遠い昔の彼方に消えてしまいましたが、僕の20代で一番輝いていた時代の記憶にハリウッドでアートを勉強していた時代がありました。
大学を卒業してエンジニアになったものの、就職先の理化学機器の会社では石油の試験器を開発していたため日本全国の石油会社を飛び回る生活でした。そのうち一生エンジニアが自分にとって最善の生き方なのか疑問が芽生えてきたころです。
暫くして代々木の絵画教室に通い始めていましたがアートへの渇望がさらに湧きだしていました。当時阿佐ヶ谷の6畳一間で風呂もない安アパートに住んでいたのですががむしゃらに絵を描き出した記憶があります。
・阿佐ヶ谷のアパートで描いていた絵の記憶(すべて習作のため廃棄してしまったのが残念ですが写真からデジタルに落としてみました)
習作8
習作9
絵画教室に通っていた時期仲間と高田の馬場でグループ展をやりました。
所沢かどこか定かではないですが当時留学を仲介する会社があって、LAのハリウッドでチャイニーズシアター近くの2年制のアートスクールを捜してもらいました。小品を2点送って認められれば留学ビザが降りると言うことでした。
それまで貯めていたお金全てを使って、1年だけはアルバイト無しでも生活できる手はずで後先考えずに日本を飛び出しました。もう一年はアルバイトでもすれば学費ぐらいは何とかなるのではと甘い考えでしたので自ずと1年で破綻、2年目の学費がないまま全米を1ヶ月グレーハウンドのヒッピー旅をして帰国しました。
・Hollywood Art Center School時代(Hollywood,LA,USA)
習作24(彫塑学習)
習作32
・スクールのデッサン室入り口
ハリウッドはスターを夢見て女優のたまご、ダンサーのたまごなどが押し寄せてモデルには事欠かないようです。また日本ではデッサンモデルなどしないだろうと思われる容姿の子でが来ていました。先生もディズニーでイラストを描いていて定年退職した人などが教えていたようです。
・校長先生は優しい先生でしたが当時も高齢で既に他界しているはずです。古き良きハリウッドをずっと見てきたようでした。チャイニーズシアターを下に見下ろす丘に学校があり息子さんはTVコマーシャルを制作していました。授業が終わるとよく息子の制作したコマーシャルを学生に見せて商業アートの現状を話してくれました。
・当時兵役を終えた人は国から学費が出るようで同級生の1人ですが寡黙な帰還兵でした。彫塑の時間はもくもくとインディアンを作っていて今思うと軍隊時代の傷が心にあったのでしょうか。
・アートスクールの仲間の1人が飛行時間1000時間の経験があるとの事で休みにレンタセスナを1日50ドルで借りてこれから地図を見て砂漠に飛び出すところです。1日50ドルでセスナが借りられるのもびっくりですが相当不安感が押し寄せていたのは確かです。
・有名な砂漠の避暑地ハバスレイクのロンドンブリッジ前で。イーグルのホテルカリフォルニアが流行ったころです。
・ロスではサンタモニカ通りとvineストリートが交叉する当たりにあった民間の寮に最初の1ヶ月住んでいました。寮は男子寮、女子寮に別れていて全て2人部屋でした・兎に角世界中から来ている全く人種も宗教も違う2人が同じ部屋をシェするのですから最初は戸惑いました。夜は毎日アラーに向かって礼拝があるので僕は部屋を出て終わるのを待たねばなりませんでした。イラン革命前夜で訪ねてくる人もイラン革命で自分たちはどうなるのかミーティングをしているようでした。ハッサンはロスで会計士になるべく勉強しているようでした。寮を出た後の付き合いはなくその後どういう人生を辿ったのかわかりません。
・学校はハリウッドブルーバードとハイランドアベニューの交叉する、バンクオブアメリカがある角をFW101に至る方向にハイランドを少し歩いた位置にありました。近くにはハリウッドボールがあります。
多分赤丸が学校のあった位置ですが現在のGOOGLEアースで見ると周辺は様変わりしているようです。
・寮は1ヶ月で出てサンセットブルーバードとvine St.の交叉する当たりにアパートを見つけて住みました。赤矢の当たりだったかと。
多分この赤丸がアパートではなかったかと思います。道を隔てて少年院を出た後の更正施設がありよくバスケットをしている若者を見ていました。
・数年前ネットで調べ際に出てきた学校の情報ですが今でも残っているようでした。
・その後帰国してから暫くアートの世界で仕事をしたいと思っていましたがコネも実力も無いことを悟りコンピュータのシステムエンジニアで生きる決心をしてハリウッドの思いでは完全に封印しました。
習作33(帰国後1年ぐらいは絵も描いていましたので幾つか習作を描いています)
これで僕が絵の世界にほんの僅か足を突っ込んでいた遠い昔の記憶の全てです。果たして何か描きたい物が本当に自分にあったのか今となっては思い出せなくなるくらい遠い昔の記憶になってしまいました。現在は絵を描きたいという欲求は全くなくなっていることをお知らせして終わりにしたいと思います。