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はいだしょうこ@真田丸 第43回

2016-10-30 | たからづか お~じ~
「真田丸」第43回
2016.10.30 20:00~

はいだしょうこ が出演するので視聴。


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ブラタモリ 富士山麓

2016-10-29 | ぶらたもり
#52 富士山麓
~富士山最大の玄関口はどうできた?~
放送日:2016年10月29日(土)

◆上吉田は雪代によって耕作地ができ、雪代によって移転をしなくてはならなくなったのか。

★★★★★
NHK公式ホームページより

ブラタモリ、世界遺産の富士山麓に広がる町へ!
江戸時代以降、富士山に登る人が最も多いのは山梨県側の「吉田ルート」。その起点にあたる富士吉田市は、その登山者を長年にわたって迎えてきた町。そしてそれは、昔から脈々とつながる富士山信仰と密接に結びついていました。タモリさんが、富士山最大の玄関口に秘められた謎を、ブラブラ歩いて解き明かします。
まずは富士山の澄んだ名水があふれる「忍野八海」を訪ねたタモリさん。湧水と富士登山の意外な関係とは?江戸時代、富士山に登る人は、御師(おし)と呼ばれる案内人の導きで、霊峰へと挑みました。当時の富士吉田は、その御師によって栄えた町。そしてなんといまも、この町には現役の御師が!御師のお宅を訪ねたタモリさん、続々と登場するお宝に大興奮!さらに町はずれにある謎のトンネルへ潜入!溶岩がひろがる富士の麓に町をつくるための、江戸時代の工夫とは!?

オープニング  

01:富士山最大の玄関口はどうできた?
富士登山者の6割を占める「吉田ルート」。450年前からの麓の町づくりに迫ります。
02:忍野八海
富士山を信仰し登山をするグループ“富士講(こう)”の人々が禊をした神聖な池です。

御師の住む町

01:金鳥居
吉田ルートの起点の町・上吉田に建つ、別名“富士山一の鳥居”です。
02:御師の家が立ち並ぶ通り
御師は富士山を登る人を受け入れる旅のコンシェルジュであり神職。現職の御師の家も!<御師の家は個人宅のため立ち入りはできません>

上吉田の町づくり  

01:雪代がつくった谷
富士山の雪解けでつくられた谷が、上吉田の町の境界です。
02:滝
忍野八海から流れ込むこの水が上吉田を潤した水源です。
03:溶岩の壁
水源から上吉田に水を運ぶには、この溶岩の壁を乗り越えなければなりませんでした。
04:江戸時代の用水トンネル
溶岩の下にトンネルを通して、町に水を引きました。<一般には公開していません>
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大川小訴訟判決2

2016-10-28 | しんさい
文科省の偉いかたが頭を下げにきて、全国の教育関係者の研修の必須科目にし、宮城県の教育関係と石巻市教育関係は再発防止対策について、HP発表とかで発表する・・・という判決は出せないものなのかなと思う今日この頃。


