ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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今、なぜ「探究」なのか。

2009年03月18日 | 「学び」を考える

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 連続ミニ・シンポジウム「学びの共同体をはぐくむ学校図書館」2回目のセッションがいよいよ22日(日)に開かれる。今月5日の第1回のセッションでは、北米の学校図書館界をリードする2人の研究者に講演をお願いした。それを受けて日本の実践者のあいだでどのような議論が展開されるのか、楽しみである。論点を明確にするために、お二人の論旨を自分なりにまとめてみた。

 カナダ・アルバータ大学のDr. Branchは州教育省Alberta Learningの教師用ガイドブックFocus on Inquiryの著者の一人である。「すべての生徒に意味のある探究の経験」をさせることを話の骨子とした。高次の思考を必要とする「探究」は、放っておいて誰にでもできるわけではないし、教師による一斉指導で身につくものでもない。我が国でも、教師中心の学習指導への反省から、「総合的な学習の時間」の導入など生徒を中心とする学びを促す学習指導要領を施行したが、教師が積極的な指導を控えるという結果を招いたことが新学習指導要領を検討する際の反省(注)にもなっている。生徒自身が「社会的行動と結びついた」意味のある探究を経験する過程で、教師は生徒が経験するであろう感情の変化にも寄り添って、きめの細かい指導が必要である。そのような探究型学習は、これまでの学習指導に比べて、時間がかかり、面倒(煩雑)であるばかりでなく、現行の教育課程や試験の方法に対応できないという批判もある。全教職員はもとより、生徒や保護者(地域住民も含めて)が認識を共有しながら「学びを中心とする」探究型学習を推進するには、学校と教室、それらを動かすシステムに探究の文化を生み出す必要があるとDr. Branchは強調する。

 これを受けてハワイ大学のDr. Haradaは、探究型学習を推進するには、これまでの学校の教育モデルを転換する必要があるとする。暗記中心の断片化された学びからクリティカル・シンキングによる統合的で概念的な学びへ、教科書一辺倒の個人的な学びから多様な資源を利用した協働による知識の構築へ、学習の結果を格付けする評価から学習の過程を継続的にみる評価へ、幅広い学びよりも学びの深さを重視する方向へと教育モデルを転換するために、テクノロジーを組み込んだ教育環境を整備し、生徒の学びを導くガイド、促進者としての教師の役割を確立することが必要である。スクール・ライブラリアンは「学びのスペシャリスト」として、学校ぐるみで教育改革に取り組む「協働の文化」を生み出すキーパーソンになるとDr. Haradaはいう。

 今、私たちは、これからの学校図書館がチャレンジすべき大きな課題を与えられた。学校内に「探究の文化」「協働の文化」をどのように築いてゆくのか。そのために、何らかの形で学校図書館に関わる私たちは、「学びのスペシャリスト」としての役割をはたしうるのか。その第一歩をどのようにして踏み出すのか。22日のセッションが、大いなる挑戦のはじまりとなることを期待したい。

(注)「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会、2007117日)において5項目にわたる異例の反省の一つとして「子どもの自主性を尊重するあまり、指導を躊躇する教員が増えた」ことを挙げている。

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