ナベイラはよくテンポを数えるときに 1から8 までで数える。
(今回も4分の4拍子で説明)
強拍だけを取って 1、2、3、、、、8 と数えるのだ。
普通の速さで歩いてるときのステップのタイミングだね。
1小節に2つで計4小節分。
トラディショナルなタンゴは大体この4小節2つでAメロ、Bメロみたいな
大きなメロディーの形、フレーズを作っている。
最初の4小節がプレグンタ(問いかけ)で次の4小節がレスプエスタ(返答)だとナベイラは説明する。
そして4小節の中の最初の2小節も小さなプレグンタで後の2小節はレスプエスタだともいう。(小さなフレーズ)
たしかにトラディショナルなタンゴは曲の構成が大体そうなっている。
基本的にタンゴには楽譜はない。
今はあるんだろけど昔は楽譜なんてなくて感覚で演奏していた。
今も演奏家のじいさん達はじっさいに目の前で演奏してそれを「マネして覚えろ」という教え方をする。
(楽譜はその演奏やCDを聴いた人が後から勝手に書いたもので書いた人によって違っていたりする)
だからナベイラがいうような曲の構成の形がタンゴの大まかな基本形とされていたわけだ。
強拍だけを数えるという数え方も楽譜上で見れば変わった数え方だ。
4分の4拍子なら強拍も弱拍も数えた方が楽譜と照らし合わせやすいし、
4分の2拍子で書かれた楽譜なら1拍の前半分だけを数えてることになる。
でも多くのダンサーたちはこういう数え方をするのだ。
いわゆる「テンポを取る」数え方。
歩く早さ(ステップ)の数え方だ。
もともとの演奏家達に楽譜がなかったわけだからダンサーたちだって楽譜を見て数えたわけじゃない。
自分達が「どういうふうに踊るか」というところから考えた数え方だ。
じっさいナベイラ以外のミュージカリティーの良いダンサーだって楽譜的な教え方はしない。
オラシオは「タラッタッタッタッ」とか「わらわら、わ~ん」とか言ってるし、マリオだって途中で数字数えられなくなったりする。
こういうダンサーたちや古い演奏家たちは楽譜でタンゴを勉強したわけじゃないから感覚で踊ってるし、演奏しているのだ。(勉強した人もいるだろうけど)
楽譜がないところから生まれて、演奏されていた音楽ということは
「なんとなくこういうのがタンゴ」
というのを身体で、耳で覚えた演奏家達が演奏していたのがタンゴの音楽ということになる。
そしてその音楽はいつも踊りと一緒にあった。
踊りやすいようなテンポで作られ、踊りを楽しめるように曲の中にドラマがあった。
しかしそこに登場するのがピアソラである。
ヨーロッパに留学したりして彼はクラシックやジャズなど他の音楽も勉強した。
そしてそれをタンゴに取り入れてあの天才的な名曲たちが生まれたのだ。
Libertango Astor Piazzolla & Bond
(ピアソラの「リーベルタンゴ」のビデオ これしかなかった。。。)
「リーベルタンゴ」というタイトルを見て最近思った。
自由なタンゴ
今までのタンゴの枠に捉われない自由なタンゴなのだ。
タンゴの要素は含んでいるが他の音楽の要素も含まれている。
それまでの「ズンッ、チャンッ、ズンッ、チャンッ」というイメージや曲の構成、踊る人が踊りやすいように作った曲ではなくほんとに自分の好きなように書いた曲なのだ。
だからその当時の人たちは「彼の曲はタンゴじゃない」と言ったし、踊れないのは当然の話だ。
彼の曲がここアルゼンチンの人たちに認められたのはだいぶ後になってから。
ピアソラが世界的にブームになってからのことである。
実際のところタンゴの知識なんてまったくないままブエノスに来たオレでさえ
「リーベルタンゴ」は知っていた。
曲名すら知らなかったが、こっちのタンゲリアでこの曲でショーやってるの見て、
「やっぱこれがタンゴだろーっ。
何がカフェ・ドミンゲスだよ。ただの演歌じゃん」
などと言っていた。
ところが最近、
ミロンガなどでピアソラやエレクトリックの変な曲がかかると
「こんなの踊れねぇよ、タンゴじゃねぇ!
