「他力信仰」という言葉がある。
日本において
「信心深く、心正しく生きていたら神様が守ってくださる」
「仏さまを信仰していたら救われる」というものと言ったら
厳しい言い方だろうか。
信仰の本当の姿は厳しいときに心が救われるものでは
ないだろうか。
信仰は厳しいときに試されるということがある。
「何を選択するか」
人は「神さま、仏さまが自分たちを守ってくださる」
と言いながら、守られなかったときに
その思いをどこに持っていくのだろうか。
人生はたくさんの選択肢があり、
その何を選ぶかは個人の責任によるものだ。
特に大切なときに何を思い、何を選ぶか
それによって人生が大きく変わっていく。
国家の行く先が変わっていく。
自ら選ぶことが大切、誰の責任でもない。
誰が言ったからでもない。
「信じるから救われる」というものではなく
「神仏を信じ、幸福になる努力をしていく」と
いうことが大切。
今、自分を守り、家庭を守り、
そして国家を守ろうという選択していなければ、
自らの幸せを求めることは難しいと思う。
Miroku shows the God 37
「 人よ
厳しい時代である
一人ひとりが国家について
世界について考えていかなくてはならない
人よ
何を選択し、国家を守り、この世界を守るか
そういう厳しい選択の時代が
今、到来していることを知らなくてはならない
Master of Master 」
そのために多くの知識と多くの知恵を得る
ことが大切だと思う。