられるようなシステムがあるといいと思う。

地域での組織は最初に立ち上げたものは一度壊れ、
その中で生きてくるものがその後の組織を作るという段階を
経ていくことが多いように思う。

今日は思い立ったままに書いた。




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現代のコミュニティの要素2福祉ーまとめる人2

2011-01-11 21:43:00 | 現代のコミュニティ

組織には何かしら利益を生むものと
そうでないものがある。
大きく言えば企業では利益を生むことが大切だが
現代のコミュニティでいう組織では、
ほとんどの場合、非営利のものとなることが多い。
コミュニティではその活動に目的があり、そこに人が集まり、
組織を形成する。

新たに地域で組織を形成するなら、やはり組織で仕事をし、
なおかつリーダーを務めた経験がある人がよいと思う。
しかし、組織で仕事をした経験のある人でも
地域の中での組織づくりはなかなか至難なことがあると思う。

大きな企業では組織がしっかりと形成されている。
すでにスタート時点で組織の中の個人というところから
始まっていく。
企業では利益を生まなくてはならず、それによって
給料を受け取るという形態をとっている。
当たり前のことである。
ひとつの組織である企業で主に役付けで長く働いた人が
例えば定年後、地域で組織作りに入ると何度も
壁にぶつかる経験をしているのではないだろうか。
企業ではその組織で活動することで給料をもらう。
所属する組織の中で利益を生み、そして給料を支払う
また受け取るということがある。
組織は上下関係で成り立つ。

しかし、地域での組織作りではその組織を構成する人を
結んでいるのは「目的」である。
町内ならその町内の住民がその区域を維持していくためと
いう「目的」を持つ。社会的生活上、どうしても必要という
形成でもあると思う。
もう少し目的が個別のものとなる組織ではどうだろうか。
最近、定年退職した人たちが地域での組織の形成というと
なかなか困難と感じている人が多いのではないだろうか。

企業での組織では「企業の理念」は大切だが給料の受給により、
組織はうまく維持できている、構成する人は維持できているのが
当たり前でわからないことがあると思う。

地域では組織づくりでは給料の支払いや受給がないため、
「目的」がその組織人をつないでいく。しかし、組織の構成で
企業ほどの上下関係が成り立たない。
地域での上下関係の維持はその組織の「目的」とその組織を
維持するという「目的」となるのではないだろうか。
構成する人がその組織を離れても個人の問題であるだけで
個人の生活に直接ひびいてくるものでない場合が多いためで
あると思う。

それではコミュニティの形成で何が大切か。
簡単に言えばその組織の目的であり、その活動内容、
そして定期的にみて何ができているかということであると思う。
また、違う視点からみるとそれが組織の魅力ともいうものに
つながっていく必要になるのだと思う
「目的」は現代のコミュニティでは組織の目的以外に、
大きな理念やイデアが必要なものとなっていると思う。

企業という組織の中で仕事をしてきた人が
地域で組織を形成、また運営の活動を始めるためには
今までと違うスキルが必要となると思う。




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現代のコミュニティについて  続5

2010-07-17 01:00:00 | 現代のコミュニティ
このブログに何度か「私の握りしめた手」のことを書いてきた。
「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
そしてこの握りしめた悲しみはどんなものかということも書いた。

パンドラの箱を開けたら最後に残ったものは何だっただろうか。
二通りの説があったと思う。
私のブログではこの手を握りしめていたら「希望」
開けばパンドラの箱を開いたときのようになるかもしれない、
そう書いた。

このようにブログを書く直前とこう書いてから
無理やりこの手を開こうとした力を感じた。

そして私は悲しみのこの手を無理やり開かれようとしたことで
私自身が握りしめた手の一番奥にあるものを見た。
パンドラの箱の最後に「希望」が残ったという説があったが
私の手に最後に残るのは「信仰」だろうと思った。