アンヘリスとかミゲル・カロかけろっ!!」
と言っている自分に気が付いた。
オレはこっちで楽器を演奏してるわけでもないし、音楽をまともに勉強してるわけでもない。
ただ毎日(ほんとに毎日)ミロンガなどに行って踊りまくってるだけなのだ。
(いわゆるミロンゲーロ)
知らない間にオレの中の「タンゴ」に対する判断基準が「踊れるか踊れないか」になっていたのである。
こう考えると「ピアソラはタンゴじゃない」って言う人の気持ちよ~く分かる。
ミロンガでこういうピアソラやエレクトリックやフォエバー系がかかると、
「ブーっ」
という顔をしてるミロンゲーロたちがいる。
音楽の批判をしてるわけじゃない。
オレもピアソラ大好きだし、エレクトリックだっていい曲はいいっ!!
ただ踊りやすい曲と踊りにくい曲があるってこと。
「リーベルタンゴ」は聴くか、ショーで見るための曲で自分で踊るとタイヘン。
エレクトリックは長くて単調な曲が多く、まだまだ踊って楽しい曲は少ない。
ミロンガやプラクティカで一時流行っても数ヶ月で入れ替わっていく。
トラディショナルのタンゴだってすごい数の内、いい曲なんて数%なんだから、
まだ歴史の短いエレクトリックにそんなに多くの名曲がないのは当然か。
聴くだけならいい曲はいっぱいあるけどね。
前回のバイオリンの外国のバンドだってコンサートホールなんかで聴けばすごくいいのだろう。
ただミロンガでは踊れなかった。
「踊れるか、踊れないか?」
こういう考え方、感じ方が一般的なミロンゲーロたちの、「タンゴ」に対するイメージなんじゃないかなー、と思う。
家にCDプレイヤーのなかった時代の人たちはミロンガでかかる度に一音一音を覚えて踊りにしていったわけだから、ビンボーでCD買えないオレと同じ感覚だったんじゃないかな?
練習するときはジャズとか、ボサノバとか、ミーシャとかで踊ってるから
「お前こそタンゴじゃねぇー」
と言われそうだけど自分で踊ってる分には好きにしていいっしょ。
色んな曲で踊るの好きだし。
それにタンゴばっか踊ってると暗~くなってくるんだもん。
mi-----oT-n--
febrero 2009
(今回も4分の4拍子で説明)
強拍だけを取って 1、2、3、、、、8 と数えるのだ。
普通の速さで歩いてるときのステップのタイミングだね。
1小節に2つで計4小節分。
トラディショナルなタンゴは大体この4小節2つでAメロ、Bメロみたいな
大きなメロディーの形、フレーズを作っている。
最初の4小節がプレグンタ(問いかけ)で次の4小節がレスプエスタ(返答)だとナベイラは説明する。
そして4小節の中の最初の2小節も小さなプレグンタで後の2小節はレスプエスタだともいう。(小さなフレーズ)
たしかにトラディショナルなタンゴは曲の構成が大体そうなっている。
基本的にタンゴには楽譜はない。
今はあるんだろけど昔は楽譜なんてなくて感覚で演奏していた。
今も演奏家のじいさん達はじっさいに目の前で演奏してそれを「マネして覚えろ」という教え方をする。
(楽譜はその演奏やCDを聴いた人が後から勝手に書いたもので書いた人によって違っていたりする)
だからナベイラがいうような曲の構成の形がタンゴの大まかな基本形とされていたわけだ。
強拍だけを数えるという数え方も楽譜上で見れば変わった数え方だ。
4分の4拍子なら強拍も弱拍も数えた方が楽譜と照らし合わせやすいし、
4分の2拍子で書かれた楽譜なら1拍の前半分だけを数えてることになる。
でも多くのダンサーたちはこういう数え方をするのだ。
いわゆる「テンポを取る」数え方。
歩く早さ(ステップ)の数え方だ。
もともとの演奏家達に楽譜がなかったわけだからダンサーたちだって楽譜を見て数えたわけじゃない。
自分達が「どういうふうに踊るか」というところから考えた数え方だ。
じっさいナベイラ以外のミュージカリティーの良いダンサーだって楽譜的な教え方はしない。
オラシオは「タラッタッタッタッ」とか「わらわら、わ~ん」とか言ってるし、マリオだって途中で数字数えられなくなったりする。
こういうダンサーたちや古い演奏家たちは楽譜でタンゴを勉強したわけじゃないから感覚で踊ってるし、演奏しているのだ。(勉強した人もいるだろうけど)
楽譜がないところから生まれて、演奏されていた音楽ということは
