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めご の ひとりごと

ほぼ ひとりごと と おぼえがき

ブラタモリ 田園調布

2018-01-29 | ぶらたもり
#96 田園調布
~田園調布は どう超高級住宅街になった?~
総合 2018年1月20日(土)
午後7時30分~8時15分

位置





扇形の土地割り

カーブする道路の理由


イギリスのガーデンシティ→田園都市
庭園都市のほうが的確?


中流家庭向け分譲
雅子様が通った書道教室?


地形を利用
宅地は台地に


軍人が住んだ


国分寺崖線

浅間神社 多摩川べり 富士山が見える
古墳の上
国分寺崖線上台地に古墳50基

宅地に向かないところは商業地域

田園コロシアム 崖を観客席に

低湿地は水族園や多摩川遊園


多摩川園の崖を利用さした”大山すべり”の跡


★★★★★
NHK公式ホームページより

ブラタモリ、田園調布へ!
今回の舞台は東京の田園調布。政財界の大物や各界の大御所・スターが住み、「田園調布に家が建つ!」のフレーズで全国にその名を知られた高級住宅街です。しかしこのあたりは、明治時代まであまり人が住んでいなかった場所。実は今からちょうど100年前、その名も「田園都市株式会社」が一から開発をはじめた、いわば「元祖・新興住宅地」なのです。それがどうして日本を代表する超高級住宅街になったのか。「田園調布は散歩のコース」というタモリさんが、いつものようにブラブラ歩きながら解き明かします。
田園調布のシンボルといえば、駅の西側に広がる半円形の町割り。放射状に広がるタテの道と、同心円を描くヨコの道がつくる、あまり類のない町並みですが、よーく考えると、住宅地という観点ではあんまりメリットはなさそう。でも実はこのカーブにこそ、100年前にこの町をつくった人たちの夢が込められていた・・・っていったいどういうこと?まわりに田んぼが無いのに「田園」調布と名づけられた秘密とは?
はるか昔、開発がはじまった当時の面影を残すお宅にタモリさんが潜入!昔のままの間取りから明らかになる、田園調布の意外な真実とは?もともとこの町に住みはじめたのは、意外な職業の人たち。その名残がなぜか、あるお店の看板から判明!?
そしてタモリさんが向ったのは、町の価値を高めるための、究極のアイデアが分かるという場所。水族館や元祖・絶叫マシーンを楽しめる遊園地をつくった逆転の発想とは!?


オープニング

01:田園調布駅
ブラタモリ「田園調布」。駅前からスタート。
02:“田園調布はどのように超高級住宅街になったのか?”
100年前、畑だったこの地に、日本を代表する超高級住宅街がどうできたのか探ります。
03:田園調布が模範とした街を知る
駅から放射状に広がる街の形はフランスのパリが模範。駅舎は凱旋門!?

まちづくりの発想

01:カーブした道
駅から放射状に伸びる道に対して、半円形のカーブした道が同心円のようにあります。
02:道をカーブさせた理由
それぞれの家に植えられた樹木が視界の中心に見え、また道の先が見えないことで「歩きたくなる」まちをつくる発想です。
03:築83年の住宅
分譲された当時の姿を今に残す建物。田園調布中心部ではここだけです。
04:住宅の内部
広さ2LDK。分譲当時はサラリーマンにも手が届く家として売り出されました。

台地と高級化

01:住宅街の地形を確認する
田園調布の住宅街は切り立った台地の上にあり、地盤が安定しています。
02:「兵隊」の名がついたそば店
安定な地盤に注目して軍人が移り住んだことから、田園調布の高級化が進みました。
03:多摩川の近く
「国分寺崖線(がいせん)」の末端の場所にタモリさん大興奮!
04:多摩川浅間神社
05:高台からの眺め
足元には多摩川、遠くには富士山が一望できる絶景スポットです。
06:古墳があったことを知る
このあたりは古代のセレブ・豪族がつくった古墳の密集地帯です。<出土品のレプリカは撮影用に用意したものです>

土地の活用

01:再び田園調布の駅前へ
線路を挟んで住宅街の反対側には、商店街が広がっています。
02:“田(でん)コロ”跡地の石碑
田コロとは多目的屋外競技場の田園コロシアム。斜面上の土地を利用してつくられました。
03:“多摩川園”の跡地へ
多摩川園は、大正14年から昭和54年まで営業していた遊園地です。
04:多摩川園がつくられた場所の地質を知る
ここは崖の下の水が湧き出す低湿地。水を利用して園内には水族館がつくられました。
05:“大山すべり”の痕跡
かつて自然の崖を生かした全長50mの滑り台がありました。


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