私の希望を奪われる苦しみ、そして信仰を奪われる苦しみ
そして悲しみのこの手を開けばパンドラの箱のように
なるかもしれないということ
それは私が悲しみを握りしめながら生きてきた人生の中で
信仰に出会い、様々なことを通し、
正しさとは何か、仏さまとは何か、私自身の幸せ、
人が幸せになるにはどうしたらよいか考えて生きてきた間に
蓄積されたもの、そういうことが苦しみのある他の人の、
またこれから苦しみの多い世の中になっていこうと
するのならそうならないよう、「希望」になってほしいと思い、
こののブログを書いているということにつながっている。
そしてこの悲しみの手を開けば、悲しみのほうが大きくなって
きっと「希望」を私自身見つけることができなくなる。
そうするとこのブログを書くことができなくなるのだろうと思った。

しかし、今起きていることについてたとえこの悲しみの手を開いても
私はきっと最後の最後まで「信仰」を捨てることはないのだと思った。

仏さまは20数年前の私が思い出したくない事実を言われる。
このブログの「自由と犯罪」は私自身の涙と共に書かれたものである。

怖さと辛さでそのまま引きずり、現実から逃避し肯定まで
してみようとした私にその人が突きつけたものは
「全てはおまえが悪い」ということだった。
苦しみの中生きようと思ってから私はその辛いことを
心の深いところに沈めてしまい込んだ。
そして仏さまに出会い、信仰を持ってから仏さまは言われた。
思い出すことさえ拒否し続けたそのことを再認識した。



私は未来に向かって「幸福の芽」を探していきたい。

私は仏さまが愛であると思うが、
また非常に畏怖する存在でもあると思う。
私自身、仏さまの心に合わないこと自体に非常に怖さを感じている。





*追記*
2011.6.7 一部追記しました。




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現代のコミュニティの形成 4

2010-06-07 00:44:44 | 現代のコミュニティ

先日、福祉について世界最高水準と言われると既存のものは
価値観の転換が必要、
安心できる社会づくり、国づくりがもっとも大切なのではなく、
基本的な形として家族を守り、そして地域、
国を守っていかなくてはならないというものがあり、
国家有事のときでなければ家庭での幸福が国全体の幸福に
つながっていくと考える視点を忘れてはいけない。
それが新しい福祉の最高水準に至っていくものではないか。

以前もこのブログに書いたが、
自由主義での経済成長の中、市場の失敗から
経済政策、福祉政策が進められた。
このとき、福祉を必要とした多くの人々は政府の作った
大型施設に収容された。今は収容ということばはなじみがない
ように思う。今言われる大きな政府が、大型の福祉施設を
たくさん作っていったのだと思う。
しかし、福祉の進歩によって、現在に至ってはひとりひとり、
個人について考えていくようになった。
現在までの福祉は大きな政府が安心できる社会づくりで
大型施設を作り、また小さな政府が地方分権の中、
コミュニティをどうすすめていくかというところであったと思う。

今までは大きな施設、またコミュニティについても
社会と個人でとらえている。
日本の介護保険は家族についてふれているがもっと進めて
個人と家族が幸福であるためにどうしていくかという視点が
大切だと思う。
多くの人は家族の中で育ち、かけがえのない、そして代替のない
家族の中で生活をしている。
人としての幸福とは何か。
個人の福祉はその人自身の幸福と家族の幸福につながるもので
なくてはならない。人はまず自分自身のために生きていると
思うが、そして家族のために生きているのであり、
社会のために生きているというものと少し距離がある。
逆に考えていけば、社会から家族を含めた個人ではなく、
社会から個人の福祉と考えるところに
ずれが生じているようにもみえる。

日本は高齢社会の中、これからもっと施設志向が強くなる
ように思う。しかし、その奥にあるものは「家族に迷惑を
かけたくないから、そして家族と良好な関係を保ちたいから」
ではないのだろうか。
このブログの最初に書いたが「家族力」を強める、高めると
いう視点と個人を含めた家族全体の幸福という視点が必要、
特別なことではない。
現代のコミュニティに個人と家族をとらえることは
大切なことだと思う。
それが大きな政府築いてきた福祉国家というものを
大きく変える新しい福祉国家となると思う。
家庭(個人と家族)の幸福が国全体の幸福につながっていくと
いう視点が必要である。



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現代のコミュニティについて 続4 Miroku sows the God 25

2010-06-05 13:33:33 | 現代のコミュニティ

「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
その悲しみ、ひとつは私の「希望」を奪われる苦しみ、
もうひとつは私を悪とし、私から信仰を奪おうとする人たちから
くる苦しみですが、本来奪えるものではないのです。

