膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

入院、そして手術へ

2009-12-21 10:53:18 | 入院生活
2008年、7月18日、再入院した。 23日の手術のために。


10日ばかり離れただけで、すでに、病院が私には珍しいものになっていた。
先日、緊急入院したのだから、慣れていてもよさそうだが・・・前の時と、病室が違うだけで、戸惑いがある。 それとも、今回は手術が待ってるから?


・・・現実感が遠く、 そこにいるはずなのに、フワフワとしていた。
 

告知されたあの日からか、7月18日の再入院からか、時々、自分が出演しているTVを見ているような妙な感覚。



以前、指を切断した大きな怪我をしたとき・・・・痛みを感じなかった。 多分、こらえきれない痛みと判断した脳が、どこかで、痛みを遮断した。 あの感覚に似ている。 今の状態を、脳が、そう判断しているのだろうか・・・



「幽体離脱」・・って、きっとこんな感じなんじゃないのかな。



もうすでに、覚悟を決めねばならないこの期に及んで、私は、なにから離脱しようとしてるのか・・・ただ、流されているような感じ。 「まな板の上のコイ」の本当の心境は、ひょっとしたら、こんななのかもしれない・・・それとも、「生け作り」の魚の心境かな? 自分の状態を把握できてない?



術式は・・・・


・・・・膵頭十二指腸切除・・・


 ・手術内容

   下部胆管、及び、膵頭部、十二指腸、同囲、リンパ節、一括切除、再建術

 ・現時点で考えられる病名、病状

   下部胆管腫瘍、(癌疑い)

 ・その他の方法との比較

   切除以外の有効な根治治療ナシ。
   抗癌剤、放射線治療は無効と考えられる。

 ・手術に伴う危険性

   出血、感染、腹腔内膿瘍、膵液漏、心、肺、腎臓機能低下による合併症等。

 ・予定時間

   8時間。

 ・術後の状態、予後

   合併症がなければ、術後1週間で飲水、その後、流動食摂取。
   腸管運動の回復具合によっては、食事摂取延期。


以上のような説明がなされ、同意書を書く。 その他、麻酔医の説明、同意、肺機能の低下予防に、「スーフル」という呼吸訓練の道具を購入し、練習。
 

この「スーフル」、一見、子供のおもちゃみたい (風船を膨らませるヤツに似てる) なのに、4800円!!! そのお金で、おいしもの食べたい! と思う私。 肺機能が低下しても、カラオケで30曲くらい歌えば、元に戻りそうな気でいる患者だった。 大きな手術を控えている割に、お茶らけていた。 呼吸訓練もまじめとは言い難かった。 でも、寝る前に、軽い筋トレをする自分もいた。 麻酔科の先生に、ペロッと口を滑らせたら、注意された。 管がお腹から出ているから、背筋はやめといたんですよ。って言ったのに・・・そういう問題じゃなかったのかなぁ (汗)



そんな感じで、手術までは、身体は元気だった。 病人らしくなかった。 だって、病気による痛みがない。 「癌」の知識もない。 そのころ、5年生存率なんて、語彙は、私の脳みそに存在していない。 「ステージ」だって、「何、それ?」って感じ。 知らないってのは恐ろしい。 事の重大さを、理解できない。



手術をすれば以前の生活ができる、という説明だけ信じて、前に進むだけ。 


でも、一方で、朝を迎えるたびに、自分はなんてちっぽけな存在だろうと思った。 私が消えても何も変わらず、朝が来る。 そんな、当たり前のことを考えた。 じゃあ、なんで、生まれてきたんだろう。 どうせ死ぬのに。 考えてみれば、そんなにいいことばかりじゃなかったし、たいそうな志があるわけじゃない。 「生きる」って死ぬまでの我慢でしかないようにも思えた。


K医師がどんなにすごい医師でも、私が失敗第1号にならないとは言えない。 合併症も多い。 


けっして死にたいわけじゃない。 だけど、無理して生きなくてもいいような気がしていた。 寿命だったら仕方無い。 おとなしく逝こうって・・・思いながら、術後の体力回復が少しでも早いように、筋トレする・・・


・・・こんな風に、ずっと、自分の中に矛盾を抱えていた。


 

   なんで、「死にたくない!」って叫ばないんだろう。
   なんで、「死にたくない!」って叫べないんだろう。




そうできない自分が人間らしくない、と思った。 人間だったらそうしろよ!




・・・・・離脱したかったのは、



「死にたくない!」と思ってはいても、「生きるんだ!」と強く思えない自分だったのかもしれない。




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