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語学は「語楽」--英語を楽しく学びましょう

英語の学習をしていて、「おや?」と思われる点について、みんなで考えてみたいと思います。

偶然だと、思いたいのだが…

2013-03-07 20:58:05 | 英語の学習と研究

 ふとしたことから、シェイクスピアのJulius Caesarを読み返しているのだが、今更ながら偶然にしてはあまりにも、と思われる事に気がついた。その第一幕に預言者が登場してシーザーに次のように言う:
 「3月15日に注意せよ」(Beware the ides of March.) 
 ちなみにこの日は私の祖父(=父の父)が亡くなった日で、小学2年の時。6年生を送り出す卒業式の練習の最中だったのだが、担任ではなく何故か養護教諭が知らせを持ってきたのを記憶している。一人で大雪の中帰路につく間中ずっと泣き続けていたというのも覚えている。阪神淡路大震災のあったあの年の3月20日に例のサリン事件が起きた。某女子高から別の女子高に転勤が決まった日でも会った。そして2年前の3月11日の例の大震災・大津波・原発事故。
 Julius Caesarなど何度も何度も読み返しているのに、気が付かなかったのだが3月15日前後というのは特異な出来事が起きやすい何かがあるのではないか。ちなみにシーザーは3月15日に例の預言者に再会し「今日は3月15日だ(例の日が来た)」と言ったのに対して「確かに。しかしまだ過ぎ去ったわけではありません」(It's not gone.)と応じる。シーザーは結局15日に殺されてしまう。


とりあえず、今年度の総括

2013-03-03 21:07:14 | 英語の学習と研究

 今年のセンター英語は昨年に引き続きくだらない愚問だった。易化3年連続。易化というより問題が液状化しており、もはや入試問題としてのと体裁をなしていないと言っては言いすぎだろうか。あんなのが試験なら3年間、あるいは浪人も含めて4年間頑張ってきた受験生は報われないのではないか。その努力を正当に評価してこそ試験であるべきなのに、あれは受験生を愚弄する質の悪い低俗問題だった。
 第2問Aではもっと機能語を問う問題があってもいい。熟語・語法よりも、文法の基本原理を問う問題が欲しかった。またCの語句整序は6つくらいあってもあのレベルならまともな高校生ならはこなせるはず。ま、文法教科書を葬って久しい文部省=文科省であるから建前上そこまで踏み込めないのかもしれないが、語学を学ぶ上で大切なことは、自分が発話する英語が正しいのか誤っているのかという正誤の基準の確立である。その基準を示すものが文法であることを知っているくせに、誤魔化そうとする大学入試センター、文科省の罪は大きい。おまけに来年度からの「英語による英語の授業」とやらで日本人の知力はますます衰えていくことだろう。
 低俗な英語はさておき、今年自分で解いていて刮目した教科は国語、特に第1問の随筆と第2問の小説だ。
 私が高校生だった昭和40年代の現国では小林秀雄は定番作家。「モオツアルトの哀しみは疾走し、涙はそれに追いつけない」などという件には痛くしびれた。第1問は小林の刀の鍔の話。注がやたら多いのだが(多すぎる?)真摯に文意を追い、設問の答えを探せば容易に正解を得ることができるのではないか。今年の第1問は評論ではなく随筆であるが、文章の難度に比べれば設問はあまり迷うことなく正解を得ることができたというのが率直な感想である。
 第2問の小説は、小説の中に更に小説が組み込まれているという「地球儀」の全文。スピンアトップ、スピン、スピンでスピンしてしまった受験生、ヘーヤーヘブンをはじめカタカナが多く、私自身読みづらい作品だという印象を持ったが、設問は第1問同様素直なものであった。今年の現代文は毀誉褒貶いろいろあるが、このくらいの難度の文章はいいのではないかと思う。
 逆に英語の長文の質を何とかして貰いたい。Discourse Markerさえ見れば答えが見つかるような出題は断じて許してはいけない。


