膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

外科病棟

2009-11-16 22:27:54 | 告知~
外科病棟に引っ越した。


「先々、手術をするようになるので、内科から外科に変わります。難しい手術になりますが、幸いこの病院には、この手の手術の権威がいるので、こちらで手術が可能です。」 というわけで。



担当医も「その手の手術の権威」の医師になった。大柄だけど優しい先生で、とてもメスを持ってヒトの体を切り刻んでるようには見えない。K医師。



外科病棟に移ってからは、検査漬けの毎日だった。手術で「癌」を残すことなく切除するためには、仕方がないらしい。


・ アンギオ&TAE (腹部血管造影検査)

これは、翌日まで、「安静」を強いられるのが辛かった。横になっての食事・・
看護師さんに手伝ってもらいながらも・・完食。


  ・ 大腸内視鏡検査 (大腸ファイバー)

飲料水タイプの下剤が憎かった。飲んでも飲んでも減った気がしない。私は、ポカリだって苦手なのに・・二度と飲みたくない。全部飲めと言われたけど、内緒で少し捨てた。


  ・ 胃カメラ

これは、他の人が嫌がる程は、いやじゃない。



・・・そのたびに禁食になったりする。
K医師の話だと私の胃袋はかなり大きいらしい。「かなりの食いしん坊?」とも聞かれた。だからなのか、食べられないのは、悲しくなる。・・・私の受ける手術は・・・術後2週間は飲まず食わずになるのだそうで、その辺が1番、辛そうと思った。でも、人間なのに食べなくて大丈夫なんだろうか。素朴な疑問もある。
 


私の当時の、「癌」の知識は「再発するから怖い」とか「良性ではなく悪性の腫瘍のこと」とか「あちこちに転移したりする」程度だったし、医療の知識も貧しいものだった。だから、どんな風に自分の病気が治るのか、想像するのは難しかったのだと思う。




「手術をすれば、この管(胆汁を抜くために私には管が付いていた)がとれて、普通の生活ができるんですね?」

K医師はできると言う。だったらやるしかない。

「失敗したことないんですか?」

K医師は、まだ無いと言う。


‘セカンドオピニオン’等の説明もあったが、そんな余裕もなかった。知りたかったのは、どのくらいで退院できるのか・・ということだけなのだから。



私は、盲腸の手術しか経験がない。

すい臓、胆管、十二指腸の入り組んだ所にできた私の癌の塊を取り除くのは、かなり大変な手術になるらしい。でも、要するに、切ってつなげるってことで・・・つなげば多少部品的に足りなくとも機能するのだからってこと。・・不思議だ。・・人間の体って意外と適当なのかもしれない。などと思った。



6人部屋だったのだが、病室には、癌患者ばかりだった。乳がんの方、食道がんの方、胃がんの方・・多分、それぞれに、この病院で、癌細胞といっしょに、自分の一部分を切り取られる。

でも、「ワ・タ・シ」が「タ・シ」になるわけじゃない。




手術は、7月23日の予定になった。


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告知

2009-10-07 15:25:54 | 告知~
「胆管を詰まらせているものは、腫瘍・・悪性のいわゆる癌です。」


告知は、あまりにもあっけなかった。医師は淡々と顔色も変えず話す。毎日、日常的にこんな患者を相手にしているからだろうか。そうすることで、相手にも冷静さを求めているのだろうか。
そのせいではないと思うのだが、私の対応は、はた目からみればかなり冷静だったろう。その場では、泣きも喚きもしなかった。


急な入院後の検査や、超音波の検査での結果がこれだった。

    ‘下部胆管がん’


胆汁の通り道である胆管の下の方に、できものができた。それが、‘癌’だった。




病気になる少し前に、考えていたことがある。


私も47、人生折り返しだ。これから、どう生きるべきか、と。

‘死’の瞬間まで、精一杯生きたい。そして、形のないもの・・・素敵な思い出や、大事なものを両手いっぱいにかかえ、死に際に「いい人生だった」とつぶやこう。と。これからは、そんな‘棺桶アイテム’を増やしていくことが大事なんじゃないか? なんて・・・・


今、たった今、誰かが亡くなったかもしれない、そして・・・次は・・・

     


病室に戻り、自分のベットに入った時、少しだけ涙が出た。




そこには、わかりきったことを少しも理解していなかった自分がいた。


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