厚い雲に覆われたゴート・アイランド上陸から後、オアフ島の南側へ
戻ってきました。
こちら側はウインド・ワードと違い、非常に良いお天気でした。
やって来たのは、パンチ・ボウルです。
正式名称はナショナル・メモリアル・セメタリー・オブ・ザ・パシフィックです。
今から約7万5千年~10万年前の火山活動によって形成された、高台の
クレーターにパンチボウルがあります。
古代ハワイでは「Puowaina(犠牲の丘)」と呼ばれていたと言います。
タブーを犯した罪人を生け贄として、ハワイ古代宗教の神に捧げる祭壇が
高台に置かれていました。
パンチ・ボウルは1949年に、国立太平洋記念墓地としてオープンしました。
第一次世界大戦・第二次世界大戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争で、米国のために
自らを「犠牲」となってしまった約4万6千人の兵士が眠る丘になっています。
左右に星条旗が掲げられています。
ここはいわゆるお墓なので、観光地ではありません。
膨大な数の墓標がありました。
その中にはたくさんの日本人(日系人)と思しき、名前の方がいらっしゃいます。
太平洋戦争時の沖縄での戦いの部分もあります。
現在では、「島唄」で当時の沖縄県民の悲惨な体験が語り告げられています。
(沖縄の言葉で語り継がれています。)
こちらも激戦の地、硫黄島です。
日本軍は元より、米軍も多数の死傷者が発生しました。
戦争によって憎しみが憎しみを呼ぶ・・・・
そんな戦いだったのでしょう。
もう二度と、同様の体験を後世にさせてはいけません。
ニューギニアやオーストラリア沖での戦争の様子です。
ここから日本の太平洋戦争開戦当時の領土が示されています。
現在の東南アジア・中国(満州)・台湾・朝鮮半島、そしてニューギニアの
ほとんどが領土だった時代です。
でも、米軍の反撃でみるみる内に領土が縮小していきます。
フィリピンやニューギニア、そして沖縄本島まで・・・・
もう二度と「戦争はしない」、「させない」そんな日本国民になったと思います。
場所(グーグルマップ)はこちら ⇒
ハワイ ブログランキングへ
戻ってきました。
こちら側はウインド・ワードと違い、非常に良いお天気でした。
やって来たのは、パンチ・ボウルです。
正式名称はナショナル・メモリアル・セメタリー・オブ・ザ・パシフィックです。
今から約7万5千年~10万年前の火山活動によって形成された、高台の
クレーターにパンチボウルがあります。
古代ハワイでは「Puowaina(犠牲の丘)」と呼ばれていたと言います。
タブーを犯した罪人を生け贄として、ハワイ古代宗教の神に捧げる祭壇が
高台に置かれていました。
パンチ・ボウルは1949年に、国立太平洋記念墓地としてオープンしました。
第一次世界大戦・第二次世界大戦・朝鮮戦争・ベトナム戦争で、米国のために
自らを「犠牲」となってしまった約4万6千人の兵士が眠る丘になっています。
左右に星条旗が掲げられています。
ここはいわゆるお墓なので、観光地ではありません。
膨大な数の墓標がありました。
その中にはたくさんの日本人(日系人)と思しき、名前の方がいらっしゃいます。
太平洋戦争時の沖縄での戦いの部分もあります。
現在では、「島唄」で当時の沖縄県民の悲惨な体験が語り告げられています。
(沖縄の言葉で語り継がれています。)
こちらも激戦の地、硫黄島です。
日本軍は元より、米軍も多数の死傷者が発生しました。
戦争によって憎しみが憎しみを呼ぶ・・・・
そんな戦いだったのでしょう。
もう二度と、同様の体験を後世にさせてはいけません。
ニューギニアやオーストラリア沖での戦争の様子です。
ここから日本の太平洋戦争開戦当時の領土が示されています。
現在の東南アジア・中国(満州)・台湾・朝鮮半島、そしてニューギニアの
ほとんどが領土だった時代です。
でも、米軍の反撃でみるみる内に領土が縮小していきます。
フィリピンやニューギニア、そして沖縄本島まで・・・・
もう二度と「戦争はしない」、「させない」そんな日本国民になったと思います。
場所(グーグルマップ)はこちら ⇒
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戦争を語れる方々が少なくなってきている今、
訪れて感想を持ち、伝えていくことが大切でしょうね。
良い所を教えていただきました。
多くの方々の犠牲の上に今の平和な日々があると
戦争の犠牲者のほとんどは一般市民、弱い人々
もう二度とそんなことを繰り返してはならないと
でも今この時にも、この地球の何処かで貴重な命が失われている現実が辛いです。
戦時中の日本は「鬼畜米英」を合言葉に、非常に悲しい過去でしょう。
あれから既に70年以上の月日が経ちましたが、ハワイの人の一部で嫌な想い出となっているのかも・・・
でも、直接知らなくても、こうした場所を訪れ、悲惨な戦争の事を決して忘れないようにすれば、平和のありがたさは戦争を知らない子供たちにも理解できると思います。
パンチボウルはいろいろ考えさせられる場所です。なんどでも訪れるべきだと思っています。
太平洋戦争当時、祖国日本と現在暮らしている米国のはざまで相当苦労されたことでしょう。二度とあってはいけませんね。