膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

経口抗がん剤・2

2011-07-08 07:48:45 | 5年生存-1年目
2008年7月23日に膵臓癌切除の手術をした。 術式は・・・膵頭十二指腸切除術・・・



その後、念のためと処方された経口抗がん剤。 UFT(一般和名 テガフール・ウラシル)


UFT(ユーエフティ)は、5-FUという抗がん剤を改良した飲み薬(経口抗がん薬)で、投与された後、体内で徐々に有効成分へと変化するようつくられ、主に術後補助療法として使用されるものだそうだ。


癌細胞の大きさは10ミクロン(1ミリの100分の1)。そんな微小の細胞の取り残しがないとは言えないのだろう。  その取り残した「癌細胞」をやっつけるために服用するものだと、私は理解した。


退院後しばらくして、「胆汁漏」で再入院をしている私は、そちらが落ち着いてからの服用となった。

初回の処方は10月14日。 その後、計175日分処方。


その間、毎月血液検査があり問診を受けた。  「副作用が強く出たら、服用はやめましょう。」と担当医。
 


体調が良好でなければ投与を見合わせる…身体のダメージが大きいから…


主な副作用は、のどの痛み、発熱、出血、皮膚のあざ、下痢、口内炎、疲労感、黄疸等…、
担当医からは、人によってさまざまで、抗がん剤の中では副作用は軽い方との説明を受けた。


…幸い顕著な副作用はなかったように思う。


ってか、真面目に飲まなかった。 他にも薬は出ていたけど、

…ナウゼリン錠・ポリトーゼカプセル・マーズレンS顆粒・ガスターD錠等

最初の1,2カ月こそ真面目に飲んだ。 でも、後は適当にサボった。


   「体調がいいと飲むの忘れちゃって・・・」


などと言っていた。 上記の薬はそれでよかったんだろうな。 たいしてとがめられなかったもの。



UFTに関しては、問診の度に 「いりません。」 と言いだせない自分と闘っていたように思う。


「絶対再発を防げる」 とはいえないのに、副作用があるかもしれない薬なのだもの。 手術をして、ただでさえ「身体の弱い人」になってしまった私は、「ねんのため」のためにこれ以上「身体の弱い人」になりたくなかった。



残された私の「人生」や「死」というものが、私「個人」のものであるならば・・・

“死にさえしなければ何でも有”みたいな治療は、
それしかないと言われても 「NO!」 と言える強さが欲しい。



   結局、 “ 念のための抗がん剤・UFT ” は、半年でやめた。(残りもずいぶんある) 


それで再発率が上がったりするのかな?

担当医は、治療法の決め手のないすい臓がんの、現段階での最良を示してくれているだけにすぎない。 
それが私にとっての最良かどうかは、私が考えてしかるべきだろう。


「1年服用して欲しい。」と言われたが、「やめる」と伝えた。

「大丈夫、先生のせいになんてしませんから。」


       …再発したとしても、最期に見晴らしの良い場所に立つための選択。

                     私の人生の責任者は他ならぬ私しかいないのだもの。…



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経口抗がん剤

2010-02-21 22:33:55 | 5年生存-1年目
「UFT」・・・私の担当医師の説明は、

臨床試験結果は、出ていないが、膵臓癌の再発防止対策として、欧米では術後半年、日本では、1年程、服用した方が良いとされている。 副作用は、個人差があるが、軽い方だという。

身体が弱っている時に飲むものではないので、術後、胆汁漏があった私は、それが、落ち着いてからの服用を勧められた。 そして、副作用が強いようなら、服用はやめましょう。


という、念のための経口抗がん剤…ということだった。



ようするに、再発に対して、効くか効かないかよくわかっていないけど、効くかもしれないので、具合が悪くなる可能性は高いけれど、飲む薬・・・再発が怖いので、延々飲み続けている罹患者もいるそうだ。

知識がなかった私でも、そんな得体のしれないものに、自分のQOLを預けるのは抵抗があった。

世の中には、罹患者の少ない病気はたくさんあるんだろう。 治る見込みのない病気、特効薬のない病気、「膵臓癌」もその一つに過ぎない。

でも、私は、やっぱり、薬飲むんだったら、効くことを信じて飲みたいぞ・・
サプリじゃないんだからさ~

「効果は、個人の感想で、保障されるものではありません。」

      って、TV通販のテロップじゃないんだから。 でも、それが、現状。(涙)


