膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

サボテンの花

2011-07-22 10:37:52 | 5年生存-3年目
ラジオ番組から懐かしい曲が流れる。 歌はいいな… いつまでも語り継がれる。。


2008年7月に手術をした。 今月で丸3年だ。
問診1週間前のCT検査と血液検査…ここの窓口の看護師は、注射が恐ろしくへた。
最初は 「そんなもんだろ~」 と思っていたけれど、近頃は、毎回同じ看護師で、毎回同じように痛いので、割と我慢強い方だと思う私もさすがに 「他人の身体だと思って!!」などと思うようになった。


…定期的な検査や問診、再発の有か無か、また、日々の日常…いろいろな事が頭の中を駆け巡った日々では、 「痛さ」にとらわれ、余計なことを考えずに済むのがありがたかった時期もある。



今でもそれは大きなの関心事ではあるのだけれど・・・
手術をして間もないころは、‘再発後の治療’が1番の関心事だった。



‘再発後の治療’について、私が理解したことは、「すい臓がんの再発」の場合、部位にもよるが手術ではなく、‘抗がん剤治療’が主流になること。
そして、その‘抗がん剤’は、“ジェムザール”と“TS-1”の2種類であること。
「単独」、あるいは、「混合」で使用する。が、人によっては、効かない場合もあること。
そして、その2種の薬が効かない場合、打つ手がない事・・・だった。


その頃は、問診の度にまるで「他人ごと」のように話していたように思う。 私は、そういう時「傍観者」になるように努めていた。 
あまりにも明るく自分の暗い未来の事を話しをする、 特異な『患者』だったのかもしれない。
担当医に「ずいぶん元気ですね~」と言われたこともある。 医師の話では、すい臓がんの患者さんは皆さん、半年から1年で再発して、逝ってしまうそうな。

元気な時は、自分の病気のことを忘れる時もある。 でも、病院にくると、担当医がとてもやさしくて・・・いたわってくれる。 そして、多分正直に「すい臓がんの現状」を聞かせてくれる。 そんな時、自分は大変な病気なのだと思いしらされる。 そんな繰り返し・・・



だいぶ自分の身体の事や病気の事がわかってきたころふと思った。
「再発」に対する心の備えは必要だろうけれど、それに振り回されるのはやめよう。と。
多分、「負の記憶」みたいなものに支配されている自分を見たくなかったのだと思う。


可能な限り、自分の置かれている空間で、自分を客観的に見つめることができれば、私にできる事、私がしなければならない事が見えてくる。 そう思い、その一瞬を大事にすることにした。

たいそうな志があったわけでもないし、普通の主婦でたいした事ができるわけもないけれど、毎日の日々の中で、なにかしらある…ほんの小さなことでも…今の私にできる事、私を生かして、周囲の役に立ったりする事・・・

術後無理はできない身体だけれど、できる無理もある。

なんだか、崖っぷちで、トランプができる自分を見てみたかったのかな~


『もしかしたら…』の明日が、怖くないわけじゃない。 見て見ぬふりをしてるわけじゃない。

心の片隅ではいつも、きちんと向き合っている。でも、それにとらわれない・・・




懐かしいメロディーはチューリップの『サボテンの花』・・

頭をよぎった映像は、およそ似つかわしくない、きれいなサボテンの花と、そこにいたはずの人間の気配が残った、鍵をかけたドア。

       何かをみつけて生きよう
       何かを信じて生きてゆこう

『生きる』ということのはかなさを思わずにいられなかった。



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ある日の物故者

2011-07-15 17:50:12 | 5年生存-2年目
今年(2011年)1月、中学時代の同窓会をした。


自分の中に同窓会をやりたい気持などなかったけれど、

ここで、この時、「同窓会やりたいね~」という言葉に出会ってしまったのも何かの縁かも?
                                    などと思い携わった。

  …多分、裏方をやらなければ出席もしていなかったろう。

出欠の返信に近況を書いてもらったりした。 具合の悪い同窓生が何人か…
    「いずれは自分もそうなる…」 かも
そして、物故者が3人、…
    「いずれは自分もそうなる…」 かも・・・

などと、複雑な気持ちを抱えながら、打ち合わせなどやっていたように思う。


私は充分‘具合の悪い同窓生’か? 秋に‘急性膵炎’で入院しているし、
 …すい臓がんで、5年生存中2年目…でも、自分の近況では触れなかった。
入院中は、同窓会準備の真っただ中。 病院から指示を飛ばしていた。


中学を卒業してから35年、同窓会としては、10年ぶり、それぞれどんなふうに過ごしてきたんだろ?
みんなの35年が見えないように、私の35年も見えるはずもない。

案内状を出しても反応は人それぞれで、 返信はがきの回収率はすごく悪かったし、「やりたいね~」と聞く割には、名乗りを上げて手伝ってくれた人は少なかった。


具合の悪い同窓生の存在がわかったので、同窓会の記念写真と名簿をお見舞いとして送った。
その後、容態が悪くなった同窓生がいたけれど、個人的なお付き合いはないので病院まで見舞うことはしなかった。


   …訃報は春に届いた…

「次回は、参加したい。」と言っていたそうだ。 

告別式に出る出ないで、私にも問い合わせがあった。 暗に「同窓生で何かやらないのか?」的な思いもあったのかもしれない。 特に同窓会staffからは何もしなかったし、 私も個人的なお付き合いがなかった方なので、告別式に行かなかった。


私には、たいした付き合いも無かったのに、ノコノコ出かけていくことがはばかれる。 自分が行かねばならない立場の人間は行けばいいと思う。 でも、できれば、生きているうちに大事にしてやればよかったでしょ。と思う。

