木下祐久(きのしたすけひさ)
〔現代かなづかい〕きのしたすけひさ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
助左衛門・杉原定利。信長の将。秀吉の
北政所「禰」の父。
1573年朝倉氏滅亡後、越前北庄にあって
明智光秀らとともに国内の平定にあたる。
1580年4月信長は北国の柴田勝家の長陣を
心もとなく思い、木下祐久・魚住隼人
の二人を様子を見に行かせる。二人が
戻り能登・加賀が平定された様子を伝える
と、信長は喜び服・帷子をくだす。勝家
のほうからも信長の使いということで馬が
下された。
1582年6月の本能寺の変後は秀吉につかえ、
1583年賤ヶ岳の戦いに従軍した。1584年の
長久手の戦いでは羽柴秀次に属して出陣、
4月に討ち死にした。
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助左衛門・杉原定利。信長の将。秀吉の
北政所「禰」の父。
1573年朝倉氏滅亡後、越前北庄にあって
明智光秀らとともに国内の平定にあたる。
1580年4月信長は北国の柴田勝家の長陣を
心もとなく思い、木下祐久・魚住隼人
の二人を様子を見に行かせる。二人が
戻り能登・加賀が平定された様子を伝える
と、信長は喜び服・帷子をくだす。勝家
のほうからも信長の使いということで馬が
下された。
1582年6月の本能寺の変後は秀吉につかえ、
1583年賤ヶ岳の戦いに従軍した。1584年の
長久手の戦いでは羽柴秀次に属して出陣、
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