孤独な自転車一人遊び!

再生可能なエネルギーで動こう

2015.5.25理不尽な進化とジョージプライス

2015-05-25 03:16:17 | 2015年5月25日読書

自然淘汰されたらから生き残った。生き残ったことが自然淘汰の正しさを示している。卵が先か鶏が先かに近い進化論の危うさを進化学者でない著者がジャーナリズム的に書いた「理不尽な進化」が面白かった!

本で紹介されているジョージ プライスなる学者が気になり伝記を買った。最後はホームレスになり自殺した人生に興味を持った。利他的行動を表す自然淘汰の基本式、プライスの共分散方程式を残している。ネイチャーに掲載された論文に発表されているのでそれなりに認知された方程式なのだろう。理解してみたい気がした!!


2015年4月19日新緑

2015-04-19 17:22:06 | 2015年4月19日新緑

桜が散り若葉が芽生え始めた。時々木々を揺らす春の風も心地いい春のひと時。


2015年3月31日桜満開

2015-03-31 19:03:48 | 2015年3月31日桜満開

今年の桜はどこに行くか?やはり和光森林公園で昨年とは違う桜を見つけに行くことにした。今年は自撮り棒を買ってみた。今までとは違うアングルで撮れるかもしれない。毎年同じ桜なのにやはりこの時期になると出かけずにはおれない!やはり日本人か!。。。。。


2015年3月26日桜開花寸前

2015-03-26 20:26:38 | 2015年3月26日桜開花寸前

開花寸前の公園に出向く。公園の日差しが温かく読書。ニコラス G カー「オートメーションバカ」2014を読み終えた。グーグルグラスやドローン、車の自動運転など人口知能が搭載された機器は本当に人にとって役に立つのか?ビッグデータ原理主義で相関や統計確率で表される過去の延長に注目が集まっているが人のひらめきといった過去からの延長では把握できない人の能力とのかんけいはどうなるのか?興味深いテーマである。もし人工知能が実現できたとしてニコラスが話す「もし車の自動運転が実現できたとして地面が凍った路面を走っていて突然子供が飛び出したらおそらくビッグデータを使った車の操作の指示を人工知能はブレーキをゆっくり踏んで子供をはねて止まる方を確率予測するのではないかとの事だ」急にハンドルを切ればフェンスにぶつかり死ぬ確率は高いので人工知能は運転者の命を守るのを最優先するからだ。しかし人によっては自分は死んでも子供の命を守る場合もあるだろうし個々に人の倫理観は違う。人工知能に倫理観を持ちも込めるのであろうかという疑問である。GPSを使ったナビは便利だが人が空間認知をしなくなると海馬を介する記憶に影響が出てくる可能性が高いそうだ。やはり地図をみて場所を探す方が認知症にならなくて済みそうだ。モニターとビッグデータ、相関と統計で考えるのではなく五感を使った認知は常に研ぎ澄ます必要がありそうだ。格差を300年の税務データから解きほぐしたトマの「21世紀の資本」とこの本が今年のベストかな今のところだが。トマの本はビッグデータの良い面ではあるのだが。しかしトマの格差の問題はイデオロギーに根差した経済学者では反論すらできないのではと思う。目からうろこにちかい本でした。

 


事件!CDなど

2014-11-30 03:32:24 | 2014年購入したCDなど

!事件が起きた。夜中の9時半ごろ冷めたコーヒーを電子レンジで沸かしなおすつもりだった。いつものように3分にタイマーをセットした。その日はたまたま近くにあった湿気た乾パン2個を一緒に入れて途中で取り出すつもりだった。ところがパソコンに夢中で取り出すのを忘れていた。

電子レンジから乾パンが焦げて煙が上がった。あわててスイッチをオフにして窓を全開、換気扇を回して煙を出した。なかなか煙がなくならないので玄関のドアを少し開けて空気を循環するつもりだった。いきなり煙検知器が鳴り出した。どうやら玄関のドアの上に煙検知器があったようだ。部屋の検知器は熱感知なので安心していた。

