日毎の糧

聖書全巻を朝ごとに1章づつ通読し、学び、黙想しそこから与えられた霊想録である。

正義を衣としてまとい、公平はわたしの上着

2019-06-09 | Weblog
ヨブ記29章 

14節「わたしは正義を衣としてまとい、公平はわたしの上着、また冠となった。」(新共同訳)。

友人との論争で因果応報の思想には限界性を示し、友人との論争は未解決のまま残っている為に29~31章で明らかにしようとした。神に守られていた日々は、頭上に灯を輝かせて暗黒の中を歩いていたわたしであった(2~3節)。信頼のできる友と親しく交わりをして繁栄(収穫の秋)の日々であったあの頃は全能者はわたしと共におられ、わが子らは周りにいた(4~5節)。ヨブの自己評価である。
6節「乳脂はそれで足を洗えるほど豊かで、わたしのためにはオリーブ油が岩からすら流れ出た」。「乳脂」はクリーム状のもので石鹸の原形。町の城門」は住民の集まる場所で、公訴のなされる処、そこにヨブは着座し若者が静まり、老人たちは敬意を表し、主だった人々は会話をやめて、ヨブの語る言葉を静聴しそのことばを賞賛した(7~11節)。
12節「わたしが身寄りのない子らを助け、助けを求める貧しい人々を守ったからだ。」孤児や貧しい人々、死の近い人々や寡婦、めの不自由な者に対してし正義と公平をもって問題を解決したのである(13~14節)。見えない人の目となり、歩けない人の足となり、貧しい人の父となり、正しい訴訟を起こし不正を質し、その牙を砕き、歯にかかった人々を奪い返した(15~17節)
18節「わたしはこう思っていた『わたしは家族に囲まれて死ぬ。人生の日数は海辺の砂のように多いことだろう』」与えられた人生は家族に囲まれ豊かで、まるで海辺の砂のように日々が増し加わると思えた。人々はわたしの言葉に耳を傾け、期待し(19~23節)。失望した時も笑顔を向け、顔は曇ることはなかった(24節)。
25節「わたしは嘆く人を慰め 彼らのために道を示してやり、首長の座を占め軍勢の中の王のような人物であった」
孤児と寡婦に対する心情と救済は、聖書の底辺に流れている(出エジプト記22章22節、申命記14章29節、エレミヤ記22章3節)

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