私は仏さまから大きな意味でのいくつかの使命を明らかに
されています。また大きな意味での使命とくらべると
小さな意味での使命もあります。
それについてご自分もそうなりたいと思う人がいるでしょうか。

このブログで「自由」についてすでに長く書いてきていますが
書いている私自身の精神世界は例えていえば、子ども頃に読んだ
「雪の女王」に連れ去られた「カイ」のような状態であると
感じることがよくあります。それは精神世界の話ですが・・・。
私自身は普通の人間として生きていますが、精神世界は
かなり統御しており、されています。
特に言われているのは「世の中の価値観に迎合するなかれ」

先日から「現代のコミュニティについて」私自身のことを
書いていましたが、精神世界でのことですが昨日、
「あなたのブログを読んで仏さまについてわかった。
では仏さまとつながっていくにはどうしたらよいか、
少し教えてほしい」というものがありました。
(私に必要なものしか、つながらないように守られています)

現実的な私と仏さまの会話はブログに書いているものの
何倍もあります。
しかし、ここに至った私の心は「一念三千」
ひとつの思いを発するところからの統御がなされており、
その思いが正しいか、真理に合っているか、
また相対する人がいる場合、相手を正確に事実を見ているか、
ほんとうにわずかな思いでさえ、仏さまが常にみておられ、
たとえ私自身が不利になることでさえ、妥協は許されません。
(こんなときは祈りをさせていただいています)
その先に私が発することばがあり、感情を表現していくと
いうことがあり、それは毎日毎日、思いのひとつひとつ
ことばや行動について常時繰りかえされています。

仏さまにつながっていくには、
ことばを変えて言えば「仏さまとひとつになろうとすること」
それには「太陽の如く、常に光を供給しつづける存在になろうと
すること」
この地球は太陽系の星です。太陽から常に光が供給されているように
自分自身も常に「愛」を供給し続けたいと思い、実行をしていこうと
することだと思います。
「無我の境地から自分の心を他者への愛で満たしていくこと」
そう考えていくことが大切であると思います。

しかし、霊存在である神仏とひとつと言っても
「神仏」と「我」と「ひとつである」と考えるところに
間違いが生じることは多のだと思います。

私の「悲しみの手」の悲しみでさえ、その感情が正しいものか、
それを表現することがよいことか常に仏さまがみておられ、
そして私自身はその度に確認をしています。
「現代のコミュニティ」は私が現実にやっていきたいこと、
しかし、この私の「悲しみの手」の意味は私の苦しみとして
表現されていますが、仏さまが私に言われる使命の大きなひとつ
「この世の価値観の転換」の意味があります。
この「悲しみの手」を握りしめて、そこから新しい価値観、
信仰観を確立していくという意味があります。

この「価値観の転換」とは何か。
世の中の「権力」「権威」
組織における「権力」、現代社会で言えば情報という
目に見えない「権力」、共産主義にもみられる階級による「権力」
軍事力による「権力」、
それから信仰を語りながら信仰でなくを「権力」と「力」とするもの
そういう「権力」は普通考えられますが、そういうものを超えて
「権力という価値観」から「信仰という価値観」への転換
「正しい信仰観の確立」に他ならないのだと思います。
付け加えておくと、組織に「正しい組織力」、社会に
「正しい情報」は必要です。
それがこの「幸福の芽」のブログの大きな意味のひとつ
なのだと思います。

Miroku shows the God 25

「 人よ
  この地球に住む人は皆、仏性があり
  私にとって、等しく仏の子である

  あなたがたの価値観が間違っているのだ
  この世の価値観から離れ、真理に合わせよ  」


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現代のコミュニティについて 続き3 Miroku shows the God 24

2010-06-03 23:23:23 | 現代のコミュニティ
ここのところ、「現代のコミュニティ」について
書いていますが、もう少し続けて書きます。

私が「生老病死」から何か世の中が幸せになるための考え方を
世の中に打ち出していきたいと思ったのは20年くらい前の
ことでした。それから現在に至っています。
その中で明確に「心の時代」を築いていきたいと思い、
「現代のコミュニティ」と「心の時代へのパラダイムシフト」の
中心部分が明らかに形づくられてから3年たっています。