本日、天気晴朗なれど波高し。

2012-04-10 22:32:31 | 英語の学習と研究

人事異動で再び仙台に戻って来ました。
Host Institutionのパソコン環境(ネット環境)が、めちゃくちゃ悪いので定期的に送信できませんので、あしからず。
小説は、英文でアップします。英和辞典を(できれば英英辞典を)手元においてお読みいただければと思っております。主人公は、Erica。猫的な小説にしたいなと思いましたが、うちの2匹の猫ちゃんがそれを阻止しております。ひどくSF的でありかつ精神的な内容に傾きつつありますが、少しは官能的な要素も取り入れようと思っております。頑張ります。

 

 


かねてからの懸案事項(その7:閑話休題)

2012-03-20 14:22:08 | 英語の学習と研究

 職員室にエアコンが入る。その工事作業のため、数日間学校のPCが使えなかったのでご無沙汰しておりました。
 私が小学生のころには、自宅にないものが学校にはあった。テレビ、幻灯機、テープレコーダ、ステレオの類である。因みに、私の自宅にテレビが入ったのは、小学校2年生のころで、東京オリンピックを見るためであった。1964年である。当時、東京オリンピックを見逃せば一生オリンピックを目にすることはできない、といった雰囲気が日本中に瀰漫していた。なけなしの安月給をはたいて、おそらく月賦で、親父はテレビを買ったと思う。押入れの2段目に座布団を敷き、その上に白黒テレビを乗せて、6畳間で家族だけでなく隣近所の人たちと一緒に正座して見たオリンピックやプロレスや「チロリン村のクルミの木」は忘れられない思い出となっている。
 そんなテレビや幻灯機(今でいえばさしずめプロジェクター)やテープレコーダは子供の目には珍しく、スリリングなガジェットだった。学校は何か魅力的な場所で、当時の小学生たちは家にないものが学校にはあるので、学校に行くのがが楽しくて、楽しくてしょうがなかった。勉強ができようができまいが学校はパラダイスだった。
 現在はと言えば、家にはあるのに学校にはないといったものが掃いて捨てるほどある。エアコンはその一つではなかろうか。職員室がなぜ暑いかと言うと、60名近くの人間がひしめいているといった事情に加え、先生方一人ひとりがノート型パソコンを使っているということも大きな原因だと思う。PCを使えばPCから熱が出る。一台あたりの熱量はたかが知れているけれど、60台のPCがすべてオンの状態なので、その熱量や推して知るべしである。過去2年間で、職員室で仕事中に熱中症で倒れたという先生が複数名いる。次年度から快適な夏がすごせるかと思うと新幹線通勤も苦にならない。
 ところで、我が家にはエアコンがない。仙台市中央部の夏の暑さは相当厳しいのだが、うちにはエアコンがない。別に環境に配慮してとか経済的な理由からではない。リビングの南側(ベランダ)が広瀬川に面し、北の端にある私の勉強部屋が南町通りに面しているので、窓を全開にしていれば自然に風が吹いてくる。ある夏の日に勉強部屋で昼寝をしていたら風邪をひいてしまって39度の高熱に苦しんだことがある。通風性がいいことのもう一つの理由としては、10階に住んでいることも考えられる。
 高層階に住んでいることに関しては功罪相半ばするものがある。眺望は最高だが、災害時には大変な思いをすることを覚悟しなければならない。例の大震災の日に、私は帰宅してもよいという許可を得て、同僚の先生の車に乗せられて仙台まで帰ってきた。あの日の仙台は真っ暗で、信号も機能せず、二番町通りの交差点を渡るときは車にひかれはしまいかとびくびくしながら横断した。夜中の12時。エレベータは動いておらず、非常階段をライターの灯りを頼りになんとか10階までたどり着き部屋のカギを開けた。カミさんがすごい形相をして睨んでいる。
 ガス管が地震で壊れているかもしれないのに、ライターを点けるとは何事かというのである。全くその通りなので、グーの音も出なかったのだが、せっかく無事に帰ってきたのだからその苦労だけでもねぎらってほしかった、とはとてもおくびにも出せる雰囲気ではなかったので、台所の割れた食器を片づける作業を朝が来るまで黙々と手伝った次第である。


