伊藤一長前市長を長崎原爆の日に偲ぶ。

2020-08-08 | 社会一般

8月9日には全ての原爆犠牲者の方々に「二度とこの愚かな過ちは

繰り返しません」と誓う日だと思っています。しかし核廃絶は

実現せず核の脅威は去っていません。私は投下後一年程して

長崎、浦上の爆心地近くに建てられた家で成長期を過ごしました。

その日から75年経った今、長崎に思いを馳せると、13年前凶弾に倒れ

無念の死をとげられた伊藤一長前長崎市長のことが偲ばれます。

核兵器廃絶を長崎から声高に世界に向けて発信された方です。

時間の経過と共に、暴力で人の命を奪ったこの理不尽な事件が風化され

忘れ去られてはいけないとの思いで、一長さんの長崎への思いを

僅かに知る範囲で記してみようと思いました。

親族の方(義姉)の方の手記によると、一長さんは、中学生の頃から

長崎が大好きでその熱い思いをいつもご家族に話されていたそうです。

「僕は長崎が好きだ。勉強して大物になって長崎を良くしたいんだ!」と

そうして早稲田大学を卒業されて、長崎に戻られて,市の職員として

働かれ、やがて市議、県議、市長へと駆けのぼり、長崎を良くしたい

思いを貫き、市民の要望に真剣に耳を傾ける「地域密着型」の姿勢で

長崎に尽くしてこられたそうです。大きな手帳は小さな文字で埋められて

駆けずり回って疲れ切った顔をよく覚えていると遺族の方は書かれています。

長崎の原爆犠牲者の思いを一身に背負って世界に向けて

平和宣言を発されたのを憶えています。オランダの

ハーグでも核兵器の違法を陳述されました。4期目を勤め上げられたら

国政でも立派に活躍される実力を持ち合わされていた方だと思います。

4期目の市長選挙の游説を終えて選挙事務所に戻られたところを理不尽な

凶弾に倒れ、翌2007年4月18日未明に無念にも亡くなられたのです。

これを受けて補充候補が受け付けられ、女婿の横尾氏(新聞記者)が

「あれほど長崎が好きだと頑張っていた義父の意志を継ぐ」

意思表示をされました。そして、その翌日4月19日の立候補者

締め切り時間の1時間前に、五島出身の田上富久現市長が立候補

されて「市政は一人のものでもなければ、家族のものでもない」と

横尾氏に対決姿勢を示され、一騎打ちになりました。

僅か数日の選挙戦で、23日に投票が行われ、結果は

横尾氏77,113票に対して田上氏78,066票。僅差で田上氏の勝利でした。

そして田上市長は現在4期目です。私は部外者ですが一期でも

横尾氏に市政を預けてみてもよかったのではと思ったのですが。

長崎市民の民意はそうでなかったようです。混乱中のご遺族の言葉

「伊藤一長、浮かばれないと思います。」に捨てゼリフと評されたり

あれ程長崎を愛した一長さんのご家族は一転して窮地に

追い込まれて娘さんはショックのあまり倒れこまれたそうです。

この選挙に於いては、公職選挙法の規定により、期日前投票や

不在者投票での「伊藤一長」票がすべて無効となったことや、

補充立候補から投票日までの期間が短かった、などの問題が噴出し、

公職選挙法上の問題として取り上げられることになっそうです。

伊藤一長さんが願われていたように長崎が良くなっていくことが

一長さんへの最大のお弔いになることだと思っています。



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