「現代のコミュニティ」について考えはじめたのは、前にも
書きましたが現代の社会問題を解決のキーとなると考えたからで、
人が悲しみ、苦しみから離れ、幸せになっていくためのものになると
思ったためです。

それから、
「私の悲しみを握りしめたこの手を今世、開くことはないだろう」
先日そう書いたことがありましたが、あのとき、どんな悲しみを
握りしめているのだろうと考えられたでしょうか。

ひとつは私の希望を奪われる苦しみ、この「現代のコミュニティ」の
中心部分が明らかになった3年くらい前から二河白道の道を歩いて
います。この考え方は社会に役立つと確信しましたが、
私自身を一方で認められながら、一方で私を虐げ、私を否定し、
そして成りかわりたいという人たちから道を阻まれる苦しみ、
先日感じたような濡れ衣きせられそうになったり、何度も
この身を切り刻まれるような苦しみの中、進んできています。

もうひとつは私の信仰が深くなればなるほど、私を悪とし、
私から信仰を奪おうとする人たちからくる苦しみです。
それはたった一言の意見から始まった。
しかし、信仰は本来奪えるものではないのです。

私の悲しみを握りしめたこの手
この手は握っていたら、「希望」がありますが、
開けば、パンドラの箱を開いたときのようになるかもしれません。 


    Miroku shows the God 24
   
   「 信仰者よ
     何度も何度も私のことばを聞いているはずである

     それでも変われないというのなら
     その運命を受け入れよ            」



     みろく神示 1
   
   「 日と月の間に地球を内包していた仏さまが現れる 」

     法を体現することが最優先である



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現代のコミュニティについて 続々

2010-06-01 23:17:07 | 現代のコミュニティ
情報社会の中、一日で全世界に情報が回っていく、
国家や経済、福祉の情報も同じく、世界に
かけめぐっていきます。
もはや、情報統制をしている国でなければ、
情報を一国に収めておくことは不可能です。

グローバルな視点が国家や経済、福祉に
求められる時代になりました。
世界競合の中、最高水準とは何かと考えられています。

そういう点では日本の学力が低下し、日本のトップリーダーたちが
世界で通用しなくなるような国づくりはしてはならないと思います。
そして、経済の繁栄や福祉国家としても先日書いた
米国の社会保障制度のように世界水準とは何か、その中で国は
国民のために何を考え、これから何をしようとするかということが
求められていると思います。

特に福祉について世界最高水準と言われると、既存のものは価値観の
転換が必要、安心できる社会づくり、国づくりが
もっとも大切なのではなく、
基本な形として家族を守り、そして地域、国を守っていかなくては
ならないというものがあり、国家有事のときでなければ
家庭での幸福が国全体の幸福につながっていくと考える視点を
忘れてはいけないと思っています。
それが新しい福祉の最高水準に至っていくものではないか、
そう考えています。
ソーシャル・インクルージョンは問題のある社会に必要、
しかし必要なのは、ソーシャル・インクルージョンではなく、
家庭内にお互いの愛があることであると考えます。
そのために何をすることがよいのか。

まだまだ、このブログの先に進んでいきたいと考えています。



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現代のコミュニティについて 続き

2010-06-01 01:22:23 | 現代のコミュニティ
「神の見えざる手」についてもう少し書きたいが
今日は私のことを書きたい。

もう随分長い間このブログを書いてきた気がしています。
最初の読者の方と最近の政治色の強い内容と読者の方も
変わったのでしょうか。
私はきっと最初から読んでくださっている方もずっと
読んでくださっているのではないかと思っています。

なぜか、「現代のコミュニティ」は経済の発達した今、
世界の課題であって、これをどう展開したらよいかと
真剣にほんとうに真剣に考えている方々がおられることを
私自身も知っているからです。
そして私も真剣に真剣に考えているひとりです。

「経済の成長」と「現代のコミュニティ」
これは現時点では単に地域にコミュニティが必要だが
どう形成するかという課題かもしれなません。
社会のあらゆる問題を解決していくためのキーに
なるものでもあると考えられます。