警報機がなってしまうと止める方法はない。警備会社が来て安全を確認して止めに来るまで20分は必要だ。年に一度ぐらいは誤作動やたばこの煙りに反応して同じことが起こるのは経験していたので慌てていなかった。

しかし今回は警報機の音を隣の民家が聞いて消防署に連絡してしまったようだった。警報機が鳴って10分後に完全装備の5人の消防士がホースを抱えてドアの前まで来ていた。そういえば斜め前が消防署だった。一人は女性の消防士だった。さらに駅前の交番から警察官まで駆けつけてきていた。最後に到着したのが警備会社でびっくりしている様子。

しかし乾パン2個焦がしただけでえらい騒ぎになったものだ。事情調書を消防所、交番の警察官、警備会社に3回書かされた。電子レンジの扉を開けて焦げた乾パンの写真を撮っていった。病気で倒れたら前の消防署に電話すれば10分で来てくれることが分かっただけでも良かったと思うしかない。料理して煙が出ても決して玄関のドアは開けまいと思った!

秋の枯葉を集めてみた。

CDはレンタルで見つからない場合に購入することが多い。

(1)五嶋みどりのメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を買った。若い時と違い最近は深い精神性を感じる。若い時のCDを2枚持っていたが久々に買った。

(2)ドレスコードは昔、毛皮のマリーズのボーカルが新しく作ったグループだがバックの演奏がすばらしく良くなったので中古で手に入れてみた。良かった。

(3)海援隊のNewアルバムは年を重ねた成りの唄がいい。それにしても中牟田さんのボーカルはしみじみ味があっていいね!今の年では中牟田さんをボーカルにしたほうがいいように思います。

(4)SEEKERSは若い時ドーナツ盤のレコードを2枚ほど買っていた。ジョージガールしか覚えていないがボーカルのジュディスの透き通った声が良かった。最近はYouTubeで当時の映像が見れるようになった。ベスト盤を買ってしまったがジュディスがなんと御年70歳になっていたとはビックリだ。時が経ってしまったな~!

(5)最近walkmanに入れてよく聞くのはBABYMETALのアルバムだ。ボーカルも本格的だしバックの演奏も素晴らしい。数年前まで小学生だったとは思えない変身だ。YouTubeでみる海外の公演も熱狂的でこれから世界中に広がっていきそうだ。しかし4の唄にはびっくりだ。数字の4が唄になるとはだれも思っていないだろう。


自転車で秋の風景を撮って来ました。(2014.11.24)

2014-11-24 23:29:19 | 2014.11.24秋の中のMy自転車

今年の秋はあまり出かけていない。周辺では既に出かけていないところはなくなり自撮りにもそろそろ飽きてきた。

 


孤独な自転車1人あそび?

2014-10-12 15:39:06 | インポート

Open

自転車と一緒に暮らす・・・マイ自転車(2013年3月11日の今)
竹の自転車のフロントホイール交換、ペダーセンのボトルケースが籐に。

Myroom

Co2

思えば最初の自転車あそびはエクササイズ用固定自転車の開発をはじめたころでした。
初期のころフロリダ大学で心臓リハの実験を一緒にやっていたこともありました。
下はその時の様子を地元の新聞が報じた記事ですが1986年ごろだったかと思います。
Earobike
もちろん自分でも自転車これより少し前購入しております。当時は仕事と趣味と境がなかったように思います。
最初に購入したのは1982年ごろ阿佐ヶ谷のフレンド商会で組んでもらった丹下鉄工所のクロモリでChampion No2というフレームでした。当時のカタログとエンブレムです。
No2

