年越し蕎麦は、細く長く、長命であることを願って、大晦日の夜に食べます。
そんな風習も、言い伝えや、どんな由来で? ということも分からなくなって、
バレンタインデーにチョコを贈り、
クリスマスにケーキを食べて、プレゼントを贈るのと同様に、
ただ、日本蕎麦を買ってきて食べる、
ついには、細長いものならOKといって、
ラーメンやパスタをすするなどの変化を遂げています。
というメタ坊も、今年、あとわずかとなったので、
「休店中」の中屋が、そろそろ再開するだろうと思って行ってみました。
年内は無理なものの、来年1月10日に営業再開するようです。
めでたし、めでたし、来年のお楽しみということで、
結局、ゆで太郎で、早めの年越し蕎麦「薬味そば 480円」を、
海老天付きで食べました。
今は年齢をその誕生日をもってプラス1歳とする「満年齢」な訳ですが、
昔は「数え歳」で、元旦を迎えると、みな一斉にプラス1歳年齢を重ねました。
そのために、年配者の方で誕生日が「元旦」という人が多いのです。
出生証明があるのにそんなことってできるの?
と思いがちですが、
昭和40年以後、医師立会いのもと、病院で出産するようになりました。
それ以前は、自宅もしくは妊婦の実家、よくて助産院で出産しました。
立ち合いは「お産婆さん」です。
お産婆さんは人生の先達的な役割も担っていたので、
家庭の事情を斟酌(忖度?)し、
特に年末に生まれた子は、未熟なまま学齢(元旦)に達するというので、
元旦に生まれたことにして、出生証明書を作ったようです。
ちなみに戸籍に記載のある出生地が見知らぬ土地なら、
病院の所在地か、出先で急に産気づいて生まれたかのどちらかです。
ただし、婚姻・離婚・転籍などで新たに戸籍が作られると、
合併した市町村名に書き換えられる場合もあるので、
結構、アバウトな表記になっています。
それから、父親が56歳の時に生まれたので山本「五十六」という名が付いたのは有名ですが、
昔は、孫ぐらい年が離れて生まれた子を「恥」として、
さまざまなやりとりがあったようですが、それはまたの機会に・・・。
イセザキモールのイルミネーションは、今年、こんな感じです。
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