膵臓がん闘病記 ・・・いつか電池が切れるまで・・・

2008年夏、膵臓がんの手術をしました。その時のこと、その後の生活などを書いています。  
 

病気であってもなくても・・・

2012-12-13 09:42:16 | 5年生存-2年目
手術をして間もない頃は、生きているのがやっとだった。
体力がなく、無理がきかない。すぐ、調子が悪くなる。
精神的には、けっこう研ぎ澄まされていたような気はするけれど・・・



当時は、自分のこれからのことばかり考えていたように思う。
自分の病気のことも可能な限り調べたし、再発の時期や、再発したらどうなるのか、
私は、いつまで生きられるのか、どんな治療が待っているのか、



そして、短くも長くも、自分はどのように生きていけばよいのか・・・
余命宣告をされたとして、 
たとえば、「6ヶ月」とか。 その場合の「180日」をどう過ごすのか。 
寝てるだけなのか、行動できるのか、何ができるのか。



再発してもしなくても、寿命が長かろうが短かかろうが、いつ死のうが、
後悔せずに生きる毎日なんてあるんだろうか・・・


    「すい臓がん」の現実は結構厳しくて、よく泣きもしたけど・・・


結局、死んじゃうんだよね。 みんな。 時差があるだけでサ。 癌じゃなくてもサ。



人間なんてちっぽけで、どうにもできないことたくさんあるじゃんか。
    そんなものの一つ・・・なんだろう、いつ死ぬかなんてサ。

人間なんてちっぽけで、明日の天気だって決められない。
    そんなものの一つ・・・なんだろう、いつ死ぬかなんてサ。


・・・・・・そうは言っても、いざ再発したら、泣くかもな~。
「なんで~」って思うから悲しくなる。
「日頃の行いが悪いから、しょうがないわ~」くらいに思えればいいのかなぁ(苦笑)

泣いてもズルズル泣き続けるのはやめたいなぁ。
自分の力でどうにもできないこと嘆いてもサ。 不毛なだけだし。


だから、私は、私の病気を「人間にはどうにもできないこと」としてくくり、

「そんときゃ、そん時、なるようになるサ。」・・・って・・・



少しだけ、自分の生き方に「メリハリ」ができてきたように思う。いい意味で。

日々は、止まることなく流れていて・・・(私の中で何が起こっても)
その中で、「自分の正義」を貫くことが、少しばかりできるようになったかな。
数に負けることなく、力に負けることなく。


多分、自分の生きている小さな世界で、自分のやるべきことってあると思う。
それに気がついてやる。って事なんだと思う。



こんな状況で少し生きるのが楽しくなった。「生きる意味」がちょとだけつかめたのかもしれない。  



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ある日の物故者

2011-07-15 17:50:12 | 5年生存-2年目
今年(2011年)1月、中学時代の同窓会をした。


自分の中に同窓会をやりたい気持などなかったけれど、

ここで、この時、「同窓会やりたいね~」という言葉に出会ってしまったのも何かの縁かも?
                                    などと思い携わった。

  …多分、裏方をやらなければ出席もしていなかったろう。

出欠の返信に近況を書いてもらったりした。 具合の悪い同窓生が何人か…
    「いずれは自分もそうなる…」 かも
そして、物故者が3人、…
    「いずれは自分もそうなる…」 かも・・・

などと、複雑な気持ちを抱えながら、打ち合わせなどやっていたように思う。


私は充分‘具合の悪い同窓生’か? 秋に‘急性膵炎’で入院しているし、
 …すい臓がんで、5年生存中2年目…でも、自分の近況では触れなかった。
入院中は、同窓会準備の真っただ中。 病院から指示を飛ばしていた。


中学を卒業してから35年、同窓会としては、10年ぶり、それぞれどんなふうに過ごしてきたんだろ?
みんなの35年が見えないように、私の35年も見えるはずもない。

案内状を出しても反応は人それぞれで、 返信はがきの回収率はすごく悪かったし、「やりたいね~」と聞く割には、名乗りを上げて手伝ってくれた人は少なかった。


具合の悪い同窓生の存在がわかったので、同窓会の記念写真と名簿をお見舞いとして送った。
その後、容態が悪くなった同窓生がいたけれど、個人的なお付き合いはないので病院まで見舞うことはしなかった。


   …訃報は春に届いた…

「次回は、参加したい。」と言っていたそうだ。 

告別式に出る出ないで、私にも問い合わせがあった。 暗に「同窓生で何かやらないのか?」的な思いもあったのかもしれない。 特に同窓会staffからは何もしなかったし、 私も個人的なお付き合いがなかった方なので、告別式に行かなかった。


私には、たいした付き合いも無かったのに、ノコノコ出かけていくことがはばかれる。 自分が行かねばならない立場の人間は行けばいいと思う。 でも、できれば、生きているうちに大事にしてやればよかったでしょ。と思う。

私は可能な限り、同窓生には所在や近況を載せた冊子を配ったりして、お知らせしたんだよ。

懐かしいと思ったら、逝って欲しくないと思ったら、連絡をとればよかったのに…生前に
そんなこともしないで、告別式で「かわいそう」 だって・・・


いつか、ある日、私も誰かに「かわいそう」なんて思われるんだろうか。


     …少しだけ、生きている人間の「傲慢さ」を感じた。
      彼らにとって、「死」は、「生」の連続の結果ではない…


     …彼らにあって私にないもの、私にあって彼らにないものを思い、私は頭をかかえた。



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