Tangeno2

いまではどういうわけか所有自転車が9台にもなってしまいました。
壁はショールーム化してしまっていますが自転車あそびは飾って眺めるのも楽しみの一つです。何かの本で所有自転車の数は部屋に入り切らなくなる数で終わると書いてありましたがその通りです。自転車中毒の一種だそうです。私も地図を片手にあちこち走り回る時代を経て今ではオールドファッション風な乗り方に変わって来ました。また一応工具も殆どそろえBBのネジさらいからネジのタップ切りまで自分でやるようになりました。本当はニューヨークみたいに仲まで協同で使える工房が東京にもあればと思っています。信濃町に住んでいた頃は近くにユニークな自転車屋さんがたくさんあったのですがここ大泉学園に越してからはママチャリ用自転車屋だけが目立ちます。ここからだと小径車の和田サイクルさん、朝霞駅前にある大きな自転車屋さんぐらいですか。吉祥寺にもあるにはあるもののパーツから何でも揃うような自転車屋にはぶつかりません。
下はmyショールームです。(2012年春頃の状態)
Room

マイpedersenとマイzambikes

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Pedersen_comped2

Zambikes
2012年7月2日時点のpedersen bike
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2014.4.29春の花を求めて自転車で。

2014-04-29 02:32:02 | 2014.4.29花と自転車

春の花を捜して自転車で出かける。
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明治のころの材木店?

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2014年4月17日新緑の森で自転車1人遊び!

2014-04-18 02:26:49 | 2014年4月17日新緑の森で遊ぶ!

森の中は新緑がいい!久しぶりに緑に囲まれ満喫だ!
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2014.4.8散り際の井の頭公園!

2014-04-09 00:38:40 | 2014.4.8散り際の井の頭公園

武蔵関駅の坂の途中にある如何にも昔からありそうなひなびた鰻屋さんを毎回通るたびに一度入ってみようと思って眺めていた。うな重梅1800円は入ってまずかったら悔やんでしまいそうでなかなか決心が付かないのだ。今日は消費税8%のせいで1900円になっていた。

一度いつものように横を通り過ぎ青梅街道の交差点で迷っていた。ちゃんと値上げしていると言うことは常連さんが着いているのだろうと考えた。青梅街道を渡る前に引き返して思い切って入ってみることにした。坂の途中で明らかに駅前ではない。相変わらず店の前は人が入っていないような静けさで汚れた窓ガラス越しに全く中は見えない。入る前に様子がわかれば最後の判断も出来るのだが決心を貫くことにした。

ガラガラ。地元の爺さんばあさんが酒を飲んで大声で騒いでいる最中で店主の奥さんらしきおばあさんがこちらをきょとんと見ている。当然客は話が止まって飛び込みの営業が来たかのような反応だ。中は外から見るよりも狭い。カウンターだけの数人で席がうまるようだ。少し間があって「あ!お客さん?」私も「うっうなぎ食べられます!!」
なぜか客なのに緊張してしまう。カウンターの端の一つだけ空いていた席に座った。

じいさんたちは消化器を買うかで盛り上がっていた。じいさんが自ら消化器の置く場所に赤く塗った設置箱を作ってあげることになるような話題だ。実にローカルな話でうれしくなる。

良く見るとうなぎを焼いているのは70代ぐらいのおじいさんで老夫婦だけで店をやっているようだ。「うな重の梅ください」それでも1900円なので思い切った昼食だ。これでまずかったら一ヶ月ぐらいは悔やむだろと思った。

しかし幸運な事に梅が終わっていたので同じ値段で竹を出してくれた。ひょっとしたら古くからある老舗なのかもしれないと思った。確かに高齢の人が焼いていると言うことは長くここで店を開いているようにも思えた。客も多いので梅が無くなっているのかもしれない。入ったとき1時半を過ぎていた。残念ながら常連なのか客がお喋りをしていて話す間もなかった。

暫くして出てきたうな重はけっこう美味しかった。たれは甘すぎず、鰻も柔らかく1900円なら充分なお味でした。一気にかっ込んで頂いてしまった。高齢なのでいつまで店が開いているか解らないが、町から鰻屋さんがどんどん無くなっていくのが寂しい。

そこから吉祥寺に出て井の頭公園で写真を撮った。
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2014年春の桜、取りあえず写真撮りました。

2014-04-01 02:19:21 | 2014年3月31日の桜

毎年4月が来ると桜の写真を取りあえず撮りますが相当飽きています。それでも生きている証拠写真としてまたパチリ!

