エルガーの愛は美しい曲へと昇華して我々の耳を楽しませてくれるが、恋人に静かに、優しく囁きかけるような愛の曲もある。
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)は指揮者として成功を収め脂が乗り切っていた41歳の頃に、19歳年下のアルマ・シンドラーに出会い、二人は一緒になる。その愛を昇華させて美しい交響曲が生まれた。『交響曲第5番嬰ハ単調第4楽章アダージェット』は別名「アルマへの調べ」として世界中で演奏され、愛されている。
彼はアルマに出会い一目惚れしてしまう。何と便箋20枚(!)にも及ぶ熱烈なラブレターを送り、1ヶ月後に婚約、それから3カ月後に結婚してしまった。「老いらくの恋」とは言うまい、他人事ではないからだ。便箋20枚のラブレターは書いたかどうかその辺の記憶は覚束ないが、私のカミさんも私より14歳年下でしかも2年間英語を教えた元教え子である。私に興味があるのは結婚後の二人の関係はどうであったかという一点に尽きる。
というのも、私の場合であるが、結婚後数ヶ月間は、「先生、先生」と呼ばれ、教師対元生徒の関係が続いていたが、半年ぐらいから形勢が逆転してしまった。私に非がないというわけではないが、やはり教壇に立っている姿と自宅でだらしなく(=リラックスしているだけなのだが)新聞を読んだり、酔っぱらった姿を見れば、そのギャップの大きさに相当幻滅したに違いないからだ。現在では、カミさん>6歳のメスネコ(ファー)>4歳のオスネコ(ノア)>私の序列である。つまり自宅では私の序列が一番低いのである。
マーラーの話がとんでもない方向へ進みそうなのでこの辺でひとまず筆を置くことにしよう。
この稿さらに続く。
注:このブログが昼間に書かれているときは、勤務時間外に書かれているので、「地方公務員法」第35条(職務専念の義務)違反には当たりませんので、ご安心ください。
昨日、ピアソラの『リベルタンゴ』に言及したが、この曲ではチェロが重要なカギを握っている。チェロと言えばバッハの『無伴奏』だっていいわけだが、『無伴奏』だと僧院的で禁欲的で精神的である。つまり色気がない。一方、『リベルタンゴ』では、チェロを追奏するかのようにバンドネオンがリズムを刻み、セクシーですらある。小説ではテーマを暗示するタイトルが必要なので、『無伴奏』ではなく『リベルタンゴ』にした。
チェロはいい。部屋を真っ暗にして、ステレオの音量を幾分高めに設定し、無心に聞き入る。これ以上の幸せはない。チェロは演奏したことがないので技術的なことは何とも言えないのだが、『リベルタンゴ』に関して言えば、ヨーヨーマさんの演奏が心に染みいる。
私が演奏できる楽器はピアノとギターであるが、ここ数年間演奏していないので腕は相当鈍っているだろう。ショパンの『ピアノ協奏曲第1番』第1楽章のオーケストラの合間に入るピアノの「ミドーレミーラシドシラミファソファミミーレ」は若い頃はそうでもなかったのだが、今は涙が出るくらい切なく響いてくる。年齢によって感じ方が違うようだ。エルガーの『Salut d'amour』(愛の挨拶)もいい。これは、CMなどでも利用され、また比較的簡単に演奏できるが、のちにエルガーの妻になるキャロライン・アリス・ロバーツに対する愛をびんびん感じる。疲れた心を癒してくれるのはクラシックが一番。
この稿明日も続く。
伊藤整が『小説の方法』で次のように述べている:
私はある座談会で次のような問を出されたのである。「なぜ日本の小説家は志賀直哉のような心境小説ばかり書きたがってトルストイの『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』のような本格小説を書かないのでしょう」そう問われると、実に困るのである。そういう疑問が提出されているときには前提として、明白なことだが次のようなことが設定されている。本格小説には、作者その人などを思わせない、作者から独立した主人公がなければならない。また作者の妻や恋人を思わせない女主人公がなければならない。また作者自身の体験でない特別な事件がなければならない。そして更にそれ等の主人公や女主人公の外にいかにもその作品にふさわしい女中とか友人とか裁判官とか悪人とか善人とかが賑やかに登場して動かなければならない。要するに、作者の身の上話でない嘘の世界をいかにも真らしく作り出して見せてもらいたいものだ。身の上話でない話を本当らしく書いてこそ初めて小説家である。
標題の「かねてからの懸案事項」とは、5年前に生徒の前で見えを切って約束したはいいが、まだ果たせないでいる事項のことである。その約束とは、小説家になるということだ。一応取材らしきこともして、ある程度材料だけは収集してきたのだが、日々の瑣事に追われて、(その間に転勤などもあり)構成イメージだけは固めていたのだが、実際に原稿用紙にすら向き合っておらず今日にいたっている。