物事を考える時や、判断を下すには、やはり、材料がいる。 私には、知識がなかった。

「癌」は、ある意味、情報戦。 けして、担当医を信用していないわけじゃない。 多分、担当医は、現時点での最良を尽くしている。 だけど、担当医の現状の情報が、今この時は、正しくても、明日、そうでなくなる場合もある。

再発の治療に関してもそれが言える。

手術に関しても… 以前は、拡大手術が主流で、私の受けた膵頭部十二指腸切除の手術は、胃もかなり切除されていた。 今は、患者のQOLを優先し、縮小手術が主流。 ちょっと前なら、私の内臓はかなりの部位が切り取られていた。 膵臓癌の予後の悪さは、この辺にも問題があったらしい。 



念のための経口抗がん剤に、私の健康な方の細胞が悲鳴を上げないか…心配しつつ…拒否する決め手がないまま、飲み始めていた。

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寄りかかったもの

2010-02-18 09:15:24 | 5年生存-1年目
人間がなぜ生まれてきて、どこに帰結するべきなのか私にはわからない。
けれど、「生」が、輝くべきものなのだとは、思う。


私は、誤魔化してきたように思う。 「死」というものに蓋をして、見て見ぬふりをしてきた。 病気になって、そういったものに直面し、誤魔化しきれなくなった。 見ることをしないでは、立っているのも容易でなくなった。 生きてはいるのに、明日を迎える準備ができていない。


・・・ただ、私は私なりに、それまで、私らしくあろうと、誰かの役に立とうと、何かに必要とされるようにとやってきた。 私は、昨日の自分が嫌いではない。 過去~現在~未来と続くならば、昨日の自分と、今日の今この時の自分は、つながっていてしかるべきなのだと思おうと考えた。 病気になってからの自分は、それまでの自分とまるで違ってしまった感覚は否めないけれど、生き方が分からなくなってしまった「今」、私ができそうに思ったことは、「過去の自分」にすがることだった。 


「過去の自分」をなぞる生き方… 「あの頃の自分だったらどうするであろう。」それをいつも心の中で検証し、過ごすことにした。 


・・・どうなるかわからない「明日」を迎えるために・・・


抱えてしまった「爆弾」が爆発する、その時までは、できるだけ、病気になる前の生活に近いものを・・・以前の自分をなぞる自分を創りだすことにした。

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再入院

2010-02-15 00:52:09 | 5年生存-1年目
退院後の通院で、最後に残った、胆汁を体外に出しているチューブを抜いた。 それが早すぎたのか、どうなのかわからないが、腹部の激痛で再入院した。胆汁漏…ということだった。


そんなこともあったが、再入院の後は、元の日常が徐々に戻ってきた。 でもそれは、病気になる前とは全然違う日々。


もしかしたら、手放さねばならない、かけがえのない日常…。 身体の回復とは裏腹に、どこか不安で頼りない、空間。 自分だけが異質なもの、そんな感じ。 皆が、変わらない日々を過ごす中、異質な空間をまとっている。 心の底から笑えない…


その頃は、PCを持っていなかったので、ずいぶん本を読んだ。 自分の病気のこと、身体の事、これからどう生きればいいのか。 

膵臓癌の書籍は少ない。 というより、症例が少ないと言った方が正しい。 発見された時には、手術ができない進行度の場合が多く、手術可能であって、手術をしても、予後が良くない、転移、再発率が高く、5年生存率も低い。 さらに、決め手になる治療法も確立されていない…
 

毎月の血液検査、半年毎のCT、何もなければ、普通の生活、再発していれば、闘病生活。どちらをどうとらえて生きるのが良いのかわからなかった。 ある意味、爆弾を抱えている生活になる。 時限装置付き。 検査で何もなければリセットされる。 この2択に、自らの選択の自由はない。


    ・・・「癌」という病気の恐ろしさを知った。


こんな人生も「アリ」なのかもしれない。 命あるものは必ず消える定め。 明日死ぬことになっても、幸せでいられる自分になれればいい・・・


自嘲した。 理想論は虚しいだけだった。

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