「なんとなくこういうのがタンゴ」
というのを身体で、耳で覚えた演奏家達が演奏していたのがタンゴの音楽ということになる。
そしてその音楽はいつも踊りと一緒にあった。
踊りやすいようなテンポで作られ、踊りを楽しめるように曲の中にドラマがあった。
しかしそこに登場するのがピアソラである。
ヨーロッパに留学したりして彼はクラシックやジャズなど他の音楽も勉強した。
そしてそれをタンゴに取り入れてあの天才的な名曲たちが生まれたのだ。
Libertango Astor Piazzolla & Bond
(ピアソラの「リーベルタンゴ」のビデオ これしかなかった。。。)
「リーベルタンゴ」というタイトルを見て最近思った。
自由なタンゴ
今までのタンゴの枠に捉われない自由なタンゴなのだ。
タンゴの要素は含んでいるが他の音楽の要素も含まれている。
それまでの「ズンッ、チャンッ、ズンッ、チャンッ」というイメージや曲の構成、踊る人が踊りやすいように作った曲ではなくほんとに自分の好きなように書いた曲なのだ。
だからその当時の人たちは「彼の曲はタンゴじゃない」と言ったし、踊れないのは当然の話だ。
彼の曲がここアルゼンチンの人たちに認められたのはだいぶ後になってから。
ピアソラが世界的にブームになってからのことである。
実際のところタンゴの知識なんてまったくないままブエノスに来たオレでさえ
「リーベルタンゴ」は知っていた。
曲名すら知らなかったが、こっちのタンゲリアでこの曲でショーやってるの見て、
「やっぱこれがタンゴだろーっ。
何がカフェ・ドミンゲスだよ。ただの演歌じゃん」
などと言っていた。
ところが最近、
ミロンガなどでピアソラやエレクトリックの変な曲がかかると
「こんなの踊れねぇよ、タンゴじゃねぇ!
アンヘリスとかミゲル・カロかけろっ!!」
と言っている自分に気が付いた。
オレはこっちで楽器を演奏してるわけでもないし、音楽をまともに勉強してるわけでもない。
ただ毎日(ほんとに毎日)ミロンガなどに行って踊りまくってるだけなのだ。
(いわゆるミロンゲーロ)
知らない間にオレの中の「タンゴ」に対する判断基準が「踊れるか踊れないか」になっていたのである。
こう考えると「ピアソラはタンゴじゃない」って言う人の気持ちよ~く分かる。
ミロンガでこういうピアソラやエレクトリックやフォエバー系がかかると、
「ブーっ」
という顔をしてるミロンゲーロたちがいる。
音楽の批判をしてるわけじゃない。
オレもピアソラ大好きだし、エレクトリックだっていい曲はいいっ!!
ただ踊りやすい曲と踊りにくい曲があるってこと。
「リーベルタンゴ」は聴くか、ショーで見るための曲で自分で踊るとタイヘン。
エレクトリックは長くて単調な曲が多く、まだまだ踊って楽しい曲は少ない。
ミロンガやプラクティカで一時流行っても数ヶ月で入れ替わっていく。
トラディショナルのタンゴだってすごい数の内、いい曲なんて数%なんだから、
まだ歴史の短いエレクトリックにそんなに多くの名曲がないのは当然か。
聴くだけならいい曲はいっぱいあるけどね。
前回のバイオリンの外国のバンドだってコンサートホールなんかで聴けばすごくいいのだろう。
ただミロンガでは踊れなかった。
「踊れるか、踊れないか?」
こういう考え方、感じ方が一般的なミロンゲーロたちの、「タンゴ」に対するイメージなんじゃないかなー、と思う。
家にCDプレイヤーのなかった時代の人たちはミロンガでかかる度に一音一音を覚えて踊りにしていったわけだから、ビンボーでCD買えないオレと同じ感覚だったんじゃないかな?
練習するときはジャズとか、ボサノバとか、ミーシャとかで踊ってるから
「お前こそタンゴじゃねぇー」
と言われそうだけど自分で踊ってる分には好きにしていいっしょ。
色んな曲で踊るの好きだし。
それにタンゴばっか踊ってると暗~くなってくるんだもん。
mi-----oT-n--
febrero 2009
熱いね。BAで流行らせるべきだ!
ちょっと試してみよう。
私はHIP HOPで踊るのが好き♪
結構乗ってきて熱くなるんだけど長すぎて最後の方でバテてくる。
HIPHOPはCD持ってないな。
実はタンゴもあんまり持ってない。
だから持ってる曲で踊ってる。
ビンボーなんでCD買えんのだよ。