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クリティカル・シンキングへの道(1) 「概念」と「感覚」の世界をつなぐ言葉のはたらき

2006年03月11日 | 「学び」を考える
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 近年ますます混迷を深める高度情報化社会にあって正気で生きていくには、言語などの記号やメディアを使った人間の活動全般において、私たちの思考と行動を評価、吟味し、創造的に問題を解決していくクリティカル・シンキング(critical thinking)の力を育むことが必要である。その方法のひとつとして、今回は、まず、1930年ごろにアルフレッド・コージブスキー(Alfred Korzybski, 1878-1950)によって構築された「一般意味論」を紹介する。

 2月7日に大阪厚生年金会館で開かれたK-Opti.com IT Forum 2006で養老猛司氏が行なった“「概念」から生まれた情報化社会”という講演の内容が2月28日(火)付け朝日新聞朝刊の広告欄に採録されていた。一読して「一般意味論」が展開してきた考え方ときわめて近いことに驚いた。相似性の高い部分を抜き出してみる。

意識の世界は、言葉でまとめる「概念」と五感による「感覚」の世界に分かれる。例えばリンゴが100個ある。「概念」では、誰にとっても全部同じ「リンゴ」という言葉で表現されるが、「感覚」の世界では、100個のリンゴは各々違う。色、香り、手触りといった感覚、場所、時間、感じる人によって、同じリンゴは二つと存在しない。

現代社会は、「概念」が膨らんだ世界である。テレビのニュースを録画すれば何度でも「同じ」ニュースが見られ、それは「概念」の世界である。変わらない「過去のもの」が情報である。最新の情報を追いかけている人は、最先端ではなく、後ろを向いて生きている。
10年前のニュースは見られても、10年前の私はどこにもいない。日一日変わっている。脳は、記憶も含めて日々変化している。同じ出来事でも20年前の記憶と、10年前の記憶は、決して同じではない。リンゴと同様「同じ」私はいない。

自分にはゆるぎない個性があって、その個性こそ自分の価値観だと暗黙のうちに思っていないか。それは自分自身を「概念」=「情報」の世界に置くことである。
情報化社会は、あくまでも頭の中の「概念」の世界である。情報化社会は医療と似ている。医者は目の前で生きている患者を扱わない。患者の過去の検査結果という情報を扱っている。医者が診るのは患者自身ではなく、数値化された患者である。

私たちの根本は「感覚」の世界である。赤ちゃんは言葉を使わないが、感覚はある。言葉を使うのは人間に特異な能力で、そのため他の動物と社会構造が異なる。言葉は矛盾する「感覚」と「概念」の世界をつなぐ役割も持つ。

「情報」に浸りすぎると、私と隣の人は大差ない、と思うようになる。現代人は、「同じ」という情報のはたらきを強調しすぎて「違い」を無視する。遺伝子を見ても分かるように、一人ひとり違っているのは当然で、個性なんて余計なお世話である。一期一会を大切に、人生をかけがえのないものにするためにも、情報化社会の中、「違う」という「感覚」の世界も認識したい。

 リンゴの例は、かつてノースウェスタン大学でスピーチ・コミュニケーションを教えていたアーヴィン・リー教授が一般意味論の導入によく用いたといわれている。
 一般意味論は、第一次大戦の悲惨を経験したコージブスキーが、人類がさらに第二次大戦へと進んでいく事態に心を痛め、言葉などの記号を用いて時間をこえる能力(Time-binding)と、記号を使いながら記号について意識できる(地図についての地図)という、人間独自の能力を生かすことで、人類は正気を維持して生存できるはずだと考えて、『科学と正気』(Science and Sanity, 1933)にまとめた、人間の認識と行動を評価するための体系である。それは、言葉が「感覚」と「概念」の世界をつなぐはたらきを利用して、私たちの思考と体験を整理統合し、生きる方向へみちびくという基準にしたがって、私たちの記号行動に批判と修正をくわえる道具と方法を提供してくれるが、現代社会において分裂傾向にある私たち個人の統合にも役立つ。

 一般意味論が扱う記号作用の範囲は次の3つのレベルをふくむ。
(1) 「できごと」が神経の末端を刺激して、感覚、運動、感情を生む、言語化されるまでの主として「言語以前のプロセス」への気づきを高める。
(2) (1)をふまえて、いろいろなレベルで言語を使用する上で反省と工夫をする。(クリティカル・シンキング)
(3) (1)と(2)をふまえて、人間の記号作用を文化的社会的な広がりにおいて評価する。(メディア・クリティーク)

 記号作用に対する自覚を高めるために、一般意味論では以下の3つの比喩を用いる。

1. 地図は現地ではない。
2. 地図は現地のすべてをあらわすわけではない。
3. 地図についての地図をつくることができる。

 地図は現地ではない。網膜に写った知覚像は外にある物体そのものではない。道に細長いものが横たわっているのを見て、「ヘビだ!」とパニックになるより「いや待てよ」と現地を調べてみる、いわゆる遅延行動 (delayed action) をとったほうが,正気で生きられる。

【一般意味論をもっと知りたい人のために】
 日本語で読めるものとしては、S.I.ハヤカワ著『思考と行動における言語』(岩波書店)がある。
思考と行動における言語

岩波書店

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一般意味論のアウトライン(ウェブ版)
一般意味論のアウトライン(MS Word文書)

 私たちは自分自身についての「地図」(イメージや認識)をもち,それによって行動しているが、地図はしばしば自分の現地と大きくずれていたり,自分に潜在している能力が描きこまれていないことがある。私たちは、言葉に導かれて、からだについての地図を描きかえていくことができる。
片桐ユズルと一般意味論
masaharuのアレクサンダー・テクニーク体験記(ウェブ版)
masaharuのアレクサンダー・テクニーク体験記(MS Word文書)

 一般意味論を実践しているうちに分かってきたことは、私たちが認識している世の中のほとんどすべてのことは「地図」であって「現地ではない」ということ。竹内薫著『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』(光文社新書)は一般意味論の本ではないが、自分の頭のなかの仮説(地図)に気付いて疑う技術を身につければ、ものごとを相対的に見られるようになってくるという、まさに一般意味論の世界が展開されている。すべては仮説にはじまり、仮設におわる!
 この世は諸行無常と看破して、ただひたすら生き抜けば、また楽しいものである。スヴァーハ!

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方

光文社

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