日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

完全な愛は恐れを締め出します

2016-04-17 | Weblog
  ヨハネの第一の手紙4章 

  18節「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです」(新共同訳)

  1節「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです」。小見出し『偽りの霊と真実の霊』。この「試しなさい」(ドキマゾー)は、その的確に判別し認識すること。キリストとの相互内住を認識できるのは神から賜わる霊である。それが無いとすれば、それは神から出たものではなく、偽預言者から出たものである。何故か。それは「イエス・キリストが肉体をとって来られた」ことを公に告白する霊が神から出たもので、偽預言者からの霊はこれを告白しない、反キリストの霊だからである(2~3節)。これは「肉体を取って来られた」というイエスの歴史的具体性を否定する主智主義(グノーシス)派の異端思想である。そしてこの反キリストの霊が今や世に来ているが、あなた方は神に属しているので、偽預言者たちに打ち勝っている(4節)。偽預言者は世に属しており、世は彼らに耳を傾ける(5節)。しかし神に属している者はわたしたちに耳を傾けるが彼らは耳を傾けない(6節)。これにより真理と惑わしとの霊が明確になる。
  7節「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです」。小見出し『神は愛』。そこで神に属する者は相互に愛し合うのである(8節)。「神から生まれ」とは神の内に留まっている(メノー)からである(3章24節)。
  10節「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛(アガペー)があります」。これはキリストに表わされた神の側の先行的御業である(2章2節、3章16節)。この神から与えられた愛でわたし達が互いに愛し合うなら、神がわたしたちの内にあり(メノー・場所を示す「留まっている」、時を指す「永続する」である)、神の愛はわたし達の内で全うされる(12節)。つまり「神の愛が実現している」(1章5節see)。ここに愛の完全が示される。
  13節「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります」。 神の愛によって、「神がわたしたちの内に留まる」そして、「わたしたちも神の内に留まる」(15、16節)という関係(メノーン the remaining)であることが説かれる。
  18節「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです」。「締め出す」は直訳「外に投げ出す」で口語訳「恐れを取り除く」、NTD訳「恐れを駆逐する」である。「完全な愛」は神が内住することである(12節see)。「罰を伴う」の「罰」(コラシス)は刑罰のこと。神の愛によって完全無罪の宣告を受けることとなる。もはや恐れは取り除かれるのである。恐れがあるとすれば神の愛が全うされていないからだ。
  20節「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」。「神を愛している」と言いながら、目で見える兄弟を憎むのは、偽り者で神の愛を全うしていない。見えない神を愛する人は、見える兄弟を愛することで証される(21節)。


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