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河北新報

<大川小訴訟>教員の判断力 重要に
2016年10月27日 木曜日

市と県に命じた=26日午後
仙台地裁で26日にあった宮城県石巻市大川小の津波災害を巡る訴訟の判決は、教員の避難判断の過ちが児童の犠牲を招いたと指摘した。大川小の悲劇に何を学び、学校の管理下で子どもの安全をどう守るか。行方不明を含め、失われた児童74人の命は教育現場の一人一人に未来永劫(えいごう)、問い続ける。
「あまりにも犠牲が大きく、遺族側に寄り添った判決になると思っていた。短時間での判断を教員に求めた点は、子どもの命を預かる現場にとって非常に厳しい」。宮城県沿岸部の小学校の男性校長は複雑な胸の内を明かす。
震災時は仙台市の小学校に勤務していた。避難者が体育館や校舎にあふれ、対応に追われた。訓練もマニュアルも機能しなかった。
「裁判の勝ち負けではなく、学校防災の教訓として、亡くなった子どもたちと教員仲間のような思いを二度とさせてはならない」
自分なら冷静な判断を下せたのか。折に触れて大川小を訪ねて冥福を祈り、自問自答を重ねる。
学校防災に詳しい数見隆生東北福祉大教授は「子どもにとって学校は一番安全な場所でなければならない。全国全ての教員が判決をかみしめ、子どもの命と向き合う仕事の重さを考えてほしい」と語る。
数見教授は大川小事故検証委員会の委員を務めた。判決が、地震発生前の注意義務や児童を約45分間、校庭に待機させた判断について、教員の責任に踏み込まなかった点には「教訓という意味では足りない」と指摘する。
「『自然災害だから仕方なかった』で済ませてはならない。誰か一人でも、避難を主導する強い動きが、あの場所にいた大人にあれば児童は助かった。教育行政の在り方、教員の資質を問い直す必要がある」と数見教授は訴える。
岩手県教委の小野寺哲男学力・復興教育課長は「判決にはコメントできない」とした上で「緊急時、災害時は校長の判断を待てない場合もある。教員が短時間で適切に判断できる力を養うことが重要だ」と述べた。大船渡市教委の千田晃一学校教育課長は「震災を経験した教員の大半は内陸部に転勤した。教訓を伝えなければ」と気を引き締める。
福島県教委健康教育課の担当者は「大川小の事例は人ごとではない。震災以降一貫して積み重ねた教訓を生かし、学校の防災体制を強化する」と話した。火山や活断層にも触れ「想定外の事態に直面した時、教職員が臨機応変に対応できる体制を整えたい」と語った。

★★★★★
河北新報

<学校と命>子どもを守る覚悟問う
2016年10月28日 金曜日

東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)

◎大川小津波訴訟の教訓(1)備え

<耳を疑う証言も>
「校長、教頭が何も決められず、学校をまとめられない。教育委員会は判決を真摯(しんし)に受け止め、実力本位の人事をすべきだ」
勝訴判決後、長男と長女を失った原告の鈴木義明さん(54)が記者会見で訴えた。
あの日、児童は約45分間、校庭で待機させられた。「なぜ、子どもが死んだのか」。震災から5年7カ月、毎日、問い続けてきた遺族は教育者としての資質にまで踏み込み、検証を続けてきた。
地裁で4月8日にあった証人尋問のやりとりに、遺族は耳を疑った。
証言したのは大川小の元校長で、地震発生時は不在だった柏葉照幸氏。
「万が一、大川小まで津波が来たら山に逃げるしかないかな、と話した」
柏葉氏は、震災の2日前と1カ月前の2度、津波を想定し、教頭や教務主任と協議した事実を認めつつ、「万が一は言葉の中での話」と釈明した。
遺族側の弁護士が「『万が一』を考えるのが校長の役割ではないか」とただすと、原告席の遺族は柏葉氏に厳しい視線を向けた。
2009年4月に大川小に着任した柏葉氏は、市教委の指示で10年度の危機管理マニュアルに津波対応を盛り込んだ。ただ、避難場所は標高1メートル程度の低地のまま。「十分考えた上での安全計画ではなかった」と認めている。

<対策の不備 免責>
訴訟で、遺族側は「教員はマニュアルを適切に改訂し、津波対策をする義務があった」と主張。市側は「津波到達は想定できず、教職員に求められる水準は満たしていた」と反論した。
09年4月に施行された学校保健安全法は、災害などに備えたマニュアルの策定や研修など「事前の備え」を学校に強く求めた。判決は法の趣旨に触れつつ、「行政も想定外だった」などとして事前対策の不備を免責した。
京都精華大の住友剛教授(教育学)は「学校現場は『詰め詰めの弁当箱』状態で、防災が入る隙間はない。教育委員会は、命を守る対策に十分時間を割くべきだ」と提言する。
「地震から津波到達までの51分間や3.11前に、子どもたちを救う手掛かりはなかったか。徹底的に考えてほしい」
兵庫県の小中学校の新任教員40人が8月25日、大川小を訪れ、語り部の言葉に耳を傾けた。
命の現場と向き合い、教員としての覚悟を問う-。同県教委は本年度、新任研修に東北の被災地視察を取り入れ、大川小は必ず立ち寄っている。
「命あってこその教育。被災地・兵庫は学力向上はもちろん、全国一の防災教育に努める」と担当者は言う。
大川小で語り部を続ける原告遺族の只野英昭さん(45)が警鐘を鳴らす。
「大川小に来るのは宮城県外の教育関係者ばかり。宮城県や石巻市の教育委員会は全く触れようともしない。これでは悲劇を繰り返す」

