『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

遊佐続光(ゆさつぐみつ)

2020-01-19 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
遊佐続光(ゆさつぐみつ)

<現代仮名遣い>ゆさつぐみつ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


美作。能登畠山氏の家臣。珠洲郡の土豪。畠山

七人衆の一人。

1554年温井紹春との抗争に敗れ越後に逃走。

ついで能登侵攻を企てるも、破れて越前に逃
走。

1555年畠山義綱によって紹春が殺害されると

能登に復帰し、年寄衆に列した。

1576年上杉謙信の能登侵攻がはじまると謙

信に内応し、謙信が没すると1579年七尾城を

占拠して信長に服属した。


1581年6月能登七尾城の家老遊佐続光・同

    弟・伊丹孫三郎は、悪逆の行いをし

    ているとの情報により菅谷長頼に

    殺害される。

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