受験指導も一応終わったので、本腰入れて原稿用紙に向かおうと思っている。
虚構をいかにも真らしく作り出したい、身の上話でない話を本当らしく書きたい、という思いはここ5年間ずっと持ち続けていたのだが、最初の一筆が入らずにいた。記憶と現実の間のぼんやりとした境界を描きたい、記憶と現実の交錯した世界を描きたい、視覚と聴覚を刺激する作品を描きたいと思ってきた。標題は Astor Piazzola 作曲の 『Libertango』と同名。トルストイは坂の上の雲みたいな存在なので、そんな大それた作品を目論んでいるわけではない。生徒との約束をまず果たそうという発想が原点である。
本ブログは基本的には「英語の学習と研究」というカテゴリーに入るのだが、随時、現在進行形の形で作品の「一部」をアップしていきたいと思っている。ブログ小説というジャンルはあるのかないのかわからない。しかし、成功すれば素人が小説家として参入できる先鞭をつけるきっかけにはなるだろう。
蒋介石をスキンヘッドにし、鼻下と顎先に少しだけ髭をつけ、黒いサングラスをかけた60歳の男を想像してほしい。長身痩躯に白衣をまとった男は、会議で議論が紛糾すれば、突然白ヘルメットをかぶって立ち上がり、机の脇に常備している木刀を振り回し始め周りを煙に巻く。気に食わない生徒がいれば、男女の別なく襟首つかんで教室や廊下の壁に力いっぱいに押し付ける。校地内禁煙などどこ吹く風か、体育館脇の技師室兼作業場で、昔の牢名主よろしく、ふんぞり返ってぷかぷか煙草をふかしている。傍若無人を絵に描いたような男は、ある時は担任、ある時は生徒指導部長、またある時は危機管理委員会主幹。男は「インテリやくざ」という綽名で密かに呼称されていた。
教員生活最後のクラス担任をした時、卒業生に贈った男の言葉が忘れられない。それまでの男の生きざまが滲み出ていたので紹介したい:
(1)評価される立場に甘んじない。
お前らはこれまでテストの成績をとおして評価されてきたが、評価というものは他者の目をとおしたものだ。それに最もよく適応し、最も高い評価を得た者だけがお前らのように「エリート」としてちやほやされるが、それに馴らされている、あるいは当たり前だと思っている自分に疑問を持て。他者との比較によって自分の本当の価値が決まる訳ではない。自分の価値は自分で決めろ。俺はそうしている。
(2)自分の人生は自分で決める。
人生行路において岐路に立つときがきっと来る。他者に相談するのは良いが、最終的に決めるのは自分だ。その時自分なりの価値観・人生観が必要になるがそれらを確立するためには、いろんな体験をし、本を読み、深く考える習慣の確立が大切だ。鳶が鷹になれるわけがない。俺が芋食ったってお前らが屁をこくわけではないだろう。お前らは、どう逆立ちしたってお前らのままなんだ。それでいいんだ。俺は俺以外の人間になりたいと思ったことは一度もない。俺の人生に責任が持てるのは俺しかいないんだ。
(3)生きる上での美学を持つ。
まず誰にとっての「美」かっていうと自分にとっての「美」なんだ。周りの人間じゃないから間違えるなよ。俺にとっての男の美学ってのは、一言でいえば、痩せ我慢ということになる。どんなに苦しくても泣き言をいわない、泣かない。逃げない。恐れない。俺は物心ついてから一度も泣いたことはない。涙を流したことがない。俺を見習ってお前らなりの生きる上での男の美学、女の美学を確立しろ。
(4)悔いのない人生を送る。
コップに水が半分入っているとき、「まだ半分も残っている」とみるか「もう半分しか残っていない」とみるかで人生の質が決定する。俺は前者だ。水が全くないわけではないだろう。あるんだから。人生も同じ。苦しいこともあるけど楽しいことだってあるんだ。ポイントは納得できる生き方ができるかどうかなんだ。悔いのない人生かどうかなんて、他人が決める問題ではない、お前ら一人ひとりが決めるべき問題なんだ。どう生きるか、という方法論に堕してはいけない。何を生きるかが重要だ。中身の濃い人生を送るんだ。俺は教員として破天荒な生き方をしてきてきたが、中身の濃い人生だったと思っている。我が人生に悔いなし!お前らも俺を見習って生きていけ。
今日の英語の長文3題を100分できっちり読み切れている人は数名だけだった。時間切れだった人は、放課後を利用してきっちり読み切ること。
英語そのものが難しいわけではなく、扱われているテーマとその論述構成に原因があると考えられる。
