幸福の芽 happy sprout みろく maitri

《心の時代へのパラダイムシフト》 自分の心をつかんで幸せになりませんか。幸福の芽を探して一歩前に出てみませんか。

大切な「出会い」を求めて

2011-06-30 20:13:00 | 日記

※diaryから転載、編集しています。


*日記です*
もう随分前ですが、私は何年も男性恐怖症でした。

近くに男性がいること自体が嫌で硬いバリアを作っていたと思います。
だから男性の多い所にはいませんでしたし、
接触もほとんどなかったと思います。
ひどいことを言ったこともありました。

今は普通だと思います。

妙な話を書いていますが、本日、思い立ったので書いていきます。 

今日、そんな男性恐怖症だった頃のことを思い出したのは、
今現在、このままのこの人たち、
男性として(人として)とても受け入れ難いと
思う人たちと対面しているからと思います。

私が男性恐怖症から徐々に抜け出していったのは
「出会い」の大切さを知ったからでした。

何人か、人が集まっていたとき、
ある男性が最近の自分の話を始めました。
その人の利他の想い、行動を聞いていてふと涙が出ました。
身近にもこんな男性がいるということに
驚きと感動がありました。

その後、私はそういう人にもっと会ってみたいと思うように
なりました。
そういう人の話を聞いてみたいと思うようになりました。
男性でも女性でもそう感じられる人の話を直接聞いてみたいと
思いました。

見た目ではなく、心で聞くことを大切にしたのは
この頃からかもしれません。
自分自身が共鳴し、感動する人に会える喜び、
それを知ってから私は男性恐怖症ではなくなりました。

良い「出会い」は人を変える力があります。
それを自ら求めることも大切と思います。

その後も私が危険だと思った男性に会ったと
以前書いたことがありますが、
一方で私は真剣に利他の思いを持つ人たちとの
出会いやお話を伺うことで恐怖心を抱くことはなくなりました。


そういう人たちとの「出会い」を今も大切にしています。




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心が壊れる時 3

2011-06-22 00:33:00 | 病気
※diaryから転載、編集しています。


信じていた人に裏切られた、尊敬する人に裏切られた、
信じていたものの結果が最悪の事態だった。
または信じていた教え、法が自分の仏性と相反したことを
進めていくなどが起きてきた時、現実が受け入れられないことがある。

心が壊れます。

通常でも人間の成長過程、特に青年期の頃、
自らの中で「正しさとは何か」を強く求める時期がやってきます。
その時、本人の心が求めるものと全く反対のことが、
つまり現代の言葉を使うなら大人の都合の価値観を
強引に押し付けられた時、「心」が壊れることがあります。

心が壊れたとき、一定期間を過ぎ取り戻せないと
欲が非常に強くなるか、 または反対に生きる気力さえ
無くなるということがあると思います。

ひとことで療養をすすめますと書くにはあまりにも
悲しいものと思います。

処方箋として
前者はしばらく混乱の環境と距離を置いてみる。
時間を置いてみることが大切と思います。

後者は自分の人生の責任は自分しか取れない、
既に歩き始めているのですから
その矛盾に「切れない自分」をできるだけ、
自分自身の為に作ることが大切と思います。






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エネルギー開発 ~例えば太陽光発電について

2011-06-19 11:33:00 | 政治
※diaryから転載、編集しています。



いろいろなエネルギー源があると思いますが、
例えば太陽光発電についてです。

集光が第一段階、深く研究を進めるともう一段階、
その奥に新たな発見があると思います。

最も早く実用化する可能性が高いと思います。

神仏への信仰を心に持ち、
今、人のために力になりたいと思っている方、祈りとともに
進められる方おられませんか。

今までと同じ発想ではありません。
既存のパネルほどの面積はとりませんが、
面積当たりのコストはその分割高になると思います。
そういうイメージです。


グローバルスタンダード、
まず、自国の力を使うことが 各国大切でしょう。
共同ということもあります。

そして他国に介入する前に自国の開発をすすめることが
大切と思います。






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心が壊れる時 2

2011-06-19 11:23:00 | 病気
※diaryから転載、編集しています。



精神的に病むこと、さまざまに考えられますが「病因」と処方箋です。

多くは自己認識と社会の評価の差を認識したときに生じます。
個人がその人の価値観の中だけで
生きていた時はわからなかったものですが、
ある時、社会の中で現実的に自己評価を突きつけられたとき、
「現実を受け入れられない」ということがあると思います。

そこで「心」が不安になり、この不安な時期を通りすぎると
「こんなはずはない」「これは環境が悪い、社会が悪い」と
自己を肯定し、社会を否定します。
または「誰かが自分を攻撃する」と考えるようになります。
 
「被害妄想」による自己の拡大か
「誇大妄想」による自己の拡大をして
無意識のうちになんとか心の不安を安定させようとします。
それが社会的な中でなんらかの行動となって現れます。

受け入れ難い現実に「心」が不安になり、この不安期の中で
現実からの逃避ということもあります。
若いときは現実を受け入れられず、
本来の本人の個性を持った魂が後退し、
多重人格の様相を現すと思います。
高齢者の場合の重度の認知症状が
突然出現する場合もこれに該当すると思います。
憑依現象のひとつです。
本人魂が優位に立てないということがあります。


