日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

わたしを贖う方は生きておられる

2019-06-01 | Weblog
ヨブ記19章
 
   25節「わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう」(新共同訳)

  1節「ヨブは答えた」。ビルダドへのヨブの応答である。内容はビルダドに向けられた言葉と、神がヨブに向けておられる怒りの凄まじさを披瀝した言葉が出てくる。あなた達はどこまでわたしを苦しめ、そんな論法でわたしを打ち砕くのかと問い、侮辱するのはもう充分だと訴える(2~3節)。故意に犯したのでもない過ちを、跨張して責め立てて辱めているという(4~5節)
  6節「それならば、知れ。神がわたしに非道なふるまいをし わたしの周囲に砦を巡らしていることを」。神がわたしに不当な取り扱いをされているのを知るがよい。救いを求めても応えてもらえず、わたしの道はふさがれて通れず、行く手には暗黒があり、栄誉の冠は奪われ、希望は根こそぎ取り去られている(7~10節)。神はわたしに向かって怒りを燃やされ、主の軍勢は結集してわたしの天幕を取り囲んでいる(11~12節)。兄弟や知人、親族や友人、家に身を寄せている男や女らすべてから引き離されて、恐ろしい孤独地獄に陥っている(11~15節)。僕を呼んでも応えず、妻と子供に嫌われ、幼子まで背を向ける(16~18節)。心を許す親友から忌み嫌われてしまった(19節)。これはヨブのために様々言葉をかけて共に苦しみを共有してくれた三人の友から、背かれて嫌われていて、今は「骨皮筋右衛門」になっている(20節)。
  21節「憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ 神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか」。孤独と悲嘆と絶望の中に身を置いているヨブは思わず、神と一緒になって責めることを止めてくれと友人に憐れみ乞う(22節)。
  23節「どうか、わたしの言葉が書き留められるように 碑文として刻まれるように」。しかしヨブは絶望の心底から、神に向かって叫び、そこに希望の火種を発見する。それは既に17章3節で陰府への希望として垣間見たことである。自分の言葉が「たがね」(鋼鉄の刃に埋め込まれた純度の高い刃(やいば))で石碑に刻まれ、鉛でその文字を埋め込んで消えないようにという(23~24節)。それは何か。
   25節「わたしは知る。わたしを贖う方は生きて折られ、ついには塵の上に立たれる」。「塵の上」とは陰府を指す。「贖う方」(ゴーエル)とは、「調停し仲裁する方」9章33節、「陰府にてヨブを覚える神」14章13~17節、「天で弁護してくださる証人」16章19~21節である。ここに信仰の願望、確信が告白されている。この事柄は「はらわたは絶え入る」程の激しい期待と興奮でやつれはてるというのである(27節)。そしてヨブの苦しみを罪ある者とする友人に、あなた方こそ、「神の剣を覚悟せよ」と反論した(28~29節)。


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