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2014年3月24日菜の花を見つけた!春になる。

2014-03-25 12:49:47 | 2014年3月24日春間近・菜の花だ!

今年も春になる。自転車でまだ春の気配は少ないが気配を感じに自転車で始動した。
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2014.2.8大雪の昼品川で打ち合わせ!

2014-02-09 20:49:30 | 2014年2月8日の大雪!

2014年2月8日(土曜)タイミング悪く品川で打ち合わせがあった。家を出て大泉学園まで雪の中、ホームで吹雪いて、品川に着く頃はかなりの雪だ。

帰りは最悪。池袋までは地下鉄ですんなりと帰れた。西武池袋線は池袋ですでに入場制限、さらにホームに入れてもなかなか電車が来ない。吹雪の中30分待たされた。
さらに乗ってからもぎゅうぎゅう詰めでノロノロ運転だ。品川から大泉学園まで通常は1時間で帰れるのだが2時間近くも懸かってしまった。

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最初で最後のオリジナルメンバーでのLovin'Spoonful再結成

2014-01-28 13:17:48 | 1980年のLovin'Spoonful(One Trick Pony)

ポール・サイモンが1980年に手がけた映画「One Trick Pony」のDVDを入手。インポートのため台詞の英語は良く理解できないが昔ヒットを飛ばしたミュージシャンがその後の音楽ビジネスの移り変わりに取り残されていく様子が描かれているようだ。購入の動機はこの映画のために一度だけThe Lovin' Spoonful としてオリジナルメンバーが再結成されて「Do you believe in magic?」を演奏していたからだ!

サイモンとガーファンクルとしてポールサイモンは有名だがこの映画は日本で放映されていないように思われる。映画の中では1960年代に活躍したバンドを紹介するフェスでspoonfulが演奏している。懐メロバンドという想定らしい。しかしspoonfulのオリジナルメンバーでの演奏はザルが1967年脱退して以後一度も実現しなかった。その後の再結成でもzalとJohnが外れているためこれは最初で最後のオリジナルメンバーでの再結成だ。残念なのは映画のワンシーンで使われていたため通した演奏が観れないことだ。それでもザル・ヤノフスキーが一緒に演奏しているのは感慨深い。その後2002年58歳で死去。もう2度とオリジナルメンバーで演奏されることはない。

The B-52'sがオリジナルメンバーで出ているのも貴重だ!!

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映画ではこのワンカットだけしか出演していない
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1965年前後のThe Lovin' Spoonfl演奏が観れるDVD

2014-01-25 16:41:52 | The Lovin' SpoonflのDVD紹介

The Lovin' Spoonfulが当時演奏していたライブやTV出演をまとめたDVDを手に入れた。2007年ごろに制作されたようで約60分だが殆どのヒット曲が網羅されていた。制作当時のジョンセバスチャンやなんと2002年心臓発作で急死したザル・ヤノフスキー(Zal Yanovsky)が急死前にインタビューしたシーンが入っていた。YouTuveには1990年代初期カナダでジョンとザルが一緒に演奏した様子がアップされていてもう2度と来ない2人一緒の演奏に見入ってしまう。

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2007年頃のジョン・セバスチャン
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急死少し前頃のザル・ヤノフスキー(Zal Yanovsky)
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ザル・ヤノフスキーの急死を知らせる2002年ローリングストーン誌の記事
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Rolling Stone 誌の記事から

Spoonful's Zal Yanovsky Dies
Guitarist dead from a heart atttack at fifty-eight

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By Scott Schinder
December 16, 2002 12:00 AM ET
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Zal Yanovsky, guitarist and co-founder of the Lovin' Spoonful, died of a heart attack at his home near Kingston, Ontario, on Friday. He was fifty-eight years old.

