膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

花火

2010-01-24 22:39:59 | 入院生活
2008年8月、退院も近い病室から、夏祭りの花火を見た。



見舞客のいない部屋で、癌の話で盛り上がった時の、

  「江戸時代なら死んでたわね。」 という、何気ない言葉が私にまとわりついていた。



      医療の進歩は、果たして正しいのだろうか・・・



昔読んだSF小説が思い浮かぶ。 タイムマシンに乗って太古にレジャーに出かけた主人公、思いがけず、予定外の虫を踏み潰してしまった。 そしたら、自分の世界に戻った時、歴史が変わっていた・・・なんて話。



私は、死ぬべき人間だったんじゃないのか・・・?  ふと、思った。

   私の本当の寿命は、もう尽きているのじゃないのか?

      黄疸で死ぬ運命だったのじゃないか?


医療の進歩は、正しいことなのか? 



真夏の空の、打ち上げ花火。

  闇にうち放たれるそれは、美しかったけれど、はかなくもあった。


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病室のマリオネット

2010-01-15 16:43:46 | 入院生活
2008年、7月、膵頭十二指腸切除。

・・・・手術の後、麻酔が切れた直後、すごく辛かったのを覚えている。


予定どうり終わったので、多分、夕方、
                 ・・・寒くて、暑かった。

熱にうなされたのだと思う。 麻酔が効いていたので、傷の痛みはなかったが、寒さに震え、暑さにうなされた。 ひどく、のどが渇いた・・・飲水を許されないので、湿らせたガーゼを口にくわえていた。 幾度となく、看護師さんが様子を診に来てくれた。 手術直後は、ナースステーションのすぐ前の集中治療室に入室していた。  


    「終わったんだ・・・」


黄疸から1ヶ月、やっと1歩進んだ手ごたえを感じた。 やっと、治療をしてもらえた感覚があった。




集中治療室で二晩過ごした後、普通の病室に引っ越した。
 

   ・・歩って・・・・
 
            ゲゲーー! そんな無茶な~ でも、歩いた。
                    (そういうものなのだそうだ。)


着用している弾圧ストッキングというものが、辛く、

    「歩けたら、脱げるわよ。」

な~んて聞かされたものだから、フラフラだったけど…(なんて単純な、ワタシ)


でも、私なりに、がんばろうとは、思っていたんだよ。 退院を遅らせたくはなかったもの。 やらねばならないことは、早くクリアしないと、退院が、遠くなるだろうくらい、わかっていたから。



でも、術後の私は・・・「管」だらけ。 「操り人形」のようだった。 手術の後は、みんなこんなもんらしい。 ベットの上のマリオネットだった。 しかも、人形師は不在。 操り人形自身が、「管」がこんがらないように注意しなければならない。



ベットの上のマリオネットは、ひたすら「1週間の我慢…1週間の我慢…」ととなえていた。 退院という大きな目標の前に、目の前の小さな目標「飲水許可」に向かっていた。



ちょっと前まで、普通の生活をしていた私には、飲まず食わずの1週間が信じられない。
でも、点滴という液体で平気なものなんだ。 すごい。 植物みたい。



そして、恰好だけは、前向き。
 

   「なるべく起きていた方がいいのよ。」

と言われれば、その通りにしていた。
         (腸の動きの回復のためには、その方がいいらしい。)



チューブは、日が経つにつれ、一つ一つはずされていった。 でも、点滴を常時していなければならないので、1人で、歩けるようになっても、動くときには、ずーっと、点滴を吊るすスタンドといっしょだった。



点滴で栄養が満たされているせいか、飲水が許可になってからはそれほど辛くなかった・・・気持は、ちょっとだけ寂しいかったけど(食べられないから)。 多分、退院してからの日々に目がいっていたのだと思う。


退院したら、おいしいものをたくさん食べる気満々で・・・料理番組やら、食べ歩きのTVばかり見ていた。(笑)


心配された合併症もなく、日に日に回復に向かっていたと思う。 だって、だんだん、退屈になっていったもの。(笑)




