膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

病室のマリオネット

2010-01-15 16:43:46 | 入院生活
2008年、7月、膵頭十二指腸切除。

・・・・手術の後、麻酔が切れた直後、すごく辛かったのを覚えている。


予定どうり終わったので、多分、夕方、
                 ・・・寒くて、暑かった。

熱にうなされたのだと思う。 麻酔が効いていたので、傷の痛みはなかったが、寒さに震え、暑さにうなされた。 ひどく、のどが渇いた・・・飲水を許されないので、湿らせたガーゼを口にくわえていた。 幾度となく、看護師さんが様子を診に来てくれた。 手術直後は、ナースステーションのすぐ前の集中治療室に入室していた。  


    「終わったんだ・・・」


黄疸から1ヶ月、やっと1歩進んだ手ごたえを感じた。 やっと、治療をしてもらえた感覚があった。




集中治療室で二晩過ごした後、普通の病室に引っ越した。
 

   ・・歩って・・・・
 
            ゲゲーー! そんな無茶な~ でも、歩いた。
                    (そういうものなのだそうだ。)


着用している弾圧ストッキングというものが、辛く、

    「歩けたら、脱げるわよ。」

な~んて聞かされたものだから、フラフラだったけど…(なんて単純な、ワタシ)


でも、私なりに、がんばろうとは、思っていたんだよ。 退院を遅らせたくはなかったもの。 やらねばならないことは、早くクリアしないと、退院が、遠くなるだろうくらい、わかっていたから。



でも、術後の私は・・・「管」だらけ。 「操り人形」のようだった。 手術の後は、みんなこんなもんらしい。 ベットの上のマリオネットだった。 しかも、人形師は不在。 操り人形自身が、「管」がこんがらないように注意しなければならない。



ベットの上のマリオネットは、ひたすら「1週間の我慢…1週間の我慢…」ととなえていた。 退院という大きな目標の前に、目の前の小さな目標「飲水許可」に向かっていた。



ちょっと前まで、普通の生活をしていた私には、飲まず食わずの1週間が信じられない。
でも、点滴という液体で平気なものなんだ。 すごい。 植物みたい。



そして、恰好だけは、前向き。
 

   「なるべく起きていた方がいいのよ。」

と言われれば、その通りにしていた。
         (腸の動きの回復のためには、その方がいいらしい。)



チューブは、日が経つにつれ、一つ一つはずされていった。 でも、点滴を常時していなければならないので、1人で、歩けるようになっても、動くときには、ずーっと、点滴を吊るすスタンドといっしょだった。



点滴で栄養が満たされているせいか、飲水が許可になってからはそれほど辛くなかった・・・気持は、ちょっとだけ寂しいかったけど(食べられないから)。 多分、退院してからの日々に目がいっていたのだと思う。


退院したら、おいしいものをたくさん食べる気満々で・・・料理番組やら、食べ歩きのTVばかり見ていた。(笑)


心配された合併症もなく、日に日に回復に向かっていたと思う。 だって、だんだん、退屈になっていったもの。(笑)




6人部屋の病室では、お見舞いの方がいないときなど、「癌」の話で盛り上がった。 ほとんど、癌患者だった。 保険会社のCMではないけれど、3人に1人、というのは、まんざら嘘ではない。とここ(病院)にいると思える。



「私は、胃なの。」

「私は、食道。」

   「胆管らしいんです。」と、私。(当時の診断は胆管がん)



長い?入院生活のおかげで、「医療」に関する知識は少しは増えたような気がする。


手術も様々、4、5日で退院なんてのもあったりするし、お腹を切らないで、腫瘍部位をとり除したり・・・すごいなぁと感心する。 でも、部位によっては、手術が難しく、苦しんでいる方もいた。 手術だけではなく、放射線治療中の方もいたりして、いろいろお話を聞かせてもらった。


私は、癌なのに、放射線治療や、抗がん剤治療の話は、とんとなかった。 癌もいろいろなんだ~と思った。




病室にいると、外界は、とても素敵なものに思える。 あ~ 早くあっちで生きたいよう… 3食、いや、0食昼寝付きも、慣れてしまうと、つまんないものになる。 私って、ホント、ワガママ。 (笑)




癌なので…再発のことは、知識がないなりに考えてはいた。


当時の無知な私の考えは、手術で癌細胞をとれば、体質的な問題で、また癌細胞が誕生したとしても、けっこう、生きれるんじゃないか、だった。 なんと言ったって、「細胞」レベルなんだ。 ~ミリミクロンとかの世界。 それが、大きくなるのには時間がかかるだろう。


なんだろう。 根底に、今死ななければいいや、って気持があったように思う。


今死ぬのはいやだけど、5年先ぐらいなら、なんとかなりそうな気がしてた。・・・今考えると、笑ってしまう・・・


多分、5年くらい先なら、末の子も、中学。 それなら、母親がいなくても大丈夫そうに思えたからかもしれない・・・子供は、少し苦労した方がその子のため、くらいに思っていたので・・・ここで、私がいなくなるのはそんなに悪いことじゃない。 なんて。 …冷たい母親だな。 半ば、育児(養育)放棄してる?


今は死ねないけど先ならいい・・・結局、逃げていただけかもしれない。
 


今の自分の死は、無意味だけど、未来の自分のそれには、深い意味があるような気がしていた。


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