#13では、最初の2つのパラグラフが実例であり、本論はその事例の説明、つまり3つ目のパラグラフから始まっているという構成が見えれば読みやすかったのではないか。言葉以外のnonverbalな要因が誤解を生むというテーマは以前にも読ませたことがあるのだが、論述構成に戸惑ってしまったのではないかと考えられる。#14では、言い争いやごたごたの解決に際して、当事者同士で関係を修復するアメリカ型解決法に対して、第三者を介することで、誰が責任をとるわけでもなく円満に人間関係の修復が図れる文化もある、ということが読み取れていればオーケー。#15は、過去を意識することは、現在と未来にとって有益だ。人やモノが滅びても、思想は歴史の中に生き続ける。歴史は思想がどのように人間を変え、また人間はどのように思想を変えてきたのかを示す、という内容をとらえていればオーケー。最後の英文は難しかったという生徒が少なからずいた。
センター試験後の課外で読んだ長文の数は今日で40個。この時期にこんなに英語を読ませる学校は少ないだろう。2月22日まであと6回課外がある。予定では22日までに58個読み終えることになる。
愛情ビームは健在なり。
前任校には6年間在職したが、そのうち4回3学年を担当した。3回目の卒業生を出した後、校長先生に強く懇願して、1年生から担任をしたいという希望を聞き入れてもらった。第23回生だ。
この学年は平成元年生まれ。やはり、1年生から卒業まで担任をした学年は愛着がわく。特に、3年6組はユニークな顔ぶれがそろっていた。英語の成績は学年で最下位にもかかわらず、また担任の罵詈雑言にも臆することもなく、マイペースで生きる生徒が多かった。中庭のモミの木にビニール傘をひっかけて鑑賞しているK吉君、カブトムシの幼虫を自分のロッカーに入れて成虫になるまで育て上げたI毛君など、不思議な人物が少なくなかった。今彼らは大学4年生でもうすぐ卒業だ。就職活動も終わり、企業の内定は決まっているだろうか。
卒業生の噂はいろいろなところから聞こえてくる。YO市の大学に進学した女子は学園祭のミスコンに出場したとか、ダンサーを目指して上京した女子は紅白歌合戦で踊っていたとか様々だ。若さっていいな、とうらやましく思うことがしばしばある。
現在のF高校には4年間在職しているが、まだ担任をしていない。学年主任ということで副担任でもない。体育大会など行事のあるたびごとに、おそろいのコスチュームに身を包み、クラス生徒との一体感とか「チーム◎組」といった帰属感を共有できないのでさびしい気持ちになることがある。しかし、233人の担任をしていると思って自らを励ましている。来年こそはぜひ担任をしたいと思っている今日この頃である。
現在担当している学年も1年生から教えてきた。前任校の3年6組と同じくらいに、あるいはそれ以上に愛着がある。今は前期日程試験に向けて最後の追い込みをしているところだ。100分ぶち抜きで長文問題(1題あたり400語~700語程度、設問数7~8)3題を自己採点も含めてやらせている。教室はシーンと静まり返り、鉛筆を走らせる音と紙をめくる音以外は聞こえてこない。ピーンと張りつめた雰囲気が快い。生徒も、この雰囲気を気に入っているようだ。センター試験後から取り組み始めた問題数はすでに34題。問題集は3冊目に突入している。この勢いだと、2次試験前に4冊目に突入しそうな勢いだ。
この時期は英作文の添削、小論文、面接の指導もしている。1時間目から4時間目はこれらの指導ですべて終わってしまう。高校入試で定員割れを起こした学年なのだが、大学入試に向けて必死に粘る姿は感動ものだ。彼ら、彼女らの頑張りが必ずや意に沿う結果につながればいいなと思いながら、愛情ビームを一人ひとりに発し続けている。
英語が正しく読めているかどうか、生徒のノートを見れば一目瞭然だ。
この学年は、一年生のころから、大学ノートの左頁には教科書本文のコピーを貼り付け、右頁に和訳と板書事項のメモを書くように指導してきたが、できる生徒のノートは、左頁がにぎやかだ。というのも、随所にカッコや矢印、S、V、O、Cの記号がふられたり、いかにも英文と格闘していることが分かる。一方、できない生徒のノートはと言えば、左頁は綺麗で、何の記号も書かれておらず、逆に右頁の和訳のところだけが異常にうるさい。模試も、問題用紙を見れば(答案用紙ではないことに注意!)一目瞭然。できる人の問題用紙は記号・カッコ・矢印が随所に目立つ。できない生徒の特徴は和訳が与えられれば、その段階で思考停止してしまうという点である。英文との格闘がないのだ。
英文との格闘がなければ、次の問題はアウトとなる。
<問題>空所に入れるのに最も適切なものを選べ。
(1) The time ( ) I spent with him was very important to me. ( when / which / where / who )