6人部屋の病室では、お見舞いの方がいないときなど、「癌」の話で盛り上がった。 ほとんど、癌患者だった。 保険会社のCMではないけれど、3人に1人、というのは、まんざら嘘ではない。とここ(病院)にいると思える。



「私は、胃なの。」

「私は、食道。」

   「胆管らしいんです。」と、私。(当時の診断は胆管がん)



長い?入院生活のおかげで、「医療」に関する知識は少しは増えたような気がする。


手術も様々、4、5日で退院なんてのもあったりするし、お腹を切らないで、腫瘍部位をとり除したり・・・すごいなぁと感心する。 でも、部位によっては、手術が難しく、苦しんでいる方もいた。 手術だけではなく、放射線治療中の方もいたりして、いろいろお話を聞かせてもらった。


私は、癌なのに、放射線治療や、抗がん剤治療の話は、とんとなかった。 癌もいろいろなんだ~と思った。




病室にいると、外界は、とても素敵なものに思える。 あ~ 早くあっちで生きたいよう… 3食、いや、0食昼寝付きも、慣れてしまうと、つまんないものになる。 私って、ホント、ワガママ。 (笑)




癌なので…再発のことは、知識がないなりに考えてはいた。


当時の無知な私の考えは、手術で癌細胞をとれば、体質的な問題で、また癌細胞が誕生したとしても、けっこう、生きれるんじゃないか、だった。 なんと言ったって、「細胞」レベルなんだ。 ~ミリミクロンとかの世界。 それが、大きくなるのには時間がかかるだろう。


なんだろう。 根底に、今死ななければいいや、って気持があったように思う。


今死ぬのはいやだけど、5年先ぐらいなら、なんとかなりそうな気がしてた。・・・今考えると、笑ってしまう・・・


多分、5年くらい先なら、末の子も、中学。 それなら、母親がいなくても大丈夫そうに思えたからかもしれない・・・子供は、少し苦労した方がその子のため、くらいに思っていたので・・・ここで、私がいなくなるのはそんなに悪いことじゃない。 なんて。 …冷たい母親だな。 半ば、育児(養育)放棄してる?


今は死ねないけど先ならいい・・・結局、逃げていただけかもしれない。
 


今の自分の死は、無意味だけど、未来の自分のそれには、深い意味があるような気がしていた。


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手術

2009-12-27 16:35:13 | 入院生活
2008年、7月23日・・・手術・・膵頭十二指腸切除術・・・



    手術は、朝9時から行われた。 終了予定は、午後5時。



手術に怖さはなかった。 だって、麻酔が効いていて私に意識はない。 なにかあったとしても、麻酔中・・・チャンチャンって終わるだろう。 自分の預かり知らないところで、意識のないまま・・・う~ん、ちょっと理不尽を感じた。 その一瞬って大事なんじゃないか? そうでもないのか?



どんな傷跡になるのかが、気になっていた。 女だから・・・ 「もう、ビキニは着れん!」 って、この年で、ビキニ着る時なんか・・・ないわな、(あった方が怖いゾ!)ハハ・・・



同じ病室に「乳がん」の方がいたけれど、そっちよりは、救われてるかな~なんても思った。 やっぱ、胸なくなるなんて、ショック。 とりあえず、お腹は、普通見せるもんじゃないし・・・



「普通の人」にとって、当たり前のものがないってのは、辛い。 怪我で指を切断してしまっている私にはよくわかる気がする。 あるべきものがない・・世界。 「癌」という病気とはまた別に・・・辛いと思う。 なにかしらで、「完全体」ではないって、すごい抵抗感があることなんだ。 でも、そんなことおかまいなしに生きてる方もいる。 ・・・言葉がない。


でも、今は、温存が主流だそうで・・・よかった。 胸はやっぱり、あったほうがいい。




「普通の人」ってなんだろう。 「健康体」ってことなのかな。 病気になったら、「普通の人」ではなくなるのかな。 病気が治れば、また、「普通に人」になるんだから。 そして、何か、不足してもいけない。 「五体満足」のことなのかな? 多分身体的にはそうなんだろう。 


じゃあ、精神面は? 部品は見えない。 「心」の「完全体」は? 何を持ってして、身体で言う「五体満足」を思えばいいのだろう。


精神面で言ったら、みんな、「五体不満足」 なんじゃないか? 私は、「解りきったことを少しも分かっていなかった」ことや、いろんな矛盾を抱えていることで、充分すぎるくらい、心の「完全体」や「健康体」にはほど遠いと思う。 でも、じゃあ、健康な「心」ってどんなん?