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大川小訴訟判決1

2016-10-27 | しんさい
唯一生き残った教員の出廷も新たな陳述もないし(神様が苦しくても証言しなさいと生き残らせたんだと思うんだけどな)、遺族が求める真相究明はできなかったけれど、責任の所在ははっきりした=裁判に勝ったのは良かった。
(被告が控訴するだろうけど)

★★★★★
河北新報

<大川小訴訟>仙台地裁 判決要旨
2016年10月27日 木曜日

津波で犠牲になった石巻市大川小の児童の遺族が県と市に賠償を求めた訴訟の26日の仙台地裁判決の要旨は次の通り。

【事実経過】
大川小の教員らは地震直後、児童を校庭へ避難誘導し、保護者らが迎えに来た児童以外の下校を見合わせた。学校は海岸から約4キロ離れ、県の浸水予測では津波は及ばないとされていた。集まってきた地域住民の対応をしながら、ラジオ放送で情報を収集。午後3時半ごろまでに、従来と格段に規模の異なる大きな津波が三陸沿岸に到来し、大津波警報の対象範囲が拡大されたことを認識した。
石巻市の広報車は、遅くとも午後3時半ごろまでに津波が北上川河口付近の松林を越えたことを告げて高台への避難を拡声器で呼び掛け、学校前の県道を通過。教員らはこれを聞いていた。
教員らはこの直後ごろ、大川小から西に約150メートル離れた河川堤防近くの県道と国道の交差点付近に向け、校庭にいた70人余りの児童とともに移動を決め、同35分ごろまでに出発した。大川小には同37分ごろ津波が到来。教職員と児童は歩いている間に津波にのまれ、裏山に逃れた教員1人と児童4人が生き残った以外、全員が死亡した。

【注意義務】
広報車による避難呼び掛けを聞く前は、学校に津波が到来し、児童に具体的な危険が及ぶ事態を教員らが予見可能だったということは困難だ。この段階では県内に津波が襲来するという情報しか得ていない。裏山も土砂災害の危険はあった。
だが、広報車の呼び掛けを聞いた段階では、程なく津波が襲来すると予見、認識できた。地震は経験したことがない規模で、ラジオで伝えられた予想津波高は6~10メートル。大川小の標高は1~1.5メートルしかなく、教員らは遅くともこの時点で、可能な限り津波を回避できる場所に児童を避難させる注意義務を負った。

【結果回避義務】
移動先として目指した交差点付近は標高7メートル余りしかなく、津波到達時にさらに避難する場所がない。現実に大津波到来が予期される中、避難場所として不適当だった。
一方、裏山は津波から逃れる十分な高さの標高10メートル付近に達するまで、校庭から百数十メートル移動する必要があったが、原告らの実験では、移動は徒歩で2分程度、小走りで1分程度だった。斜面の傾斜が20度を上回る場所はあるが、児童はシイタケ栽培の学習などで登っていた。避難場所とする支障は認められない。
被災が回避できる可能性が高い裏山ではなく、交差点付近に移動しようとした結果、児童らが死亡した。教員らには結果回避義務違反の過失がある。

