《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

引重致遠~~元鉄の性

2011年10月11日 20時42分54秒 | Weblog
書店でたまたま見つけた『京都百話』(奈良本辰也編)に妙に心を引かれて購入。
最近はほとんどの書籍をアマゾンで購入しているので、
きっとそれだけ『京都百話』が霊的に私の心を引いたのであろう。
ほとんど立ち読みせずに、表紙と目次だけで選んだ、に近かったのだから。

読み進めるうちに矢田挿雲の『江戸から東京へ』に近い玄味にすっかりとりつかれた。
そして元鉄(JR発足時に“乗り鉄”の現役を引退、ちょっと鉄道に詳しいオヤジとして現在に至る)としては、「疎水」に登場する“インクライン”がとても気になった。

派生的に読み始めた、『京都の謎』(奈良本辰也・高野澄共著:おそらく大部分高野氏の筆なんじゃない?)「なぜ京都に日本初の市電が走ったか」で
決定的に“インクライン”を見て、いや、歩いてみたくなり、
いてもたってもいられないまでになり、
9.10日の連休を利用して京都に行ってきた。

いや~よかったですね。行ってよかった。

琵琶湖と京都を結ぶ疎水をトンネルで通す。
琵琶湖の背後には北陸があり、日本海があり、明治拓殖期の至宝・北海道があった。
帝を東京に連れ去られた京都人が、
琵琶湖を通して京都を北日本と直接結びつけ、
「東京が政治都市になろうというのなら、京都は産業都市として再生する!」
との気概を見せた!
2対のレールを見たとき、中島みゆきの『地上の星』が脳中を流れました。

中世まで年貢の集積地だった京都は物を生産するより、
金融で儲けることに専念していた土地柄で、
多くの人口を喰わせるためにもその方が合理的だったため、
(物を作り、運んで、売って、食料を買うなんて手間をかけていられない)
西陣織ぐらいしか産業のない都市であった(酒は伏見、茶は宇治だもんね)、
と奈良本氏は書いていたように記憶している。
帝を失って初めて、都市の性格を変貌させようという力が生まれた。ということか。

インクライン以外は付け足しのように、以前見たことのあるところを回っただけ。
広隆寺は初参拝でしたが、
あとは二条城、神泉苑、南禅寺、(紅葉していない)永観堂、(紅葉していない)真如堂。
ま、どうせインクラインの付けたりなら、思いっきり「修学旅行」的な所にしよう、
「私は“ほぼ”インクラインを見るためだけに京都へ行きました」、
といっても過言と成らないようなプランにして、結果オーライでした。
誰もが行くところというのは、どうでもいいやという気持ちで行くと、意外にいいもので、
「○○へ行くぞ!」なんていう意気込みで行くとろくなことはない。
そして、南禅寺なんか、いつ行っても、それなりにいい。すごく矛盾した事書いていますが。

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