メン・ピン・タンゴ ツモっ!

南米のパリ、アルゼンチンはブエノス・アイレスで起こる
お洒落(?)な出来事を毒談と偏見で綴るブログ

タンゴの流行 その2

2008年10月31日 04時43分24秒 | タンゴ・ブルホ
そして42年。


速くてリズミカルだった時代からブームはゆっくりのメロディー重視へと急転する。




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最初は強いリズムを伴っていたが、やがて「時代に合わないと弱いアレンジに変わっていった。


サロン時代の始まりである。  

ツイてない男、ディサルリの全盛期だ。





流行が変わったのには幾つかの理由があるようだがその1つが歌詞の変化。

クラい歌詞が流行りはじめたため、それに合うゆっくりとした曲調になったようである。



43年から46年には世界は大戦下にあった。
タンゴが上流階級でも踊られるようになってきたこともあって軍部 の指令で歌詞の中にスラングを使うことを禁じられた。
よってこの時期のタンゴの歌詞はアルゼンチン語ではなく、スペイン語で書かれている。








41年までのタンゴ界をリードしてきたリズムの王様ダリエンソとサロン系で有名なディサルリはかなり仲が悪かったらしい。




実際には42年以降もサロン系 が流行っていたのは ビシャ・ウルキサ、サアベドラ、マタデーロなどの郊外でセントロではリズム系がもてはやされた。







                    







踊り方も41年頃までは 現在呼ばれているウルキサ・スタイル、ミロンゲーロ・スタイルなどに近い形で踊られていたが、この頃郊外で現在のサロン・スタイルの原型が出来たようである。




それが現在へと受け継がれている。     


混んだミロンガでも踊れるようにとセントロではミロンゲーロ・スタイルが受け継がれ、
ウルキサでは元々のウルキサ・スタイルとサロン・スタイルの両方が踊り継がれてきた。


他のスタイルはだんだんその数を減らし、現在ではほとんど残っていない。






                    







このサロン系タンゴのブームは46年まで続き、その後は各オルケスタがそれぞれの個性を出して別れていくが、46年までが今回のお話。






クラスではリズム時代とメロディー時代のディサルリを踊り比べたり、同じ時代の違うオケを踊り比べたりした。









その曲が録音された時代の流行が演奏や編曲に現れている。


もちろん色んな理由で流行の影響を受けていないオケもあるが、
踊り分けを単にオケの違いでするのではなく、


 「どの時期の録音なのか?」 



というのも大きく影響しているということを忘れないでほしい、というオラシオのお話だった。





実際ディサルリでさえリズム時代はリズムが強い。






他にも細かい話をいろいろしてたがこれが今回のメイン。
ミュージカリティのクラスと言うよりタンゴ史の勉強会 だった。

 








オレは音楽の知識がないので年代どころか、曲名とかオケとかすら知らないんで、聴いたものを聴こえたとおりに踊りにしてる。(その時の演奏が強調している部分をとっている)


クラスで「踊り比べろ!」と言われると、

「これはディサルリだけどリズム時代だからメロディ取らない方がいいよね?」
などと考えると余計わけ分からんくなってしまった。



オレみたいなタイプはなんも考えないで聴こえた音で遊んでたほうがいいみたい。





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