★★★★★★
河北新報

<大川小訴訟>「想定外」免罪符にならず
2016年10月27日 木曜日

【解説】宮城県石巻市大川小津波訴訟の仙台地裁判決は学校教員に対し、震災発生から刻々と変化する事態に的確に対処する判断力と行動力を求めた。「想定外」は免罪符にはならないと、教育界に警鐘を鳴らした意義は大きい。子どもの命を預かり、守る覚悟が改めて教育現場に問われている。
津波を予見できたタイミングについて、地裁は市広報車が高台への避難を呼び掛けた3月11日午後3時30分と認定。「津波の襲来まで7分間の余裕があり、教員は可能な限り被災を回避できる場所に児童を移動させる義務を負っていた」と指摘した。
避難先を巡っては、土砂災害の恐れがあったとされる裏山と、避難先に選んだ標高約7メートルの北上川堤防付近(三角地帯)の安全性を比較。「大津波が迫る中、児童の生命を最優先すべきだった」と緊急時の判断ミスを過失と認定した。学校が住民と協議して避難先を決めたとされる点は「児童の安全を優先し、学校自ら決断すべきだ」と自主性を求めた。
一方、大川小の危機管理マニュアルは、津波に対する検討の不備が遺族側から指摘されていたが、判決は詳しい言及を避けた。
津波が襲来するまでの51分間を知る、唯一の生存教諭(男性教務主任)への尋問は見送られ、「避難が遅れた理由」は十分解明されなかった。病気休職中とはいえ、教諭は第三者事故検証委員会の聞き取りに複数回、最長3時間応じており、地裁の判断は極めて残念だった。
岩手県の洪水被害や熊本地震など全国各地で災害が頻発する中、「想定外」という言葉が今も繰り返されている。大川小の児童・教職員84人の犠牲を無にしない、との誓いは教育界にとどまらないはずだ。(報道部・斉藤隼人)
           
東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった石巻市大川小の児童23人の19遺族が市と宮城県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は26日、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校の責任を認め、計約14億2660万円の支払いを命じた。学校の管理下で震災の津波の犠牲になった児童生徒を巡る司法判断は初めて。

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河北新報

<大川小訴訟>予見性 分かれる判断
2016年10月27日 木曜日

東日本大震災の津波の犠牲を巡り、仙台地裁が判決を言い渡した訴訟は、宮城県石巻市大川小訴訟で6件目になる。いずれも遺族が自治体や民間事業者に損害賠償を求め、施設管理者らが津波の襲来を予測できたかという「予見可能性」が主な争点となった。「1000年に1度」「未曽有」と形容される巨大津波に対し、地裁の判断は当時の状況や立地条件などによって分かれた。
仙台地裁が判決を言い渡した津波訴訟は表の通り。大川小訴訟以前の5件は、行政の事前想定を重視する傾向が顕著にみられた。
特に、市町村が県の想定を基に作成するハザードマップで、津波浸水が予想されていたかどうかは大きなポイントになった。東松島市野蒜小訴訟では、浸水区域外の体育館にいた女性2人と、浸水区域を通らなければ帰宅できなかった女児の犠牲を巡り、法的責任の有無が線引きされた。こうした傾向を「ハザードマップ至上主義」と批判する識者も少なくない。
常磐山元自動車学校(宮城県山元町)を巡る訴訟では、地裁は教習所が浸水予想区域外にあることなどから地震直後の津波予見可能性を否定。しかし、「教官らは消防車による避難の呼び掛けを聞いたと推認できる」として、地震発生後の周辺状況の変化を踏まえ、予見可能性を認めた。
大川小訴訟は同じ高宮健二裁判長が担当し、予見可能性についてこの判断基準を踏襲した。「学校前の県道を通った市広報車が高台への避難を呼び掛けていることを聞き、教員らは大津波の襲来を予見し、認識した」と認定した。
学校は海から約4キロ離れ、津波浸水予想区域外にあった。このため、震災前や地震発生直後の予見可能性は否定されたが、津波襲来ぎりぎりになって教職員が得られた一つの重要な情報を重視した判断と言える。
さらに、大川小は約140メートル裏手に傾斜が緩やかな裏山があり、小走りで1分、徒歩でも2分程度で避難できた。地裁判決は児童の犠牲を防げた可能性を指摘し、大津波襲来の危険性を認識していた教職員に対し、安全な避難先を適切に選択できなかった点を過失とした。



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