かねてからの懸案事項(その6)

2012-03-16 07:29:34 | 英語の学習と研究

 英国は古くはG. チョーサーやW. シェイクスピア、最近ではカズオ・イシグロなどを輩出し、文学に関しては懐が深く、また深遠な内容の作品が多い。一方音楽はと言えば、中世には吟遊詩人のバラッド(ballad)などがあるが、最近まで歌い継がれているものは皆無と言ってよい。最近まで歌い継がれているものも中にはあるが、Greensleevesぐらいだろう。

Alas, my love, you do me wrong,       ああ、愛しの人よ、あなたは間違っている
To cast me off discourteously.        私を失礼にも捨ててしまうとは
For I have loved you so long,         私はあなたをずっと愛してきて
Delighting in your company.           あなたと一緒にいるのが歓びでした

Greensleeves was all my joy           緑の小袖のあなたは私の全ての楽しみ
Greensleeves was my delight,          緑の小袖のあなたは私の歓喜
Greensleeves was my heart of gold,    緑の小袖のあなたは私の黄金の心
And who but my lady greensleeves.     そして緑の小袖のあなた以外に私の貴婦人はいないのです

 時代が下り、宗教音楽など小品は教会で歌われてきたが、バッハのような作曲家はしばらく出てこない。ビートルズを輩出している国なのに、不思議に思われるかもしれないが、世界に通用できる大作曲家は19世紀まで出てこない。英国近代音楽の祖は誰かという問いかけに対する私の解答はおそらくエルガー(Sir Edward William Elgar: 1857-1934)となるだろう。
 先日触れたSalut d'Amourは小品であるが、エルガーをして有名たらしめた作品は何と言っても『威風堂々』(Pomp and Circumstance)だろう。第二の英国国歌と言ってもよく、BBCが主催するプロムス(=毎年夏に開催されるクラシック音楽の演奏会のシリーズ)の最終日を飾る名曲だ。
 例の、ドドシドレラソファファミファソレで始まるサビの部分は、オケと聴衆が一体となって繰り返し歌われる英国の夏の風物詩の一つであろう。

Land of Hope and Glory,
Mother of the Free,
How shall we extol thee,
Who are born of thee?
Wider still and wider
Shall thy bounds be set;
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet
God, who made thee mighty,
Make thee mightier yet.

希望と栄光の国
其は自由の母よ
汝をいかに称えようか?
汝より生まれたのは誰であろう?
広大に、いっそう広大に
汝の土地はなるべし
神、汝を偉大たらしめし者が
いっそう汝を偉大にしますように
神、汝を偉大たらしめし者が
いっそう汝を偉大にしますように


かねてからの懸案事項(その5)

2012-03-15 12:23:28 | 英語の学習と研究

 ニューヨーク市は国連本部。1971年10月24日、94歳という高齢のパブロ・カザルスは語り始めた。

 「これから短いカタルーニャの民謡『鳥の歌』を弾きます。私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは、Peace, peace, peace!と鳴きながら飛んでいるのです。」

 彼は右手を高く挙げて、鳥が飛ぶように動かしながら、Peace, Peace!と繰り返した。
 静まり返った会場に流れた『鳥の歌』。その感動をことばで表現するのは難しい。しいて言えば、巨匠の人生と思想がこの短い曲に凝縮されて、聴く者の心を揺すぶったということだろうか。(井上頼豊:『回想のカザルス』(新日本新書)より)