 


「五体不満足」の心を持っていて、「五体満足」の心へ向かうのが、「人間」なのかな? そう思えば、少しは納得できる。




意識がなくなる前に目にしたものは、電気のたくさん付いた、手術用の照明だった。 次に、名前を呼ばれて意識が戻る中見た物も、その、手術用の照明だった。

・・・・だから、私の中で、手術は一瞬の出来事・・・



         それが、私の8時間の手術だった。



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入院、そして手術へ

2009-12-21 10:53:18 | 入院生活
2008年、7月18日、再入院した。 23日の手術のために。


10日ばかり離れただけで、すでに、病院が私には珍しいものになっていた。
先日、緊急入院したのだから、慣れていてもよさそうだが・・・前の時と、病室が違うだけで、戸惑いがある。 それとも、今回は手術が待ってるから?


・・・現実感が遠く、 そこにいるはずなのに、フワフワとしていた。
 

告知されたあの日からか、7月18日の再入院からか、時々、自分が出演しているTVを見ているような妙な感覚。



以前、指を切断した大きな怪我をしたとき・・・・痛みを感じなかった。 多分、こらえきれない痛みと判断した脳が、どこかで、痛みを遮断した。 あの感覚に似ている。 今の状態を、脳が、そう判断しているのだろうか・・・



「幽体離脱」・・って、きっとこんな感じなんじゃないのかな。



もうすでに、覚悟を決めねばならないこの期に及んで、私は、なにから離脱しようとしてるのか・・・ただ、流されているような感じ。 「まな板の上のコイ」の本当の心境は、ひょっとしたら、こんななのかもしれない・・・それとも、「生け作り」の魚の心境かな? 自分の状態を把握できてない?



術式は・・・・


・・・・膵頭十二指腸切除・・・


 ・手術内容

   下部胆管、及び、膵頭部、十二指腸、同囲、リンパ節、一括切除、再建術

 ・現時点で考えられる病名、病状

   下部胆管腫瘍、(癌疑い)

 ・その他の方法との比較

   切除以外の有効な根治治療ナシ。
   抗癌剤、放射線治療は無効と考えられる。

 ・手術に伴う危険性

   出血、感染、腹腔内膿瘍、膵液漏、心、肺、腎臓機能低下による合併症等。

 ・予定時間

   8時間。

 ・術後の状態、予後

   合併症がなければ、術後1週間で飲水、その後、流動食摂取。
   腸管運動の回復具合によっては、食事摂取延期。


以上のような説明がなされ、同意書を書く。 その他、麻酔医の説明、同意、肺機能の低下予防に、「スーフル」という呼吸訓練の道具を購入し、練習。
 

この「スーフル」、一見、子供のおもちゃみたい (風船を膨らませるヤツに似てる) なのに、4800円!!! そのお金で、おいしもの食べたい! と思う私。 肺機能が低下しても、カラオケで30曲くらい歌えば、元に戻りそうな気でいる患者だった。 大きな手術を控えている割に、お茶らけていた。 呼吸訓練もまじめとは言い難かった。 でも、寝る前に、軽い筋トレをする自分もいた。 麻酔科の先生に、ペロッと口を滑らせたら、注意された。 管がお腹から出ているから、背筋はやめといたんですよ。って言ったのに・・・そういう問題じゃなかったのかなぁ (汗)



