木を見て森を見ず。
『木を見て森を見ず』この言葉をご存知ですか?物事の一部や細部に拘って
全体を見失う事を言います。
全体を見なきゃいけないってことは、誰しも分かっている事だけど、実際見
られる人というのは、今、現在、少なくなっているように思います。
個人が尊重される世の中ですから、当然の事なのかもしれません。以前、総
論と各論の話をしましたが、どうしても総論というのは、意識が希薄になります。
やはり自分は大切だし、自分の思った事は一番尊重されたい気持ちは誰にだ
ってありますね。ただ、それでは、全体と部分的な役割分担の話はできない。
役割分担という事をテーマにする時は、木だけを見てはダメですね。
山で言えば、土壌がどうなのか?、木の数は?、種類は?、木の状態は?他
の木との兼ね合いは?
政治家というのは、客観的にその山を見て、その改善点に対して、どういう
理念で切り込んで良くしていくか、公約という形で宣言し、その山に入ります。
選ぶ側はその中で、最も信頼できる人を選ぶわけですが、今の日本はどうも
人=木を見て、全体を通した政策=森を見て導き出したもの、を見る人が少な
いですね。
政治家を志す人も、それを良く心得ているから木を見てもらう事を重視しま
すね。良い人という印象さえあれば。それが票に繋がる。
昔、太田房江さんが大阪の知事だった頃、「選んだ方が悪い」と言った事が
あったように思うが、結局、損をするのは良かれと思って選んだ市民、府民
になる。
そうであることが多少、分かっている事は感じます。それがそう簡単には変
わらない事も何となく、市民は分かっている。だから選挙にはいかない。
現状が良いとか、そのままでいいと思っているのではなく、今のルールで自
分の生活を良くすることに、みんな精一杯で、関心どころではない。
僕はそんな感じを受けますね。だから思う。今の生活を良くすることに政治
の改革が必要だと言うことを知らせたいと。政治が良くなると生活が改善し
やすくということを。
政治とは社会の総論。総論が個人の人生の行きやすさを握っている事は間違
いない。
政治は身近にある。
それを伝えたい。一本一本の木の成長を見ながら、山(全体としてどうか)を見
る事ができる両刀の政治家の皆さんと共に。
おしまい