(2) The woman ( ) I thought was Tom's wife turned out to be his sister. (who / whom / whose / to whom )
(3) New York is the city ( ) I have wanted to visit so long. ( which / where / who / whose )
(4) There are some cases ( ) honesty doesn't pay. ( which / where / when / who )
できる生徒のノートはこうなっているはずだ:
S V C
(1) The time ( ) I spent with him was very important to me.(彼とすごした時間は私にとって大変重要なものでした)
I(=S') spent(=V') (with him). あれ、spendは3文型動詞。O’は?赤字部分は不完全な文。ということはカッコには関係代名詞。こたえはwhich。
S V C
(2) The woman ( ) I thought was Tom's wife turned out to be his sister.(トムの奥さんだと私が思った女性は彼の妹でした)
I(=S') thought(=V') was(=V'') あれ、wasの主語は?カッコが主語?主語は主格。こたえはwho。
S V C
(3) New York is the city ( ) I have wanted to visit so long. (ニューヨークは長い間訪れたいと思っていた町です)
I(=S') have wanted to visit(=V') (so long). visitは3文型動詞。O'は?赤字部分は不完全な文。ということはカッコには関係代名詞。こたえはwhich。
V S
(4) (There) are some cases ( ) honesty doesn't pay. (正直が割に合わない場合もある)
honesty(=S') doesn't pay(=V') ここのpayは自動詞だから赤字は完全な文。ということはカッコには関係副詞。こたえはwhere。
目先の忙しさの中で、本質を見失うことがある。
3月11日は朝から忙しかった。職員打ち合わせにおける情報量は相当なものがあった。瑣事片片に追われ、7時間目に入るその瞬間にぐらりと来た。この「ぐらり」は相当長く続き、私の右隣のプリンターが台から落ちそうになるのを抱っこして辛うじて落下を防いだ。頭上の蛍光灯は大きく右左・前後にゆっくりと揺れた。校舎が崩落すると確信した。
電気が切れた。停電である。生徒を校庭に出すも、余震で地面が揺れていた。雪が降り始め、体育館に生徒を誘導しようとするが、1年生の中には恐怖でその場に凍りつく者もいた。なんとか体育館に入れたはいいが体育館の照明器具もぐらぐら揺れていた。出席を確認し、担任立会いの下教室から私物を取らせ、帰宅させた。
巨大地震は津波を引き起こし原発事故を発生させた。大勢の人が波にのまれ亡くなった。学校は崩落はしなかった。壁にひびの入った教室がいくつか。断水。ガスもアウト。ライフラインが断たれた。真っ暗な職員室は足の踏み場もないくらいに、書籍が散乱し、本棚が横たわり、椅子が転げ、茶碗が割れ、あれやこれやが雑多に重なっていた。
不思議な静謐が職員室にみなぎっていた。あれほど忙しかった一日が嘘のように思われた。巨大地震は、忙しさも消してしまったのだ。
普段は忙しくて見えないもの、気付かないふりをしているものが改めて意識された。それは当り前であることのありがたさ。「当り前であること」は空気同様に意識に上ることはないのだが、当たり前でない状況において、「当り前であること」が実はありがたいものであることが分かる。
ひょんなことから、F高等学校の校歌を英訳することになった。
英訳に限らず翻訳の基本は、A言語の意味をできるだけ忠実にB言語で表現することにある。今回は譜面にも忠実に取り組んだ。(つまり、英訳版であっても例の節回しで歌えます、ということだ。)この作業はやり始めると実に楽しく、震災後の落ち込んでいた気持ちを和ませる効果が絶大であった。というわけで、下にF高等学校の英訳を挙げることにする。実際に声に出して歌ってみよう:
<1>
Doth thy heart not leap up to see
The clouds of cherry blossoms full in bloom?