けれど、時間の中でとらえると
「経済の成長」によって失ったものを取り戻すことにも
近いかもしれません。
「神の見えざる手」のように「宗教的な世界観」、「精神性」から
「この世の価値観」「唯物論」に変わってしまったものを
取り戻すことかもしれません。
「経済の成長」と書いたけれど、経済が高度成長する時期や
経済が低迷してしまう時期があるがその中で普遍的なものは
何かということかもしれません。
そして「人間にとって本当に大切なのは何か」
という探求する旅の過程かもしれません。

それはまさに「心の時代へのパラダイムシフト」となる
そう考えてこのブログの副題にしました。


「現代のコミュニティ」を考えていくときに大切なのは
今までの歴史であり、そしてその歴史を残し続け、
転生輪廻をしている私たちが成長してきていることだとも
思っています。

「現代のコミュニティ」でこのブログを読んで
くださっている皆様、いつもありがとうございます。
それからこのブログを見て何かしらご自身の心の琴線にふれ、
共鳴し、考えてくださっている皆様、ありがとうございます。
そして最近は心の時代の枠組みとして民主主義を元に
政治的なことも多く含まれてきました。

今日は心からの感謝をお届けします。
このブログを縁に、
皆様自身の「幸福の芽」が見つかりますように祈念して。



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現代のコミュニティについて

2010-05-30 01:00:00 | 現代のコミュニティ
このブログの中の「現代のコミュニティ」に
ついて書きたい。

私はこのブログで「現代のコミュニティ」について
書いているが、何もブログに書かなくても
実際、現実的に、いつか、自らこのことについて
やっていきたいと考えているからである。

だからインターネットは私にとって
ひとつの「ツール」であると書いた。

そしてこのブログにはいくつもの封印がある。
それを現実にやっていった場合どういう展開に
なっていくかと考えている。

今世、私はいつかそれがかなうときがくるか
その希望をもってこのブログを書きつづけている。


 *追記*
 一昨日書いたブログの中で「濡れ衣着せられた感触」と
 書きましたが、本当に着せられると困るので
 はっきり記載しておきますが、
 このブログは特定の団体や宗教団体と関わりのあるもの
 ではありません。
 そして仏さまはどこかにおられるのではなく
 この地球を内包し、私の心の中におられます。



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現代のコミュニティの形成③

2009-11-28 15:24:36 | 現代のコミュニティ
日本の政治の先が見えない。

民主主義を超えるところまできていた。
しかし、先が見えない状態では民主主義は超えられない。

社会主義になったら
社会奉仕活動を役務として国民に義務づけ、
そこから形成に向かえばいいのかもしれない。

今、日本は全体主義に向かいつつある。
しかし、それは本来の全体主義ではないと思う。
それは国民の意見ではなく、大きく取り出されている問題を
あおりその意識を使って扇動作用が働いているように見える。
それに振り回されて自ら自国の首を
絞めて苦しんでいるようにさえ見える。
もっとも大切な理想もなく・・・。

少なくとも経済大国と言われる日本の
本来の姿を取り戻したい。



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現代のコミュニティの要素②福祉ーまとめる人

2009-11-17 22:27:05 | 現代のコミュニティ
現代のコミュニティケアの形成の要素として
②福祉とした。

このコミュニティケアを地域でまとめる人は
どんな人がするか。普通はコーディネーターと
言われている人のことだと思う。

今、世の中で言われているのは定年退職後で
社会でまとめ役だった人だろうか。
今までに地域でリーダーとして活躍した人だろうか。

私とコミュティについて話をする友人がいる。
かなり長い友人。その友人との話。

その友人は私に言ったこと。
まとめ役は福祉の支援業務をしている人がいい。
なぜって一人一人の心を考えてくれるじゃない。
いろんな人のいろんな意見をまとめてやっていく。
高い理想をトップダウンでやっていくのでは
人はついていかない。
高い理想を持ちながら人の意見を
よく吸い上げられる人がその地域に合ったものを
みんなで一緒に作り上げていくのがいい。

納得して、今日ここに書いた。
彼女にそのシステム一緒に考えてねと
つけたして別れた。
たぶんこれからも登場してくる。

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