 ご存じ、チェロの巨匠パブロ・カザルスである。この曲はチェロ一台だけで演奏されるが、何とも哀しく、聴く者の心に静かな感動を呼び起こす。平和を祈るカザルスの強い思い入れが曲全体にみなぎっている。聴くたびごとに新たな解釈を許容する名演だ。フランコ政権の独裁に対する抗議、泥沼化するベトナム戦争に対する哀しみ、人権と平和を強く希った老演奏家の毅然とした生き方がこの演奏の背景にはある。
 彼はA. シュワイツァー たちと一緒になって平和運動に積極的に取り組んだ人物としても有名であるが、「名品」の発掘にかけても類稀なる才能があった。
 先日触れたバッハの『無伴奏』、正確には、『無伴奏チェロ組曲第1番ト長調』BWV1007は、20世紀前半までは殆ど忘れられていた。せいぜい、練習曲として扱われる程度だったらしい。
 齢わずか13歳のパブロ少年は、マドリッドの譜面屋で古びた譜面を見つけた。その譜面にただならぬものを感じた少年は約10年にわたり研鑽を積み、満を持して開かれた演奏会で『無伴奏』を披露した。この演奏会は世界に衝撃を与え、爾来『無伴奏』が日の目を見ることになった。
 『無伴奏』も基本的にはチェロ一台で演奏される。音を重ねて弾く重音奏などにより多彩な表情を見せる重厚な作品である。
 部屋を真っ暗にして、ステレオの音量を若干高めにして、無心に聴き入ってご覧。何かが変わるから。

 この稿さらに続く。

 


かねてからの懸案事項(その4)

2012-03-15 07:21:19 | 英語の学習と研究

 高校時代は堀辰夫の小説にひかれた時期があった。作品中のバレリーの詩の一節である「風立ちぬ、いざ生きめやも」などと口ずさみながら、自分が死ぬときは肺結核で、長野県のような空気が清澄なところにあるサナトリウムで「綺麗に」死にたいと友人たちに語っていた時期がある。もちろん、同じ結核でも、正岡子規のような壮絶な死に方はいやだった。死にかたを夢想する高校生など、担任としては絶対もちたくない、ご免こうむりたい生徒であるが、そんな高校生だった。
 後年、アメリカ映画の『ゴッド・ファーザー』(パート3)の終りのほうの場面で、アル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネが、南欧(おそらくイタリア)の古ぼけた家の庭で、太陽の光をいっぱいに浴びながら、一人椅子から転げ落ちるようにして死んでいく様子を見て、「これだ!これしかない!」と思った。映画評論家によると、マイケルの死に方については様々な分析・評論があるらしいが、私はこの場面を見てこんな風に死にたいと思った。当時、そう思った理由の一つには、イタリアの気候を知っていたこととBGMが魅力的だったことが挙げられるだろう。
 イタリアには仕事も含めて夏に1回、冬に2回の合計3回行っているが、いつ行っても陽光がまぶしく、また空気が乾燥していた。日本のような湿潤な気候とは全然異なり、明るくからりとしているのだ。当然イタリアにいれば「結核で、綺麗に死にたい」などとは決して考えることはなかっただろう。堀辰夫の文学は日本だからこそ成立するわけで、イタリアでは通用しない。文学の成立要素に「風土」は欠かせない。その意味で風土を無視するニュー・クリティシズムの考え方は間違っていると自信を持って断言できる。
 BGMとして流れていた音楽は『カヴァレリア・ルスチカーナ』(Cavalleria Rusticana)というイタリアの小説家ジョヴァンニ・ヴェルガの同名の戯曲に、ピエトロ・マスカーニが作曲したオペラ曲のうちの間奏曲である。ゆったりとしたリズムでバイオリンが切なくも哀しく歌い上げるサビの中でマイケルは枯れ木が朽ち果てるように死んで行くのである。私はこの映画をロンドンのマーブルアーチにあるオデオンだったかギデオンだったか名前は不確かであるがそんな名前の映画館で見た。なぜか、スクリーン画面の光景と音楽があまりにもマッチしすぎるので、滂沱の涙を流しながら見ていた。

 この稿さらに続く。