『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

国枝(くにえだ)

2017-01-08 08:11:06 | 信長公記の蔵:人物篇
国枝(くにえだ)

〔現代仮名遣い〕くにえだ


不詳。

1582年4月森長可が川中島海津に在城し

    稲葉貞通が飯山に陣を取っていると、

    芋川親正が一揆を蜂起させ、飯山を

    取り囲み大蔵城に立てこもる。信長

    方から稲葉重通・稲葉通明・稲葉典通・

    国枝、信忠方から団忠直が遣わされる。

    森長可が切り崩し、飯山に在陣し、

    稲葉貞通は諏訪本陣に戻る。稲葉重通・

    稲葉通明・稲葉典通・国枝は安土へ戻り、

    この次第を安土城勢に報告する。


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