わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

他者のまなざし=福島良典

2009-03-03 | Weblog




 ギリシャ神話の神々は残酷だ。たとえば、女神アテナは嫉妬と怒りから美女メドゥーサを蛇頭の怪物に変えてしまう。怪物は「その目で見た者を石にしてしまう」魔力で恐れられた。

 フランスの哲学者・作家のサルトル(1905~80年)が「メドゥーサのまなざし」にたとえたのは他者の目だ。他人の評価を交えずに自分の姿を見ることのできない人間の宿命を戯曲「出口なし」で「地獄とは他人である」と表現した。

 個人も国家も、他人や外国の目から無縁で生きることはできない。だが、他者の視線は両刃の剣だ。好意的な評価は「生きがい」につながるが、白眼視や非難は自信喪失を招く。

 「もうろう会見」で中川昭一・前財務相が引責辞任した後、麻生内閣の支持率が急落した。中露の一部メディアが2月24日の日米首脳会談で首相が「冷遇された」と報じたのは、日本国内での政権への風当たりの強さを感じ取ってのことだろう。

 だが、米国にとっての日本の戦略的な重要性が減じるわけではない。フランスのテレビは「日本の首相が外国首脳としてオバマ米大統領と初会談」と主要ニュースの扱いだった。

 欧州では、クリントン米国務長官が初外遊先にアジアを選んだことに「米外交のアジア重視への変化」をかぎ取る傾向もある。欧米には、金融・経済危機への対応でも「日本頼り」の空気が流れている。

 周囲の目を気にするあまり、自己を矮小(わいしょう)化し過ぎると、国際社会における等身大の日本の姿を見誤る。他者のまなざしに萎縮(いしゅく)する必要はない。石のようにこり固まらず、世界に向けてしなやかに飛翔(ひしょう)しよう。(ブリュッセル支局)




毎日新聞 2009年3月2日 東京朝刊


「キャラ社会」と裁判員=池田昭

2009-03-03 | Weblog




 知らず知らずのうちに「キャラ社会」にどっぷりつかっていないだろうか。

 「キャラクターは現在の『見た目第一主義』の社会を最も端的に表す言葉」「キャラは自分で決めるのではなく、他人からの印象で決められるレッテルのようなものです」

 かつて「デブキャラ」とみなされた評論家の岡田斗司夫さんが昨年、日本経済新聞で、117キロあった体重をわずか1年で50キロも落とした経験をもとにキャラ社会を語っていた。

 見た目第一のキャラ社会の風潮を反映させてはならない制度が間もなく始まる。国民が司法に参加する裁判員裁判だ。国民から選ばれた裁判員が殺人や強盗致死傷などの重大事件で裁判官とともに有罪・無罪のみならず量刑も決める。当然、死刑を選択するケースもある。

 大阪高裁の裁判長で退官した弁護士の石松竹雄さんは職業裁判官に惑わされてはいけない、とアドバイスする。

 「裁判の迅速化の名目で裁判員が参加しない公判前整理手続きで争点が決まると職業裁判官は経験上、筋読みができる。予断につながる危険がある」というのだ。では、どうするか。

 「弁当屋さんが天気予報を見て作る弁当の数を決めるように市民は社会生活の中で日々、真剣に判断している。これは刑事裁判の事実認定をしているようなもの。良心に従い自信をもって裁判にのぞめばいい」。40年の裁判官生活のうち30年以上も刑事裁判に携わった83歳の言葉は説得力がある。

 裁判官キャラなどない。勝手にレッテルを張らないことが裁判員が法廷のお飾りにならない第一歩と心得たい。(論説室)




毎日新聞 2009年3月1日 大阪朝刊


卒業=潟永秀一郎

2009-03-03 | Weblog




 ある高校のラグビー部卒部式に出席させてもらった。部員80人を超す強豪校。「卒業する3年生のあいさつを、ぜひ聞いてほしい」と誘われた。

 高校日本代表の子もいれば、レギュラージャージーを着ることなく3年間を終える子もいる。が、式では部内のポジションは無関係。クラス順に一人一人、親御さんと壇上に上がる。無骨な彼らは照れながらマイクの前に立ち、とつとつと謝辞を述べる。最後は皆、支えてくれた親への感謝。そして花束を贈る。

 朝は7時過ぎに登校し、練習を終えて校門をくぐるのはしばしば夜9時過ぎ。通学に1時間以上かかる子も少なくない。お母さんは遅い食事のあと洗濯をし、暗いうちから弁当を作って送り出す。だから、彼らの多くは異口同音に「自分よりきつかったと思う」「弁当ありがとう」と。また、高校から親元を離れ寮生活を送った子たちは「仕送り大変なのに、好きなことをさせてくれてありがとう」と。おそらくは初めて言葉にした。

