林間教育通信(「東大式個別ゼミ」改め「シリウス英語個別塾」)

私立中高一貫校生徒を対象とする英語個別指導塾。小田急線の東林間駅(相模大野と中央林間の隣駅)から徒歩3分。

1984年の中央林間、村上春樹と中央林間

2010年04月23日 | Weblog
私は今日1984年の中央林間を考えてみました。もちろん訳があります。タイトルに示したように、村上春樹の新刊です。村上春樹の『1Q84(BOOK3)』の146頁に次のような文章があるのです。

牛河は千葉県にはまったく縁がない。生まれは埼玉県浦和市で、大学に入って以来、中央林間にいた時期を別にすれば、ずっと二十三区に住んでいる

中央林間の名前が出てくることなんて、本当はどうでも良いことかもしれない。しかし、林間住民としては見過ごせません。

現代ではネットですぐに様々な情報を入手できるわけで、やっぱり興味深い事実が浮き上がってきました。(情報収集のコンピューター化についての記述が、村上作品の中にも言及されているのは偶然だろうか。とくに『Book3』の132-133頁)。


まず、中央林間に東急田園都市線が通るようになったのが1984年だということです。本書の時代は1984年なのですが、中央林間という町にとっても1984年は転換期を迎える年だったというわけです。さて、Wikipediaには、次のように書かれています。

小田急による林間都市計画は挫折した。しかし、1984年(昭和59年)4月9日に東急田園都市線が乗り入れ、中央林間は、東急多摩田園都市計画域に編入された。田園都市となってから開発は急速に進み、現在に至る。


しかし、『Book3』の主要登場人物の牛河という元弁護士(←法学部卒業ですが、早稲田の法学部卒という設定じゃないだろうか)の男が中央林間に住んでいたのは1984年以前です。つまり、まだ田園都市線が乗り入れておらず、まだ今のように開けていない時代だということになります。あるHPの表現を借りるならば、小田急線で東京にでなければならない時代だ。ちょっと不便な場所で、開発が進んでいなかった中央林間。の時代です。中央林間というのは昔ながらの商店街があるところではないですから、当時は相当殺風景な何もない土地だったと容易に想像がつきます。その時代の中央林間に村上が言及ているというのは、興味深いことですね。


さらにネットを調べてみると、もう一つ興味深い事実にぶつかります。なんと村上春樹を20年前に中央林間で目撃したという人がいるのです。ライフ・ストレージ・マネジメントというブログです。念のために書いておくと、このブログは2009年に書かれたので、『Book3』はまだ発売されてはいません。

追記:20年以上前ですが、私が神奈川にいた頃、中央林間で村上春樹らしき人物に遭遇しました。夜中でしたが、真っ赤なポルシェに乗ったちょっと小太りのお金持ちという印象でした。多分間違いないと思います。

なるほど、そうだったのか! 第三巻の準主役ともいえる牛河に中央林間に言及させたのには、村上春樹自身がこの地に馴染んでいたからなのです。確証はありませんが、その可能性は大いにありと書いておきましょう。小説というのは、細部を探ってみると、それも案外面白いですね。



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