処方箋は「療養」をお勧めします。





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「人権」と「自立」について

2011-06-14 20:53:00 | 政治


本来、人は「自立」に向かうエネルギーを持っています。


経営学のドラッカー氏の「新しい現実」について
「人権」と「自立」ということを
このブログでは書いてきました。

まだまだ、いろいろな方向から
書いていくことになると思います。


世界経済が高度成長していない現代だからこそ、
「人権」と「自立」と思うのです。
人を人として思えない、人の痛みが
理解できない社会に
「人権」と「自立」だと思うのです。
人の痛みが理解できる社会なら
今、世界で「民主化」が起きたでしょうか。


「人権」という言葉は通常「人としての権利」、
ひとりの人として扱われていないのではないか、
または不利益を被ったということで
本来ひとりの「人」として生きる権利のために
使われるのだと思います。
権力を行使する人、つまり「強者」に対し
「弱者」という風な捕らえ方もできると思います。

「自由主義」や「経済至上主義」など
非常に自由な考え方をすると権利主張ばかりに
なって調和がとれなくなります。
それは対価的な唯物的な考え方になるでしょう。
その反作用で平等を強く求めることになるでしょう。
強いものが勝つような「弱肉強食」の動物的な感覚が
強くでるかもしれません。
これでは「弱者」の権利を守ることはできません。

権力を持っている側の人々の「人権」というのは
「人権」という言い方は違うのかもしれません。

人が万物の霊長であることを許されるのは
「愛」と「知」に基づくものだと思います。

「人権」、人としての権利とは
人の痛みがわかるということだと思います。

しかし、「人権」を主張するということは
半面で「自立」していなくてはなりません。
または「自立」に向かって努力していかなくては
なりません。
困難なことにあってもできる限りの
努力をしていくことが大切であると思います。
皆が共に生きる社会ではそういうことが
とても大切なことであると思います。

「人権」を求める人は常に「自立」に
向かっていくことが大切です。
「人権」を求められた社会は
「自立」に向かって支援を行う必要が
あると思います。

経営学の中で労働者が一人の人としてとらえられる。
「人権」です。
そしてだからこそ、労働者は
「自立」して生きていく必要があります。

そういうことが社会でも福祉でも世界経済でも
とてもとても重要なこととなると思います。


世界経済にひとつの倫理が必要と思います。
グローバル・スタンダードです。





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叩かれて痛みを知ることが大切

2011-06-14 00:33:00 | 心の時代
※diaryから転載、編集しています。


叩かれて強くなることは大切かもしれません。

非情な嫌がらせに心が凍ります。
私は弱い人間と思います。

嫌がらせもいろいろな原因があるでしょう。
人と違ったところを言われる。心無い競争の中でもある。

嫌がらせをされるには原因があります。
そういう言い方をする人が少しでも世の中から減り、
愛ある世界を見たい。

嫌がらせをされて、あるいは叩かれて痛い、辛い、悲しいと
いう心を忘れてはいけないと思います。

私は叩くことを肯定はしたくない。
そして最初に嫌がらせをしたのに自らを弱くして権力者の力で
人を陥れるような人たちを肯定できません。
そういう社会が真実の世界ではないと思うからです。

そういうことを肯定したら社会は良くはなりません。


だから信仰を片時も離さず、
ブログを書き続けているのかもしれません。



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リーダーにとって正しい情報とは何か

2011-06-11 12:33:00 | 心の時代
※diaryから転載、編集しています。


情報とは一方から入った情報が正しいとは限りません。
それで一喜一憂しているとつい感情的になり、
全体像が見えません。


リーダーとして経験を積んだ方ほどその情報源は誰か、
一方からの情報ではないか、相対的にみてどうかということを
考える必要があるとお考えだと思います。



情報を発信する方々にも一方からの情報や、
偏った情報ということに注意が必要と思います。
または意図的?でしょうか。


なぜ、本日情報について書いてきたか、
思い出すきっかけがあったのですが、
以前「天罰だ」と発言した方がおられましたが
私の記憶ではその後に「地元の人がかわいそうだ」と
続いていたように思います。






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不昧因果と菩薩の境地  Miroku shows God 44

2011-06-11 02:13:00 | みろく神示

一方で非常に追い詰められていますが・・・。

不昧因果ということばをdiaryに書いたので
不昧因果と菩薩の境地について書いていきたいと思います。

先日、diaryで小惑星の衝突について
神仏の求める「調和」と「発展」に向かっていくことが
大切でそれによって回避することができる可能性が
あると書きました。
もうひとつ大切なことを付け加えます。
正しい信仰と正しさを求める心が大切です。
正しさは十戒や八正道だけではなく、
人と人の関係の中にあるものの意味が
大きいと思います。

不昧因果(ふまいいんが)、
どんな人でも因果の理法はくらますことができない。
因果の理法から脱した人というのは
因果の理法をよくよく知って
それによって左右されることがない境地、
悟りの境地に至った人のことを言うと思います。
正しさの確立、
確立といっても普遍的なものと流動的なものと
あります。
自分の周りに起きている因果の理法が見える人は
自由自在の境地となると思います。


なかなかそうはいかないと思います。
人は他の人の悪いところは目につきやすい。
だからこそ、できる限り相対する人、好きな人も
嫌だと思う人にも良いところを
同時に見つけることが大切と思います。

そして菩薩の境地について今まで2度ほど書いてきたと
思いますが、因果の理法からみていく菩薩の境地とは
相対する人の悪いところや因果が見えたら
そこから脱するための法、救済のための知恵を
その人に伝えることを常にしていこうと思っている、
そういう愛の心を持っていることが大切なことと思います。



  Miroku shows God 44
 
「 無数の菩薩(天使)が排出できる  

   Master of Master
           2004.10   」




*追記2011.6.11*
自分の周りに起きている因果の理法が見える人は
自由自在の境地となると思います。
インドの時代の仏さまの悟りの境地でもあります。
そう仏さまが言われます。





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現代のコミュニティについて 続き 7 幸福の芽を摘む

2011-06-09 00:03:00 | 現代のコミュニティ

「 現代のコミュニティについて 」そして
「 続き 」は私が現代のコミュニティについて書くことに
なった理由について書いてきたと思います。
この内容には私の「悲しみの手」そして「パンドラの箱」と
いう言葉を使っています。
今日はdiaryから後日「続き 6」を追加するつもりで
「続き 7」を書いていきたいと思います。



幸福の芽の題で「不幸の芽を摘む」を書いたとき、
反対の視点から
「幸福の芽を摘む人」を次に書きたいと思っていましたが
書かないで終わっていました。
内容として近いとするなら「いじめ」について
書いたものと思います。
仏教でお話しするなら幸福の芽は自分作りであり、
小乗に近いものでしょう。
不幸の芽を摘むは知恵を身につけてリスクを
減らしていくこととなると思います。
そして幸福の芽を摘む他の人の存在があります。
それは大乗、良い法が広まっていくことが
大切と思います。

個人個人が小乗を行って自らの身を修めていましたら、
それでよいのでしょうか。
それだけでは世の中は良くなっていくでしょうか。
他の人の幸福の芽を積極的に摘もうとする方々がいます。

自分のことだけを大事にし、
他の人をいじめたり、蔑んだり、
せっかく努力してもその努力をなきものにしたり、
またその成果を自分のものとしたいと思い、
そういう行動をしたり、
例え自分が間違っているのがわかっていても
力のあるものに寄っていくことで
自分が有利になろうという卑しいことをしたり、
そうして他の人を陥れたり、
自らのために嘘や偽りを使って自らを正しいという。
他の人の過去にまで遡っていって悪く言う。
そうやって人の幸福の芽を摘む人々がいます。
他の人の幸福の芽が伸びてきたときに
それ自体が面白くなくその芽を摘もうともします。

言葉が悪いかもしれませんが、
偽善者であったり、
本来の仏性があまり現れていない状態と
いうことになると思います。
そしてひとつの原理もあります。  封印Ⅳ

ではどうしたらよいか。
やはり、質のよい教育を基盤に持つことが
大切と思います。
そういう行為が悪いということを
知ることが大切と思います。
そういう心(精神)を培うことが大切と思います。
そういう精神を持った国家が形成されることが
大切と思います。
そういうことがあったらそれは間違った行為であると
そう思える社会を作ることが大切と思います。
もうひとつ大切な原理がありますが 
「いじめ」や嫌がらせが少ない国家、社会を作るという
ことが必要です。
まだまだ、言葉が足りていません。






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全体主義について 4

2011-06-05 14:03:00 | 政治
※diaryから転載、編集しています。


全体主義について3で
全体主義から独裁主義になりやすいと書いていきました。

日本はそうはならないと思うでしょうか。
どうでしょうか。

全体主義になってきたときに独裁主義を形成したいと
思う組織があると独裁主義になる法改正を重ねていき、
結果、法により独裁的な政権を築きます。
「自由と繁栄」から遠くなります。

先日も書きましたが、今、日本はこの危機の可能性も
明らかになりつつあると思います。

日本の小選挙区制はどうでしょうか。
すでに導入時警鐘を発した方はおられたのではないでしょうか。
今、発している方もおられるのではないでしょうか。

この混乱時ですが、選挙制度について考えていかなくては
ならないのではないでしょうか。






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神仏の意図と惑星の衝突

2011-06-05 13:53:00 | みろく神示
※diaryから転載、編集しています。


月は地球に向かって落下することはないと思いますが、
小惑星が地球に衝突する可能性はないとは言えないと思います。

宇宙を科学からみて起きる可能性があるのでしたら
宇宙の法則に則って可能性はあるでしょう。

神仏からみましたら小惑星が地球にぶつかるということは
それには意図があります。
不調和があり、破壊があります。


神仏が求める「調和」と「発展」に向かっていくことが
大切なことでそれによって回避することが
可能であると思います。






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