Yanovsky was a largely self-taught musician whose artful guitar work and effervescent presence helped make the Lovin' Spoonful one of the most musically distinctive and commercially successful American bands of the 1960s. Yanovsky's mischievous, grinning visage was as memorable as the quartet's impressive run of sunny, infectious folk-rock hits, including "Do You Believe in Magic?," "Summer in the City," "Daydream," "You Didn't Have to Be So Nice," "Rain on the Roof" and "Nashville Cats."

Born in Toronto on December 19th, 1944, Zalman Yanovsky dropped out of college at the age of sixteen, to begin playing folk music in Canadian coffeehouses. For a time after that, he lived in Israel, where he briefly worked on a kibbutz (which he was reportedly asked to leave after driving a tractor through a building) and busked on the streets of Tel Aviv. After retuning to Toronto, he met Denny Doherty, later of the Mamas and the Papas. Doherty invited Yanovsky to join his folk-blues combo the Halifax Three; later, Yanovsky played with Doherty and the future Mama Cass Elliot in the Mugwumps.

Settling into New York's thriving Greenwich Village folk scene in the mid-Sixties, Yanovsky fell in with another talented young player, John Sebastian, with whom he shared an avid interest in folk and blues forms. Inspired by the Beatles' example, the two plotted to create an electric band that would combine their trad roots with the energy of rock & roll.

"I heard all these strengths in Zally," Sebastian later recalled. "He could play like Elmore James, he could play like Floyd Cramer, he could play like Chuck Berry. He could play like all these people, yet he still had his own overpowering personality. Out of this we could, I thought, craft something with real flexibility."

Teaming with a pair of young rock & rollers from Long Island, bassist Steve Boone and drummer Joe Butler, Sebastian and Yanovsky launched the Lovin' Spoonful, signed with the Kama Sutra label and became an immediate smash with their first single, "Do You Believe in Magic?" a Top Ten hit in late 1965. That tune led off a remarkable string of hits that established the Spoonful as one of the few American bands that could challenge the chart dominance of the Beatles and their British Invasion contemporaries. At a time when rock records were usually laden with filler, the Spoonful made solid, well-crafted albums that showcased the band's musical depth and songwriting ability.

But the Spoonful's abundant good vibes turned bad after Yanovsky and Boone were busted on pot charges in San Francisco, only escaping prosecution -- and in Yanovsky's case, deportation -- by turning in their dealer. The news severely damaged the band's credibility in the counterculture, leading to Yanovsky's departure from the band in mid-1967.

Yanovsky released a solo album, Alive and Well in Argentina in 1971, did a stint playing guitar with Kris Kristofferson and co-produced Tim Buckley's 1969 album Happy Sad in collaboration with Jerry Yester, who replaced him in the Lovin' Spoonful. But Yanovsky, weary of music-biz politics, retreated from the rock world in the early Seventies. He returned to Canada, briefly dabbling in television production before finding success as a restaurateur.

With his second wife, Rose Richardson, he turned a dilapidated 1880s livery stable into their successful eatery Chez Piggy, which became a beloved centerpiece of downtown Kingston's nightlife. The couple also published The Chez Piggy Cookbook.

Yanovsky briefly reunited with his Spoonful mates on a couple of occasions, filming an appearance in Paul Simon's 1980 film One Trick Pony and performing some of their hits on stage on the occasion of the band's 2000 induction into the Rock and Roll Hall of Fame. More recently, Yanovsky participated in BMG Heritage's CD reissues of the Spoonful's catalogue, which yielded expanded editions of the 1965 albums Do You Believe In Magic? and Daydream, both of which were released in July 2002. The band's third and fourth albums, Hums of the Lovin' Spoonful (Yanovsky's last album with the band) and Everything Playin', are scheduled for February.