 中には病気と闘いながらラグビーを続けた子や、試合中のけがで入院した子も。遠征先で手術をした子は「僕が絶食の間、お母さんもご飯を食べなかったと後で聞いた」と感謝した。涙ぐむお母さんたちを見て、思わずもらい泣きした。

 子育ての渦中は、時にかわいさあまって、子どもの成果を我がことのように追ったりする。今の成績やポジションで人生が決まるわけではないことを、見失うこともある。が、返礼に立ったお母さんたちは皆「楽しかった」「自分が育てられた」と、巣立つ我が子に感謝した。「ありがとう」と言える別れが卒業だと、教えられた式だった。(報道部)




毎日新聞 2009年3月1日 東京朝刊


名ばかり部長、親方……=大島秀利

2009-03-03 | Weblog




 ~近ごろ都にはやる物

 夜勤無料の名ばかり部長

 そら店長に にせ請負~

 医療の世界では「名ばかり部長」がはやりのようだ。北九州市小倉北区の市立医療センターの医師111人のうち「部長」が75人いたという。管理職手当はあったが、実際は権限も残業代支給もない「名ばかり管理職」だったとして、北九州東労働基準監督署が労働基準法に基づく是正勧告をした。別の医療機関でも同様の例があると聞く。

 サービス業では「名ばかり店長」。製造業は偽装請負が横行した。企業側が一切の責任を負わず、部下のように派遣労働者を使うのに、「請負」が装われる。

 「名ばかり」は建設業界で古くからあるという。日雇いの労働者も「一人親方」という名前を冠すれば、立派な「個人事業主」に変身し、直接雇用ではなく、請負とみなせるものだ。そんな「名ばかり請負」が建設現場を担う場合がある。一人親方でも裁量や自己決定権を持ち、正当な報酬があればよいが、労災などの責任だけ持たされ、「けがと弁当は自分持ち」では困る。

 経済を引っ張る企業のためとして、コストカットが行き着く所、労働者の権利のカット、さらに雇用のカットにつながった。その方便の一つとして、一般的には報酬が高いとみられている「部長」や「事業主」が巧妙に「名ばかり」にされている。

 働くこと、生活の糧を得ることは、人間の基本的な活動の一つだろう。勤勉は大事だが、複雑なこの世の中で、働く者が持つ当然の権利について、学校でしっかり学ぶ体制が欠けているのではないか、と思う。(科学環境部)


 

毎日新聞 2009年2月28日 大阪朝刊


靖国の国際政治学=伊藤智永

2009-03-03 | Weblog




 年明け急逝した靖国神社宮司・南部利昭氏の後任は、「霞会館」に集う旧皇族・華族を軸に人選が進められていると聞く。元「電通マン」の南部氏も旧盛岡藩主家の当主で、神職経験のないまま宮司に推された。

 戦後の靖国運営は、宮司の個性に大きく左右されてきた。世界平和主義者で旧皇族の筑波藤麿宮司は、A級戦犯合祀(ごうし)を生涯保留し、昭和天皇から「慎重に対処してくれた」と感謝された。筑波氏の死後、政官界の保守陣営に担ぎ出された松平永芳宮司は、天皇の難色を知りながら合祀を決行し、以来、天皇は靖国に参拝していない。

 晩年の昭和天皇が側近たちに靖国への気がかりを漏らしたのは、歴史教科書問題や政治家の侵略戦争否定発言が起きた時である。侵略と敗戦、戦後の占領と繁栄が、世界と歴史のどういう現実によってそうなってきたのかを冷静に認識し、靖国問題を精神論ではなく、国際政治の文脈でとらえていたからだろう。日中・日韓関係が不安定だと、いずれ日米関係を損ない、ひいては国益を減じるのだ。

 昭和天皇の政治センスに比べ、小泉参拝で意気盛んだったころの靖国神社はいただけなかった。中国・韓国からの批判には猛然と反発していたのに、境内の戦史博物館「遊就館」の展示が、米国のシーファー駐日大使やアーミテージ元国務副長官から非難されると、直ちに記述を改め、その後、中国関連の記述も柔らかい表現に直した。

 戦後、靖国神社が存続できたのは、米国の冷戦戦略抜きには考えられない。政教分離原則とは別の意味で、新宮司はいや応なしに、国際政治のしなやかなバランス感覚を求められる。(外信部)




毎日新聞 2009年2月28日 東京朝刊