『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

湯浅甚介(ゆあさじんすけ)

2020-01-14 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
湯浅甚介(ゆあさじんすけ)

<現代仮名遣い>ゆあさじんすけ

※下線部は信長公記以外の記事によります。


直宗。信長の小姓衆。

1560年桶狭間の戦いに参戦。

1569年8~10月の伊勢攻略戦に参加。

1570年8~9月野田・福島の戦いで大坂方との二番

    合戦を務める。

1575年長篠の戦いに参戦。

1578年11月信長の荒木成敗に参戦。

1578年12月高槻城に布陣。

1582年6月本能寺の変で湯浅甚介・小倉松千代は京

    の町屋に居たが、敵にまぎれて本能寺へ入

    り込み討ち死に。


 ※桶狭間のころから信長公へ忠誠をつくし、

  本能寺の変の時は逃げてもよかったのに

  主君のいる本能寺へ入り討ち死にする。

  彼岸で“待っておったぞ甚介!”と笑顔の

  信長公に声をかけられたことでしょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする