《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

関西に行ったご報告、まずは城之越遺跡に行ったんだわぁ

2012年07月09日 20時12分06秒 | Weblog
ご存じの通り、7月5日から6日にかけて関西といわず西日本全域は、
危険なくらいの大雨だったので、
当初楽しみにしていた浄瑠璃寺、岩船寺はドライバー・ストップがかかり、
予定変更。

ここのところ関西に行くと必ずと言っていいほどガイドをお願いしているドライバーさんが、
ただのミーハーでしかない私のことを、すごい庭園マニアと勘違いしてはって、
「こんな時でもないと、行くチャンス、おまへんで」
と強く勧められて、城之越遺跡と訪ねることになってしまった。

もっと俗っぽいところに行きたかったのにナ。

城之越遺跡と書いて「じょのこし」遺跡とよむ。
ま、「本気」とかいて“マジ”と読む…みたいなモノ、とでも言っておきまひょか。



この遺跡、何がすごいかというと、
日本の庭園の歴史を古墳時代まで一気にさかのぼらせてしまった、という点にある、
のだそうですよ。
この遺跡が出るまで、飛鳥時代の庭園跡が最古のモノとされていたのに、
200年ほど年代をさかのぼらせてしまった。
そして、最古のモノなのに、
池の縁を曲線にするという、日本独特の作庭方法を備えているということも、特筆に値する、
らしいですよ。
大陸や朝鮮半島の庭では、池は方形に設える。
これを日本人の美意識は嫌った。
それが最古の庭園遺跡から既にあったということを示している
らしいんですわぁ。


ちょっと産道を思わせるHさ、あるでしょ。
庭と儀式とHさは切り離せないモノなんです、ってことらしいですよ。

水辺に降りるための階段


とか、
立石の組み方


とか、
その道の人には垂涎の代物、らしいのですよ。
ただ、これに涎を垂らすには、あと10年くらいお庭の勉強をしないとナ。
浄瑠璃寺に行きたかったよぉ~ん。憎らしい雨め。

パンフのコピー写真でないことを、筆者近影を掲載することで、証明しておこう。



次回は(明日とは約束しませんよ)、智積院~~水のある風景をお届けしたい。

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1 コメント

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庭か?祭祀のための広場か?どっちでも同じか? (奥菜主義革命)
2012-07-09 22:05:10
庭園遺跡内を流れる水は、庭園の現役当時は自然の湧水だったと考えられているが、
(でも本当に庭園と言い切っていいのだろうか。タクシードライバーは庭園と言い切っていますが、公式には「祭祀を執り行った広場」ということになっている~~パンフレットより)
現在は当然そんな水脈は枯れてしまっているわけで、
電力でポンプを作動させ、流し込んでいるわけである。
この日、その時間、あの遺跡を訪れていたのはどう見ても私とタクシードライバーだけだったわけで、
たぶんその前後に訪問者がいなかったことは容易に予測が立つ状況でして、
このお水は、私のために流していただいたモノなんです。
いかに節電するかが喫緊の課題である関電地区で、ここまでしていただいて、ありがとうございました。たった200円の入場料で。

でも、私だってここにたどり着くために、200円の105倍以上掛けてたどり着いたんですから。この程度には歓迎されてもいいと思ふ。
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