私は可能な限り、同窓生には所在や近況を載せた冊子を配ったりして、お知らせしたんだよ。

懐かしいと思ったら、逝って欲しくないと思ったら、連絡をとればよかったのに…生前に
そんなこともしないで、告別式で「かわいそう」 だって・・・


いつか、ある日、私も誰かに「かわいそう」なんて思われるんだろうか。


     …少しだけ、生きている人間の「傲慢さ」を感じた。
      彼らにとって、「死」は、「生」の連続の結果ではない…


     …彼らにあって私にないもの、私にあって彼らにないものを思い、私は頭をかかえた。



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経口抗がん剤・2

2011-07-08 07:48:45 | 5年生存-1年目
2008年7月23日に膵臓癌切除の手術をした。 術式は・・・膵頭十二指腸切除術・・・



その後、念のためと処方された経口抗がん剤。 UFT(一般和名 テガフール・ウラシル)


UFT(ユーエフティ)は、5-FUという抗がん剤を改良した飲み薬(経口抗がん薬)で、投与された後、体内で徐々に有効成分へと変化するようつくられ、主に術後補助療法として使用されるものだそうだ。


癌細胞の大きさは10ミクロン(1ミリの100分の1)。そんな微小の細胞の取り残しがないとは言えないのだろう。  その取り残した「癌細胞」をやっつけるために服用するものだと、私は理解した。


退院後しばらくして、「胆汁漏」で再入院をしている私は、そちらが落ち着いてからの服用となった。

初回の処方は10月14日。 その後、計175日分処方。


その間、毎月血液検査があり問診を受けた。  「副作用が強く出たら、服用はやめましょう。」と担当医。
 


体調が良好でなければ投与を見合わせる…身体のダメージが大きいから…


主な副作用は、のどの痛み、発熱、出血、皮膚のあざ、下痢、口内炎、疲労感、黄疸等…、
担当医からは、人によってさまざまで、抗がん剤の中では副作用は軽い方との説明を受けた。


…幸い顕著な副作用はなかったように思う。


ってか、真面目に飲まなかった。 他にも薬は出ていたけど、

…ナウゼリン錠・ポリトーゼカプセル・マーズレンS顆粒・ガスターD錠等

最初の1,2カ月こそ真面目に飲んだ。 でも、後は適当にサボった。


   「体調がいいと飲むの忘れちゃって・・・」


などと言っていた。 上記の薬はそれでよかったんだろうな。 たいしてとがめられなかったもの。



UFTに関しては、問診の度に 「いりません。」 と言いだせない自分と闘っていたように思う。


「絶対再発を防げる」 とはいえないのに、副作用があるかもしれない薬なのだもの。 手術をして、ただでさえ「身体の弱い人」になってしまった私は、「ねんのため」のためにこれ以上「身体の弱い人」になりたくなかった。



残された私の「人生」や「死」というものが、私「個人」のものであるならば・・・

“死にさえしなければ何でも有”みたいな治療は、
それしかないと言われても 「NO!」 と言える強さが欲しい。



   結局、 “ 念のための抗がん剤・UFT ” は、半年でやめた。(残りもずいぶんある) 


それで再発率が上がったりするのかな?

担当医は、治療法の決め手のないすい臓がんの、現段階での最良を示してくれているだけにすぎない。 
それが私にとっての最良かどうかは、私が考えてしかるべきだろう。


「1年服用して欲しい。」と言われたが、「やめる」と伝えた。

「大丈夫、先生のせいになんてしませんから。」


       …再発したとしても、最期に見晴らしの良い場所に立つための選択。

                     私の人生の責任者は他ならぬ私しかいないのだもの。…



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死にぞこない…5年生存率の挟間で…

2011-07-01 09:07:57 | 5年生存-3年目
また、夏が来る。もうすぐ手術をしてから丸3年。


   …私は生きている。


昨年の夏も暑かったけれど、今年も暑くなりそう。 手術をしてからずっと、私は“身体の弱い普通の人”
…癌細胞といっしょにいろいろ切除しているせいか、私は欠陥品で無理ができないようだ。


暑い夏はいやだ…昨年秋には「急性膵炎」でまたもや入院生活を余儀なくされた。 でも、


   …私は生きている。


あれは、痛かったな~ 担当医から話は聞かされていたので痛みに襲われた時、「これが多分急性膵炎!!」と思ったもんだ。 でも、死ぬ気はしなかった。 目測で10日も入院すれば退院だろうと考えていた。 で、事実その通りだった。

膵臓の3分の1、十二指腸、胆のう、胆管の一部・・・それらが私にはない。 この手の手術をした人間は、予後、‘急性膵炎’を伴う事があるらしい。 本来‘急性膵炎’は大酒のみの男性に多い疾患だという。
 
担当医は言う。 「1年に4~5回する人もいるんですよ。」
「そりゃ、単に医師の腕が悪かっただけなのではないですか?」と私。 診察室は一瞬、少し押さえたような笑いの空気になる。 私はただ、遠まわしに「先生の腕はいい」と言いたかっただけなのだけどな。



3か月毎の血液検査、半年毎のCT。 今のところ特に心配な所見はない。


    また、7月が来る…


昨年の夏、交通事故で次男の後輩が亡くなった。 どうして私ではないのだろう。 
大震災の折、私は、なぜ、波打ち際に立っていなかったのだろう。 亡くなるべきは私ではなかったのか…


膵臓癌の再発率は高く、それゆえ5年生存率は恐ろしく低い。 
もう再発して余命を切られていてもおかしくない。
こんな私がのうのうと生きていていいのだろうか? と、時々思う。



そこには、この腕で、この身体を抱きしめて「生きてる!」ことを噛みしめたいと思う私がいる。


    …また、7月が来る。 暑い夏を連れて…



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