In the centre of Osaki,
Amidst the golden waves of rice,
There stands our Alma Mater,
Full of hope and pride.
Those are amongst the things
Are we proud of.
Come and behold our Alma Mater.
<2>
Didst thou see the Kurikoma yonder,
Fathering harsh northerly winds?
See the Funagata down hither,
Towering high above the clouds?
See the way they soar up, lofty,
Shining glorious.
Those are amongst the things
Are we proud of.
Come and behold our Alma Mater.
<注>
the Kurikoma: the Kurikoma Mountains(栗駒連山)
the Funagata: the Funagata Mountains(船形連山)
3月11日(金)の巨大地震・大津波・原発事故以降不通になっていた東北新幹線。仙台以北の運行がようやく本日4月29日(金)に再開する運びとなった。
今日は、まず朝の5時半から開いている仙台駅3階のみどりの窓口で古川までの3カ月定期券を購入し、6時28分始発の新幹線は3号車に乗り込んだ。乗客は私も含めて2人だけ。ひげをそり、ゆったりとシートに腰をおろし、『トランベール』4月号を読む。今月号を飾るのは角田光代さんのエッセイ。角田さんの記憶に残る5月の桜の文章に女性らしい繊細さを感じる。特集は弘前城。津軽藩の石高以上の築城がなぜ可能であったか判明。と、月はじめのいつものルーティンを当たり前のようにこなしている自分に気づく。
3・11以降の通勤は地獄の経験だった。朝7時の高速バスに乗るためには5時から並ばなければいけない。当初、高速道路が使えないためバスは一般道を走り、休憩時間も含めると古川まで2時間かかっていた。待ち時間も含めると片道に4時間もかけていた。長蛇の列に並んでいるおじさんやおばさんたちと、遠距離通勤の馬鹿馬鹿しさ、生活居住地から遠く離れた所へ転勤させる県の人事異動のあり方、ライフラインがつながっていないことのつらさ、放射線のこと、政府の対応、あんなこと、こんなことを挙げては誰に向ってというわけでもなく、不平不満をぶちまけ合っていた。
そんな時、われわれの列の中に一人の若い女性が、寒風凛冽に震えながらも黙々と読書をしている姿が目に入った。彼女は5時前から列に並んでいた。私よりはるかに若いのによくこの寒さと不便さと馬鹿馬鹿しさに耐えられるものだと感心したが、翌日も翌々日も、女性は黙々と本を読んで並んでいる。女性には見覚えがあった。新幹線が正常運転をしていたころ、仙台始発の新幹線の私と同じ号車の決まった席に座るのが常であったので印象に残っていた。
女性の読んでいる本は何だろう。読みながら何を考えているのだろう。こんな馬鹿馬鹿しい生活に耐えられる忍耐力はどのようにして獲得されたのか。女性は私が降りる3つ手前の停留所で降車する。この辺に職場があるのかな、などと考えながら、次第次第に女性に関心が向いていった。いや、それは関心以上のもの、少年が初恋の相手に抱く気持ちと同質なもののようにも思える。同時に、彼女の姿に学ぶべきものがあるように思われた。
寒い日が続いた。女性は寒さに震えながら黙々と本を読みながら列に並んでいる。私も耐えた。いや、女性がいたから私も耐えることができたのだ。不満や愚痴は言うまい、と心の中で誓った。
新幹線は通常であれば仙台から13分ほどで古川に到着するが、今日は徐行運転で17分ほどかかった。いつもの風景を見ながら、生活が正常に戻りつつあることを実感しつつ、静かな感動を覚え、目頭が熱くなった。今度、女性に会う機会があったら、お礼を言いたい。あなたがいたから、私は耐えることができたのです。ありがとう、と。