そんな感じで、手術までは、身体は元気だった。 病人らしくなかった。 だって、病気による痛みがない。 「癌」の知識もない。 そのころ、5年生存率なんて、語彙は、私の脳みそに存在していない。 「ステージ」だって、「何、それ?」って感じ。 知らないってのは恐ろしい。 事の重大さを、理解できない。



手術をすれば以前の生活ができる、という説明だけ信じて、前に進むだけ。 


でも、一方で、朝を迎えるたびに、自分はなんてちっぽけな存在だろうと思った。 私が消えても何も変わらず、朝が来る。 そんな、当たり前のことを考えた。 じゃあ、なんで、生まれてきたんだろう。 どうせ死ぬのに。 考えてみれば、そんなにいいことばかりじゃなかったし、たいそうな志があるわけじゃない。 「生きる」って死ぬまでの我慢でしかないようにも思えた。


K医師がどんなにすごい医師でも、私が失敗第1号にならないとは言えない。 合併症も多い。 


けっして死にたいわけじゃない。 だけど、無理して生きなくてもいいような気がしていた。 寿命だったら仕方無い。 おとなしく逝こうって・・・思いながら、術後の体力回復が少しでも早いように、筋トレする・・・


・・・こんな風に、ずっと、自分の中に矛盾を抱えていた。


 

   なんで、「死にたくない!」って叫ばないんだろう。
   なんで、「死にたくない!」って叫べないんだろう。




そうできない自分が人間らしくない、と思った。 人間だったらそうしろよ!




・・・・・離脱したかったのは、



「死にたくない!」と思ってはいても、「生きるんだ!」と強く思えない自分だったのかもしれない。




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一時帰宅

2009-12-09 17:14:08 | 入院生活
7月23日(2008年)の手術予定を待つ日々。


・・・・長いって・・

医師が言うには、黄疸の症状が治まり準備万端にするには、そのくらいの時間が必要らしい。 手術は、かなり込み入ったものになるらしく、手術に伴った合併症の心配やら、膵液等の漏れ(これが1番やっかいらしい)、などを聞くと、癌になった上、他のことで危険にさらされるのか~と少し憂鬱なる。



癌細胞は、1ヶ月くらいでは、そんなに大きくならないらしい。 でも、小さくはならない。 だったら、早く手術して欲しい。 なんというか、入院生活は、仕方がないこととはいえ、この間まで、病気と無縁だった私には、「囚われの身」の感覚がどうにも居心地が悪い。 検査で痛い思いをすることはあっても、本人は、管が身体にくっついているだけで、痛くも痒くもない。


そんな中、「家に帰りますか?」と 医師。


「えっ?」 検査も一通り終了し、もうやることがないそうな。  
んなこと言って・・・疑り深い私は、


「最期の身辺整理をしろってこと?」
 

なんて、ほんのちょっと、思った。 告知もあっさりしたものだったし、ほんとはもっと悪かったり・・・じゃなくても、もしかしたらってことがないとは言えないわけで・・・ハハ・・・深読みしすぎだなと思い、打ち消した。


家に帰れる。 ありがたい。 急な入院だったもの、子供達も心配だったし、その他もろもろ、気にかかることは山ほどあった。 PTAのお仕事など中途半端なものも多い。 長男(高2)の高校で支部の会計をやっていた。 支部のお金も預かっている。 誰かにお願いしないと、みんなに迷惑掛けると、入院中気になっていた。 こんな時に~って感じだけど、万が一もないとは言えないのだから、ちゃんとしておかないとな~ なんて。



手術のための再入院が、7月18日、それまで、10日程、家ですごした。


管はついたままで、いつも胆汁を貯める袋をからだのどこかに着けてはいたが、普通に生活していた。 特に生活面での注意事項もない。


家に戻ってしまうと、予定されている手術がずーっと先にも思えた。



病院に戻らなかったらどうなるんだろう? とも思った。 でも、袋ぶら下げてるままじゃね~ 逃亡もままならない。 いや、逃げるつもりなんかなかったけれど、手術が怖いわけじゃなく、ただ、人間って病気になるんだ、死ぬもんなんだ、と頭の中でひらひらと舞っていたのかもしれない。


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