古い村の地図の凡例に「+ 病院」というのがありました。
国民皆保険となった今でこそ、
都市部なら病院マークは至るところにあっても、
特に不思議に思うことはありません。
ところがこの村の旧村役場が、
昭和から平成に変わろうとするころ、
老朽化と道路拡張により解体されることになりました。
解体前に入ってみると、ガランとした部屋の片隅に、
色あせた風呂敷包みに数冊の書類が残されていました。
包みを開き、書類をめくると、
昭和30~40年代に交通安全協会が行った運転免許更新の記録でした。
クラウンに乗っている1人を除いて、みな耕運機の小型特殊です。
普通免許を持っている人は、村唯一の診療所を経営するお医者さんでした。
聞くところによると、この村に古くから開業していて、
急患や往診のために、電話も自動車も村で最初に導入したんだそうです。
では、この「+」の場所が診療所だったのかというと、
南西の方角に4~5キロほど離れた場所に住居兼診療所がありました。
地元の人から「ここは避病院だ」と教えてもらいました。
昔は、病名は付いても、原因も治療法もわからない病があり、
伝染病と診断されれば、この避病院に担ぎ込まれました。
* * * * * *
日本のドラマや時代劇では、人権上の問題もあって、
タブー視されるようなストーリーを描くことはまずありません。
その点、特に韓流歴史ドラマには克明に描写される場面が多くあります。
民俗や文化的な違いはあるかもしれませんが、
伝染病が発生した村ごと閉鎖して、家屋をすべて焼き払うとか、
伝染病で死んだ者を山の小屋に捨てに行くという場面がありました。
「できもの(皮膚病)」は顔や手足に出るとNGで、
体に出たときはできるだけ隠して、飲み薬や膏薬、祈祷に御札で治るのを祈ったようです。
山小屋の隅に、なぜか火がともされているのは、演出なのか、焼き払うのを暗示しているのか?
両班(やんばん)と呼ばれる特権階級は、
医者に見てもらい、高い薬を手に入れることができたし、
ワイロを使って、隔離されるのも免れたようです。
庶民や下層に置かれた人たちは、当たり前のように、
ごみ同然の描き方をされている気がします。
まさか、避病院もこうだったのかと思いたくはありませんが、
古老曰く「戸板で担ぎ込まれて、戸板で出ていき、
戸板と布団とともに火葬にされる」と聞きました。
韓流歴史ドラマのあと、古地図を眺めていると謎の理屈が見えてくるときがあります。
12月22日、磯子区の杉田劇場で、
「地図博覧会(ここをクリック!)」という講演会があるので行ってきます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます